――私の愛は、あなたを知りたいということ
かつて、亡き母が遺した言葉を僕はずっと覚えている。
その意味を聞く間もなく息を引き取り、永遠に返ってこない答えを求め続けるのだ。幼かった僕には分からなかった言葉の意味を、正してほしい。
何冊ものアルバムを積み上げて、それでも足りないと嘆く父の背を撫ぜる。すっかり小さくなってしまったそれに気づかないふりをして話の続きを促した。
訥々と語られる思い出話を、ページをめくりながら振り返っていく。1つが2つへ、2つが3つへ、3つが2つへ。そして近く2つが1つへと変わるときがくる。
そのとき僕は、どうしたらいいのだろう。
遠くに揺れる煙に懐かしさを覚える。
もう随分と時間が経って、1つになったはずがいつの間にか二桁にまで届いてしまった。いつかの父と同じ背を僕とよく似た子が撫ぜる。
ようやく母の言葉の意味がわかった。
ただ失うよりもずっと寂しいものだ。それが愛であるとするならなおさら、
「しゃんとしなさいな」
もう聞こえないはずの声が、記憶の海を渡って僕に届けられる。顔も、名前も、思い出せないのに知っている。
確かにあった、隣にあった。手を取り、抱き合い、共に歩いた君を、僕は忘れていたらしい。
――もう一度、君を知りたい
だから、会いにいくよ
【題:I love】
その風習通り、水底に潜るのだ。
水中花というものをご存知だろうか。和紙などで作られた造花を水につけると花開くというインテリアだ。全く別物だが、ハーバリウムと少し似ているかもしれない。
私の地元は『本物の水中花』が名産である。
インテリアとしてではない、本物の花を水中で育てて瓶に詰めているのだ。花の盛りは花束より長く、鉢植えより短いのが特徴だ。リピーターも多くひっそりと続く人気商品である。
どんな花でも本物を水中で咲かせているが、中には水に弱く育たないはずの種類も含まれている。この特殊な技法を教えてほしいと尋ねてくる人はたくさんいたが、実際に育てているところを見せるとみんな諦めて帰っていった。
真似できないことはないが、部外者には不可能な風習を何百年も続けてきたのだ。諦める他はない。
難しい手順はない。人によっては恐怖を覚えるだろう、くらいの工程が含まれているだけだ。
満七歳の子どもに水底まで潜らせ、花の種を撒いてもらう。あとは1週間毎に花の様子を伺いながら、蕾がつくまで声をかけるだけ。声掛けは何でもいい、いいことでも悪いことでも、潜った子どもさえいるなら誰が何人いようと構わない。
私も昔これをやったことがある。同い年の幼馴染と一緒に潜って芽が出てきたときは一緒に喜んだのを覚えている。
だけど、ある大雨の日に山崩れがおきて幼馴染は亡くなった。悲しくて一時期家に引きこもるようになったが、風習は守らなくてはいけないと両親や隣近所の人に引っ張られて水辺に連れてこられた。
わんわんと大泣きしながら幼馴染への文句や大人たちへの恨みを叫んだ。小さな芽が2つ並んでいたのに私が植えたほうだけが成長して、片方は小さな芽のまま水に揺れていた。
私は雨が大嫌いになった。1週間降り続く雨の中風習を守るためだけに出掛けるのが恐ろしくて強く拒んだが、結局両親に抱えられて水辺に置き去りにされた。小さな東屋があってそこからこんな風習と雨への恨み言を吐いた。
ふと声が聴こえた気がして、顔を上げる。辺りには誰もいないが、もう亡くしたはずのよく知る声が聴こえた気がしたのだ。でもどんなに探しても声の主も発生源も見つからない。
水底を覗いた。透明度の高い水の中、大きく育った私の花の横で小さく双葉を開いた芽を見つけた。よくみると双葉の間から小さな小さな葉が出てこようとしている。
声を掛けなければ成長しないのに成長した。ということは、幼馴染はまだ、ここに。
「泣き虫め、ばいばい」
その声は幼馴染のものだと、わかった。
悲しくて寂しくてまたわんわんと泣きながら、ばいばいとありがとうを繰り返した。雨音しか返ってこないことが寂しくて一層酷く泣いていたら、両親が慌てて戻ってきてもう役目は終えたよく頑張ったと一緒に泣いてくれた。
私の花は珍しい青色をしていたと聞いた。
もっと珍しいことに一部の花だけ白色だったことも。
白は幼馴染のお気に入りの色だった。
最期の最後まで私を泣かせる酷いやつだ。
「もう、雨は怖くないよ」
あなたを思い出せるから、怖くない。
【題:雨音に包まれて】
―― 一人の姫のためにこの王国は滅ぶだろう
ある王国で美しいお姫さまが誕生した。
珍しく恋愛結婚した王様とお妃様にはたくさんの子どもがいて、占い好きなお妃様の意向に沿って子どもが生まれるたびに占い師に未来を占わせた。
末の姫も占われ、上記の予言がされた。
不安になった王様とお妃様は姫を地下に幽閉し、姫の存在を隠した。
王城の地下で姫はすくすくと育った。
プラチナブロンドの長い髪と空色の瞳の美しいお姫さまは自分の立場をよく理解していた。明るく天真爛漫な子どものように振る舞いながら、誰にも教えていない能力を隠し続けた。
ある日、隣国の王子がやってきた。
本人が望まない王位争いに巻き込まれ、呪われた不運な王子さまだった。どこに行っても嫌われてしまう王子を助けたのはお姫さまだけ。こっそり自分の部屋に匿って秘密の能力を使って王子の呪いを解いた。
後日、王子は嬉しそうに国に帰っていった。
また別の日、捕虜になった獣の国の姫に出会った。
城内を必死で逃げ回っていたところをお姫さまが保護し、匿った。酷い扱いを受け衰弱していた姫を、秘密の能力で癒した。
後日、姫に抜け道を教えて国外へ逃がした。
お姫さまが成人を迎えた年、王国は滅びた。
王位を継いだ隣国の元王子と、再建した獣の国の元姫によって攻め滅ぼされたのだ。
生まれて初めて踏みしめる大地にお姫さまは喜んだ。
美しく笑うお姫さまに元王子と元姫は王冠を授けた。決して血に塗れた欲深な王冠ではなく、お姫さまだけの王冠を。
予言通りこの王国は滅んだ。
そして新たに帝国が建った。
近隣の国々を手中に収めた。
「予言通りでしたね、お父様、お母様」
黒いユリを一輪、墓前に供えた。
【題:美しい】
――慣れって怖い
この世界にきて一ヶ月ほど経った。
荒廃して、砂漠化の進んだこの世界は深刻な水不足に悩まされていた。だが水が全くないわけではない。オアシスを買い占めた上流階級が独占しているだけで、それさえなければ生活水には困らない程度にはある、らしい。
私たちが拠点にしているのは、いわくつきのコンビニだ。いろんな霊がよく登場し、日によっては性別や年齢で入店制限がかかる。それを除けば店主の性格が捻くれていてるのが気にかかるだけで便利な店である。
噂によれば上流階級の一部と繋がっていて、器量のいいものや才能のある人を上に紹介してくれるらしい。
「なあに、暇そうな顔して」
相変わらず冴えない子ね、と艶やかな赤髪を靡かせてお姉さんが声をかけてきた。この人こそ噂の信憑性を爆上げしている成功者だ。器量よしスタイルよしお得意のダンスで引きつけて話術で堕とす、魔性の女である。
私の容姿がお気に入りらしく、化粧と衣装で派手に着飾り人を堕とす話術を仕込まれている。とても勉強になるのでありがたいことだ。
「それはそうと、あの人、またなの」
チラリと流した視線の先、店主に説教されている私の父がいる。手も服も血塗れにして黙って何かを考え込んだまま説教を聞いている、たぶん。
最初こそ童顔イケメンと人気はあったが、医者として活動していると変人扱いされるようになった。医療機器や環境が整わないせいで死亡率は高いし、薬も何もないから結局は自然治癒を期待するしかないので、正直医者はいらない。知識だけが取り柄の変人が出来上がっただけだったのだ。
「悪い人じゃないんだけどね」
宝の持ち腐れね、とお姉さんはため息をつく。
商品棚にもたれかかった元患者が、消えていく。
足先から音もなく崩れていって、そこに残ったのは一抱えほどの乾いた砂の山になった。
人は死んだら骨ではなく、砂を遺す。
そうやって積み重なった結果がこの世界だ。
――死体の上で生きるなんて、悪趣味だな
【題:どうしてこの世界は】
私だって、そうありたかった
病気になった。
治すために強い薬を使った。
髪は抜けて、爪はボロボロ。
針穴だらけの腕、身体中が痛い。
そんな期間も過ぎて、季節が一巡りした
寛解した。
経過観察のために通院する。
髪は多少伸びてきた。
ボロボロだった身体も回復してきた。
薄い痕が残る腕はもう痛くない。
夏が近づいてきたから薄着で外出した
『うわ、ニジイロ』
はじめは分からなかった。
でもすぐに予想できてしまった。
男の子よりもはるかに短い髪。
サイズが合わなくなった服で隠れた体型。
少し前から流行りだした性別問題のこと。
差別も偏見もなかった。
興味もなかった。
意識もしてなかった。
私はよくても、他の人は違う。
髪の長さと体型と、あとは服装とか。
そんなことで判断されて、
流行りの言葉に当てはめられてしまうのか
私が何をしたんだろう。
病気が治ったのに。
髪が伸びてきて嬉しかったのに。
すれ違う女の子は髪を靡かせて堂々としてる。
ねえ、何がダメなの
病気になったのがいけなかったの
髪が短いから
服装がいけないの
「帽子、とりたくないよ」
そんな目で見ないで
【題:夢見る少女のように】