その風習通り、水底に潜るのだ。
水中花というものをご存知だろうか。和紙などで作られた造花を水につけると花開くというインテリアだ。全く別物だが、ハーバリウムと少し似ているかもしれない。
私の地元は『本物の水中花』が名産である。
インテリアとしてではない、本物の花を水中で育てて瓶に詰めているのだ。花の盛りは花束より長く、鉢植えより短いのが特徴だ。リピーターも多くひっそりと続く人気商品である。
どんな花でも本物を水中で咲かせているが、中には水に弱く育たないはずの種類も含まれている。この特殊な技法を教えてほしいと尋ねてくる人はたくさんいたが、実際に育てているところを見せるとみんな諦めて帰っていった。
真似できないことはないが、部外者には不可能な風習を何百年も続けてきたのだ。諦める他はない。
難しい手順はない。人によっては恐怖を覚えるだろう、くらいの工程が含まれているだけだ。
満七歳の子どもに水底まで潜らせ、花の種を撒いてもらう。あとは1週間毎に花の様子を伺いながら、蕾がつくまで声をかけるだけ。声掛けは何でもいい、いいことでも悪いことでも、潜った子どもさえいるなら誰が何人いようと構わない。
私も昔これをやったことがある。同い年の幼馴染と一緒に潜って芽が出てきたときは一緒に喜んだのを覚えている。
だけど、ある大雨の日に山崩れがおきて幼馴染は亡くなった。悲しくて一時期家に引きこもるようになったが、風習は守らなくてはいけないと両親や隣近所の人に引っ張られて水辺に連れてこられた。
わんわんと大泣きしながら幼馴染への文句や大人たちへの恨みを叫んだ。小さな芽が2つ並んでいたのに私が植えたほうだけが成長して、片方は小さな芽のまま水に揺れていた。
私は雨が大嫌いになった。1週間降り続く雨の中風習を守るためだけに出掛けるのが恐ろしくて強く拒んだが、結局両親に抱えられて水辺に置き去りにされた。小さな東屋があってそこからこんな風習と雨への恨み言を吐いた。
ふと声が聴こえた気がして、顔を上げる。辺りには誰もいないが、もう亡くしたはずのよく知る声が聴こえた気がしたのだ。でもどんなに探しても声の主も発生源も見つからない。
水底を覗いた。透明度の高い水の中、大きく育った私の花の横で小さく双葉を開いた芽を見つけた。よくみると双葉の間から小さな小さな葉が出てこようとしている。
声を掛けなければ成長しないのに成長した。ということは、幼馴染はまだ、ここに。
「泣き虫め、ばいばい」
その声は幼馴染のものだと、わかった。
悲しくて寂しくてまたわんわんと泣きながら、ばいばいとありがとうを繰り返した。雨音しか返ってこないことが寂しくて一層酷く泣いていたら、両親が慌てて戻ってきてもう役目は終えたよく頑張ったと一緒に泣いてくれた。
私の花は珍しい青色をしていたと聞いた。
もっと珍しいことに一部の花だけ白色だったことも。
白は幼馴染のお気に入りの色だった。
最期の最後まで私を泣かせる酷いやつだ。
「もう、雨は怖くないよ」
あなたを思い出せるから、怖くない。
【題:雨音に包まれて】
6/11/2025, 10:20:58 PM