―朱色の目と銀糸のような髪をもつ、銀朱姫
珍しい色をした器量のいい女は、姫にまで上り詰めた。
国の象徴である金魚姿の女神とよく似た色をしていたというだけの話だ。要は、落ちた権威を高めるための道具である。
女は美しく飾り付けられた姿を曝すたびに嫌悪感をつのらせた。銀朱姫、銀朱姫、と己の名前ではない名前でしか呼ばれない。衣装や容姿だけをみて目も合わない。挨拶はしても会話はない。そんな日々を過ごすうちに女は自身が壊れていくのを感じていた。
だから、あれは起こるべくして起こったことなのだ。
約束を破った権力者たちが死に絶え、迷信を信じきった狂信者たちは門扉に吊られ、傍観を貫いた者たちは目を焼かれた。
女を銀朱姫と呼ばず、実の母のように慕った子供たちは楽しそうに笑う。ある子は鉄線を手に、ある子は熱した鉄を手に。それまで受けてきた苦しみを大人たちに返した。
「――さま、――さまのおかげだよ、ありがとう」
そう言って子供たちは女を囲んで泣いた。
少し歪な花冠と丈の合わない白いドレスに身を包んだ女は微笑んでいた。よく見るとドレスには白い糸でたくさんの刺繍が施されている。
「わたしのほしいものをくれた、うれしい」
―その日ある国が滅び、新たな国が建った
【題:今一番欲しい物】
例年よりもはやく梅雨入りした年だったかな。
どうしようもなく落ち込んで、自力で這い上がることもできないどん底に重りと一緒に縛り付けられているような最悪な状態になったことがあるんだ。
月明かりもない真っ暗な夜で、雨も降っていたと思う。雨音は好きだったから雨粒が降り込むのも気にせず窓を全開にした。屋根やアスファルトにぶつかる音も、頬に当たる冷たさも、湿った空気も、その匂いも。自分をきれいに洗い流してくれているようで心地よかった。
すっかりぬるくなった缶チューハイと大量の錠剤を手に、ずっとずっと外を眺めていた。あのときほど穏やかな一時は後にも先にもありはしないだろう。
どん底にいながら幸せをみつめていた。ただの幻想であっても、現実ではありえないものでもいい。自分への手向けだと思えば素敵な土産でしかなかった。
まあ、その2日後には多少の記憶障害を残しつつも生き残ってしまったからね。今だらだらと書いたこの話もどこまで本当なのかわかったものじゃない。
ただ終わりにしようと思ったことは事実だ。
誰にも理解されず疎まれるだけの惨めなだけの事実だ。
いつも、いつまでも、このどん底には雨が降ってる。
それだけでいいんだ。
【題:終わりにしよう】
『随分と軽んじられたものだな』
きっとここが本の中の世界だったら、私のために怒ってくれる救世主でも現れたかもしれない。よくある台詞で、よくある都合のいい場面で、かっこよく現れ私を連れて逃げてくれるベタな展開で、私は救われる。
目を閉じているうちはそういうありもしない夢物語に浸っていられる。暗いだけの瞼の裏に都合のいい仮装現実を映し出して、まるで本当のことのように錯覚し酔いしれる。
でもね、時間がきたら朝日が閉じた瞼さえ無視して明るく照らして、うるさい声やアラームが鳴り響くから強制的に現実へと引き戻されるのだ。
そのときの絶望なら誰しも経験はあるだろう。
全てが思いのままになる世界から叩き落されるの。
本来なら救世主が吐く冒頭のような台詞を、敵が保身のために私が悪いことをしたと言い訳するために使われるんだ。
まただ。また私を殴る大義名分にされた。
「軽んじてるのはお前だろ」
なんてバカバカしい世界なんだ。厨二病でもなんとでも言えばいいさ。暴力でしか自分の欲を満たせないお前らなんかよりずっとマシだよ。
【題:落下】
ずっと同じことの繰り返し、毎日毎日飽きるくらい繰り返す。それが日常で、当たり前のことだ。
ドラマや映画で「当たり前のことなんてない」と涙ながらに叫ぶ人たちの気持ちなんてわからない。だって毎日当たり前のことがない、新しいものだらけの世界のほうがよほど恐ろしいじゃないか。
―なぜそんなに特別なことにこだわるのか、理解できない
隣でグズグズと鼻をすすりながら映画の世界観に浸る彼が羨ましいと思った。
ふつう、というにはあまりにも感受性が豊かすぎるこの男が血を分けた兄弟だなんてありえない。ずっと幼い頃から周りに洗脳されるが如く言われ続けたことだ。
今さら気にすることではないけど、彼のことも私のことも否定するのにうってつけの言葉だ。
両親も友人も人間として生きるのに必要なツールだったと思えば辛くもない。喋るだけの機械に囲まれて育っただけ。差があるのなら、彼は信じる強さがあって私は諦める強さがあっただけ。
擦り減るものは同じはずなのにこんなにも結果がちがうなんて、もっとはやく知りたかった。
「ティッシュならいっぱいあるから使いな」
そう言って、ちょっとお高めの鼻に優しいティッシュを箱ごと渡された。慰めの言葉なんかよりずっと現実的な優しさが心地いい。
また明日がくるのならば、これに似た優しさが転がっていてくれたらいいのに。
【題:また明日】
気づいたときにはもう手遅れだった。
友だちやクラスメイトの家族の話を聞くたびに、そんな幸せ物語なんてあるはずないのに変なの、と思った。
でも変なのは自分だと薄々気づいてはいた。だから否定も肯定もしないまま曖昧に笑って誤魔化すことを覚えたのだ。
「そういうのやめてよ!」
親に向かって叫んで怒鳴って、かと思えばお菓子やおもちゃを要求して、要求が通れば機嫌よく甘えだす。
そんな姿にとてつもない違和感と気持ち悪さを感じて、誰のことも信じられなくなった。
思春期特有の反抗心かと思ったが大人になった今でも変わらない。
ショッピングモールで喚く子どもや友だち同士で騒ぎ立てる学生をみかけるとモヤモヤしてしかたないのだ。自分には許されなかったそれらを、そんな振る舞いをする勇気もなかった自分を。そっか、妬んでたのかって思い知らされる。
先日、大病を患って長期の入院が決まった。
あまりにも突然だったけど、ようやく自分の番がきたとなんだか安心したのだ。
そのときの親の反応には、もう、笑うしかなかった。
かわいそうな子
代わってあげられたらいいのに
そんなボロボロになるなんて堪えられない
何でも言ってね、何でもするからね
お金は気にしなくていいからね
保険金を父が奪おうとしてる
頼れるのは母だけでしょう
まあ、言いたいことはいろいろあるけど、ひどいもんだ。
昔から病気がちな弟妹が病院にかかるたびにみせていた執着を今さら私に向けてくるのか。散々放ったらかしてきた無駄に健康なストレス発散の捌け口を子どもだと認識していたのか。なるほどね、なるほど。
じゃあさ、
そんなに執着してくれるならさ、
どこまで尽くしてくれるの
私を、子どもを、愛しているのならさ、
どこまでできるの?
執着って一種の愛みたいなものでしょ?
弟妹たちにしてきたように愛してみせてよ
…できないだろうけど
【題:愛があれば何でもできる?】