気づいたときにはもう手遅れだった。
友だちやクラスメイトの家族の話を聞くたびに、そんな幸せ物語なんてあるはずないのに変なの、と思った。
でも変なのは自分だと薄々気づいてはいた。だから否定も肯定もしないまま曖昧に笑って誤魔化すことを覚えたのだ。
「そういうのやめてよ!」
親に向かって叫んで怒鳴って、かと思えばお菓子やおもちゃを要求して、要求が通れば機嫌よく甘えだす。
そんな姿にとてつもない違和感と気持ち悪さを感じて、誰のことも信じられなくなった。
思春期特有の反抗心かと思ったが大人になった今でも変わらない。
ショッピングモールで喚く子どもや友だち同士で騒ぎ立てる学生をみかけるとモヤモヤしてしかたないのだ。自分には許されなかったそれらを、そんな振る舞いをする勇気もなかった自分を。そっか、妬んでたのかって思い知らされる。
先日、大病を患って長期の入院が決まった。
あまりにも突然だったけど、ようやく自分の番がきたとなんだか安心したのだ。
そのときの親の反応には、もう、笑うしかなかった。
かわいそうな子
代わってあげられたらいいのに
そんなボロボロになるなんて堪えられない
何でも言ってね、何でもするからね
お金は気にしなくていいからね
保険金を父が奪おうとしてる
頼れるのは母だけでしょう
まあ、言いたいことはいろいろあるけど、ひどいもんだ。
昔から病気がちな弟妹が病院にかかるたびにみせていた執着を今さら私に向けてくるのか。散々放ったらかしてきた無駄に健康なストレス発散の捌け口を子どもだと認識していたのか。なるほどね、なるほど。
じゃあさ、
そんなに執着してくれるならさ、
どこまで尽くしてくれるの
私を、子どもを、愛しているのならさ、
どこまでできるの?
執着って一種の愛みたいなものでしょ?
弟妹たちにしてきたように愛してみせてよ
…できないだろうけど
【題:愛があれば何でもできる?】
5/16/2024, 11:08:58 AM