「堂々と母親だと名乗れないなら生まないでよ」
ぽかん、とした顔で僕を見つめる顔が滑稽だ。あれだけうるさく「私の子だ」「私は育ててない」だの喚いてたくせに今更なんなんだ。
僕がそんなことを言うとは思っていなかった、まさに青天の霹靂だったみたいな反応。初めて親に殴られた子どものように、信じていたものが突然知らない何かに変わって裏切られたみたいに。ひたすらにぽかんとしている。
少々特殊な家庭環境だったとはいえ、別に複雑なことなど一つもない。偏愛が当たり前の家庭で育った親がそのまま自分の子どもたちにも同じことをしただけのこと。
弟妹は可愛がることには全力で、上の子には理想と夢を詰め込んで、それぞれを着せ替え人形かのように動かすことを教育だと言い張る。そしてそれを主導している者こそが『親』であり、たまにしかその役割を任せてもらえなかった目の前の母親は『親』にはなれなかったと思い込んでいる。
まあ、この例えも僕からみたらそう感じたというだけで間違っているのかもしれない。だとしても僕にとっての祖父母がお人形遊びをしているようにしか思えないのだから仕方のないことだ。
最近はのらりくらりと躱すだけ。祖父母のことも両親のこともまともに相手していたら、いつの間にか自分が壊れてしまったから。何気ない日常の中で押しつけられる役割をぐしゃぐしゃに踏みつけて壊した。
シナリオ通りの『理想的な子ども』という人形であることをやめた。そうしたらこのざまだ。
「前に言ってたよね、デキ婚だったって」
「あんな人だと知ってたら結婚しなかったって」
「それってさ、僕を生まなければよかったってこと?」
―――母親ってなんなんだろうね
青ざめた顔でブルブルと震えるだけのお人形。理想と夢を詰め込まれて生きてきたはずなのに、いつからかシナリオから外れて狂ってしまったお人形。
僕は今もこれからもずっと壊れて壊していく。何事もなかったかのようにずっと、ずっと。ずっとね。
【題:何気ないふり】
「努力は必ず報われるのです!」
壇上に立って熱弁するお偉いさんと、熱狂的な支持者たちの声援で暑苦しいったらない。きれいな言葉を並べて人々を惹きつけ、反対意見の人の言葉にも真摯に対応し、敵も味方もすべて自らの懐にに収めていく。カリスマ性といえば聞こえはいいが、かの有名な独裁者を思い出させる異様な人心掌握術をもって従えている光景は恐ろしいことこの上ない。
私はそんな父親の姿しか知らない
テレビ画面の向こう側で、マスコミに囲まれる中俯きながら車に乗り込む様子をみていた。あの頃と違って目も、表情も、立ち姿すら、敗者そのものを体現したような暗さがある。
車に乗り込む直前に俯いたまま「申し訳ありませんでした」とお辞儀をしていた。覇気のないボソボソとした独り言のような言葉でもって父親の人生は終わりを迎えた。
私はそんな父親の姿が恥ずかしかった
後から聞いた話では急にブレーキが効かなくなり、坂道だったのも相まって勢いよく壁に衝突したらしい。運転手含め、同乗者は全員即死だったそうだ。もちろん父親も例外ではない。
棺の窓を開けられないくらい原形を留めていなかった父親は、親族間のみのひっそりとした式で見送られた。パフォーマンスする人がいなかったからとても静かで、一般的な式とはこういうものなのだろうなと思った。
だって参列した親族は私だけだったから。私しかいなかったから。数人の大人が準備から後片付けまでして、促されるままその場で台本通りに動いただけだ。
父親はそんな私の姿をみてどう思ったのだろうか
遺影の中の笑顔と、画面越しにみた顔。どちらがあなたの本当の姿ですか。今はもう顔どころか粉々になった白い小さな塊しかみえないのです。話すことも聞くこともできないのはわかっています。
でも知りたいのです。私は今、どんな顔をしているのでしょうか。どんな顔をしていれば正解なのですか。
「…教えてください」
【題:My Heart】
思いついたらすぐに行動に移す自由奔放な少女と、決められたことを遵守し道を外れることなく生きる少年がいた。
二人の相性は最悪で顔を合わせるたびにいがみ合い喧嘩していた。ただ喧嘩とはいってもお互いの悪いところを指摘し合うだけの戯れに過ぎなかった。
だが、周りは違った。
二人が喧嘩をするたびにどちらかに便乗してもう片方を酷く罵った。ありもしないことや嘘、罵声や否定を繰り返した。周りの苛烈さに本人が止めに入っても事態は悪化するだけで、終いには二人の存在自体を否定した。
周りから孤立してしまった二人は、自然と手を取り合いその場を去っていった。もともと意見や価値観が合わなかっただけでお互いを嫌ってはいなかったのだ。そう、嫌いではなかった。
―少女は少年の常に正しくあろうとする芯の強さに憧れていた
―少年は少女の即決し即行動する姿に憧れていた
お互いになんとなく察していた。相手が自分に憧れていること、自分が相手の憧れになっていること。二人は知っていたのだ。
譲れないものがあるからこそ喧嘩になってしまっていただけで、相手を否定することも罵ることもありえないことなのだ。二人にしかわからない、歪なコミュニケーションをとっていたのだ。
「あの人たちは正しくないね」
「はやくあの人たちから離れるべきだったな」
クスクスと笑いながら二人は歩く。
身勝手極まりない周りの声が聞こえなくなるまでずっと、ずっと。
【題:ないものねだり】
「あなたにはこの花がぴったりね」
そういって母親は4人の娘にそれぞれ花を手渡した。
庭で育てていたその花はちょうど4色あり、それぞれ娘が嫁いだり独り立ちするときに鉢植えごとプレゼントしていたのだ。
上の2人の姉はすでに嫁いでおり、長女には白色を、次女には青色の花を贈った。そのときに手紙と一言、その花の名前とともに言葉が添えられるのをみたことがある。
いつか私たちにもくれるのだと楽しみにしていた。
そして私たち双子は今日でこの家とさよならをする。
母をひとり残していくのは不安だけれど、いつかは訪れる避けられない別れだ。
双子の姉が呼ばれた。母が待つ庭に出ていく後ろ姿を見送って、お祝いに用意されたケーキを食べながら待つ。
あの花が咲きほこる庭で採れたハーブを使ってお茶を淹れ、飾りに花を浮かべれば完璧だ。母の味には敵わないけれど上手くできた。
姉が薄紅色の花を抱えて戻ってきた。
ご機嫌に笑いながら「あなたの番よ」と告げる。あんまりにも嬉しそうに笑うから私もつられて笑ってしまう。
もうすぐ私もそうなるのか、はやいものだ
戸を開けて花で溢れかえる庭に出た。
少し離れたところにある水場の近くで母が手を振りながら待っている。穏やかで静かな、余裕のある女性の表情だ。
「とうとうあなたで最後ね、寂しいわ」
握りしめていた手紙を私に差し出しながら母はいう。
少し色褪せた便箋には今は亡き父親の字で私の名前が書かれていた。まだ幼い頃に亡くしてしまったから懐かしさやらは薄くて、なんだか不思議な気分だ。
「この花はね、ロベリアっていうの」
ガーデンテーブルの上で風に揺れる花をみた。
蝶のように愛らしい形の花は、今が見頃なのか鉢いっぱいに紫色の花弁が広がっている。
一目でさっき姉が抱えていた花と同じだと気がついた。
「…あなたは賢いから言わなくてもわかるでしょ」
もし父が生きていてくれたら、姉たちが嫁がず家にいてくれたなら。そんなありもしない妄想を何度しただろう。
そうでなくても誰かが気づいてくれたらよかったのに。そうしたらこんなことにはならなかったのに。
「その鉢も、この家も、紫のロベリアでいっぱいだね」
その花言葉は誰に向けたものなのでしょうね。
【題:不条理】
キラッキラで、ピッカピカ
あのとき感じた輝く姿が今でも忘れられない。
夢にまでみた、なんて安い売り文句では足りないし。憧れは憧れのままがいい、なんてただ眺めて終わるにはあまりにももったいない。
目でみて、効果音も覚えるくらい聞いて、写真も絵もプロの作品でも自分が撮ったり描いたりしたものでも溢れる輝きの欠片はいつだって僕の中で生きている。
同じ場所に立つこと考えたことはない。
それは応援することに意味があって、自分がその中に混ざることは憧れた世界を現実で汚すことになってしまうからだ。要するに推しは推すための存在だってこと。
強要なんてしない。推し方は人それぞれだから。
どんな方法であれ、犯罪は絶対に許せないけれど、あの輝きに魅了された同士であることは間違いない。
同じものを好きになって推すこと、それだけの共通点があれば十分だ。
だから、推しの訃報が流れたとき思った。
『ああ、星が溢れてしまった』
星自体が輝きを失い、日の光すら反射させることもできないほど崩れてこの世界から溢れてしまった、と。
目の前を照らす光も、道標もなしにこれから生きていかなければいけないのだ。過去となってしまった暗い欠片に背を向けて進まなければいけない。
残酷でいて、長い目でみれば単なる優しさの一つになってしまう時の流れが恨めしい。
僕の青春時代にパッと現れて、共に枯れていくこの気持ちは誰にもわからないだろう。半身を失ったかのような空虚を背負って過去にしていくこの気持ちを。
星は溢れないで、輝いていてほしかった
【題:星が溢れる】