私にはわからない。人を好きになることも、嫌いになることも、全部わからないの。
「あなたの父親はね」
いつもより語気を強めてまくしたてるのは母と祖父母。
それぞれからそれぞれの言葉で悪いところを並べたて、良いところなど存在しないと言いきっている。
その手に握られたリードの先に言い聞かせることが趣味なのだろう。毎日よく飽きずに続けている。
「お前の母親はな」
酒が入るにつれ大きくなる声で過去と理想を語るのは父。
過去を誇張して嘘と冗談を混ぜて語ったあと、これからの生活に頭を抱えて理想で包むのを何度も繰り返し「離婚だ」とお決まりの呪文を唱える。
リードでつながれた姿から目をそらして理想を着せることにこだわっているのだろう。飽きたら存在すら忘れて酒に浸っている。
私はそれをずっとみていた。リードの先で自主的に首輪をつけて座り込む姿をずっとみていた。
静かに笑って、ときに反抗したりして酷く叱られるのを他人事のように受け入れる姿をね、ずっとずっと隣でみていた。バカだなとか、余計なことをとか。そんな風に考えながらみていたら、気づいた。目の前にいる家族なんてみていなかった。
視線の先を追う。家族の後ろに広がる空がその目に映ってほんのりと青く染まっているのだ。
「なんだ、意外と強かじゃないか」
そうやって自身を守り、限界まで利用する気概に感心するよ。傷だらけの私を切り離して笑い続けるから、てっきり捨てられたのかと思ったよ。よかった。
もしここから逃げ出すのなら私も連れていってね。
【題:どこまでも続く青い空】
よかったね、とまるで関心のなさそうな声で返された。
それが嫌だとか、悲しいとか。そんなふうには思わなかった。この子はこういうことを必ず言ってくれると分かっていたから安心したのだ。
すべて打ち明けたらいいよ、と熱心に勧められた。
それを嬉しく思いながら、恐怖と不安が陰を指すから心臓が跳ねて落ち着かなかった。この人はとても丁寧で、些細なことにも共感して涙してくれる優しさがある。
なのに、少しだけ。少しだけ不信感を抱いてしまうのだ。
目標を高く設定しすぎて届かないとき。
一人では解決できない悩みを抱えたとき。
答えは分かっていても納得できないとき。
自分では手の届かない高いところにあるものを目指すとき、誰のどんな言葉で勇気付けられるのか。
僕はきっと、「頑張れ」よりも「いい加減な共感」の方が安心できる人なんだね。
あの子はどうなんだろうか。
僕は安心できる人になれるだろうか。
【題:高く高く】
「あなたは悪くない」
その副音声として当てはまるのは、「だけどあなたのせい」辺りかな。口調は穏やかだし表情も悪くない。外面を保てるほど余裕はある、でも言わないとムシャクシャする。だから無難な言葉で嫌味としてぶつける。
この人はとても素直で真っ直ぐな人だ。感情的になることを恥だと考え、常に冷静であるかのように振る舞うのを徹底するくらいの完璧主義でもある。
悪い人ではない、悪い人ではないんだ。
でもいつも思う。この人は完璧なものを求めるあまり目の前のものなど何一つみえていないのだ。
心や感情なんて目には映らないが、言動から多少読み取れるはずなんだ。この人はそれを無意識かつ意図的に無視をする。
自分に都合のいい部分だけを掬っているだけ。
悲しみを悲しみと捉えているのにポジティブを投げつけ、嬉しさを共感しつつあら探しをするように情報をねだる。
悪いことではないが、あまり気分のいいものではない。相手に勘づかれさえしなければどうとでもなることだから。
そう、勘づかれさえしなければいいことなんだよ。
でもこれだけ長い時間を共にした自分には分かるんだ。全てではないけれど、分かってしまう。
思わず振りかぶりそうになる拳を握り込んで耐える。
こうやって力を込めておかないと取り返しのつかないことをしてしまいそうで恐ろしいのだ。
「そうだね、ありがとう」
この一言をどう受け止めているのだろうか。
【題:力を込めて】
きっと知らないふりをするでしょう。
否定も肯定もしなかった。だってそんなこと考えたこともなかったから。離れるなんて、と笑いとばせたならよかったのにそうはさせてくれなかった。
どうして、なんで、私のこと嫌いだったの。そうやって叫んで泣いて縋ればよかったのだろうか。それとも私も同じ考えだったと笑い返せばよかったのだろうか。
「ねえ、答えてよ。私の真似しないでよ」
眠るように横たわるあなたが憎い。
思わせぶりな態度で、期待させるような言葉で持ち上げておいて突き落とすなんてあまりにも酷すぎる。
「私だって、私だって知らないふりしますからね」
この世界で、例え来世であっても私はあなたを必ず見つけだすの。そうしてあなたなんて知らないふりをする。
タラレバ話なんて嫌いだけれど、もし巡り会えたのならば必ずそうするから大人しく待っていてちょうだいね。
【題:巡り会えたら】
大声で怒鳴られたあとの重苦しい沈黙とヒリつく空気が部屋中に広がっている。確かに静寂ではあるけれどこんなにも緊張感のあるものに包まれたくなどない。
誰か思い切り手を引っ張って外へ連れ出してくれたらいいのに。
理想ばかり浮かんでは消えて、気が狂いそうだよ。
【題:静寂に包まれた部屋】