シシー

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8/11/2023, 3:27:02 PM

「はい、どうぞー」

 にぱっと明るい笑顔で拳を突き出した姪っ子は珍しく機嫌がいい。つい最近姉が二人目の子を出産したためあまり構ってもらえなかったのが寂しかったのだろう。おやつや玩具を買っても見向きもせず、わんわんと大泣きしては暴れ回った。
これにはさすがに姉も参ってしまったようでしばらく俺と弟で預かることになったのだ。男所帯に幼い女の子を一人放り込むなんて、とは思ったがこれがまた可愛くて目に入れても痛くないとはこのことかと納得したほどだ。

 俺も弟も夏休み中であることを言い訳に姪っ子を甘やかしまくった。可愛らしいパフェが人気の店やSNS映えする写真スポット、夏定番の海やプールに花火大会や夏祭りまで。姪っ子が喜びそうなところをピックアップして連れ回した。
 最初こそ人見知りしていたが、今では大声で名前を呼んで抱きついてきてくれるようになったのだ。そして行きたい場所や食べたいものを百点満点の笑顔と上目遣いでおねだりしてくる立派なレディーに成長した。姪っ子が尊い。

 だが楽しい時間ほどあっという間に過ぎていくものだ。気づけば夏休み最終日となり、姪っ子も姉夫婦の元へ帰ってしまう。寂しさのあまり姪っ子より先に咽び泣いて「帰らないでぇ!」と叫びちらした。姉にぶん殴られ姪っ子にヨシヨシされてまた泣いた。めっちゃ天使。
 ついにやってきたお別れのとき、走り寄ってきた姪っ子の冒頭の「はい、どうぞー」である。
膝をついて目線を合わせてやると、突き出した拳を開いて可愛らしいヘアピンを2つ差し出した。「ありがとう」と屈託のない笑顔でいわれて、さらに俺と弟の髪にヘアピンをさした。

「これねお揃いなの!失くしちゃだめだよ!」

「「めっちゃ大事にする!!」」

 夏がくる度に思い出す。ガチャガチャで引き当てたヘアピンは未だ捨てられず、ずっと俺たちの髪を飾りたててくれている。またいつか、姪っ子の手で飾りつけてほしいものだ。
 仕事場に向かうため、ヘアピンをした上から麦わら帽子を被って歩く。いつも通りの道の端、小さな花束と見覚えのある缶ジュースが供えられていた。まだ新しいそれらをみて先を越されたなと独りごちる。

「まだまだ連れていってやりたいところあったのになぁ」




               【題:麦わら帽子】

8/10/2023, 2:16:36 PM

 真っ白な紙に真っ直ぐに線を引く。特に終わりは決めていないからずっと飽きるまで、たまに折り返しながら書き続ける。
ふと気づいたら部屋に西日が差していて、顔を上げたら橙と赤が溶けて混ざりあいながら沈みかけていた。
少し熱中しすぎていたらしい。別に熱中するほどのことなんて何もないのにおかしなものだ。
 握りしめていたペンをおいて、改めて紙を見下ろす。
真っ直ぐな線のはずがいつのまにかズレていってぐちゃぐちゃになっている。始まりも終わりもどこなのか分からないくらい、白い紙は黒いインクで埋め尽くされていた。
 なんだか今の自分の心境をそのまま映したかのようで見ていられない。力任せに破いて破いて破いて、全てを一纏めにして欠片一つ残さずゴミ箱に捨てた。
些細な出来事をきっかけに捻れて終点すら見失った惨めな自分なんてこうあるべきなんだ。
 ゴミ箱の中で影に沈む紙切れをみて一人自嘲する。
次の日燃えるゴミの回収日はいつだっただろうか。はやく燃えて消えてしまえばいいのに。ついでに自分も、消えてしまえば、なんて。

「…くだらない」



                   【題:終点】

8/9/2023, 10:07:55 PM

 ぜんぶ忘れてしまいたい

 そんな無責任なことばかり言って何もしないあなたにイライラした。そして可哀想な子だと思った。だから泣いてうずくまるあなたの肩を抱いて何度も言い聞かせた。

「上手くいかなくたっていいんだよ。あなたは頑張ったのだからそんなこと言わないで」

 あなたは涙でぐしゃぐしゃになった顔でぎこちなく笑った。ようやく伝わったのか、これで楽になる。思わず本音が出そうになるのを慌てて飲み込んで、今日はもう遅いから帰るねと伝えて何かあれば連絡するよう念をおした。
 次の日まで一切連絡はなかった。あんなにやつれた顔をして寂しいと泣いていたのに。なんだかモヤモヤした不安が胸中に広がっていく。だが、今日は大切な会議があってどうしても休めない。
とりあえずメッセージだけ送って家を出た。

 会議が終わった頃、またメッセージを送った。今朝送ったのには既読マークがまだついていない。それがさらに不安を大きくした。電話をする。出ない。もう一度する。やっぱり出ない。
今日も会いにいかないとダメか。ガクリと肩を落としてため息がこぼれた。確かに好きだ愛してるとは言ったけど、こんなに面倒くさい人だとは思わなかった。たかだかつながりの薄い親戚が亡くなっただけで本当に面倒くさい。
 会いたくない気持ちが強くなって知らず知らずのうちに残業までしてしまった。職場の人たちも疲れた顔をしていると心配してくれた。大丈夫だと返そうとしたときだ。
職場に電話がかかってきた。同僚がそれを受ける。
こんな時間に電話してくるなんていくらクライアントでも失礼だ。また残業が伸びるのか、とまたため息をつく。
 でもちがったらしい。電話はクライアントじゃなく警察からだった。どうやら自分に用があるらしい。少し緊張しながら電話を代わった。こんなこと初めてで手が震える。

―亡くなりました

 その言葉だけがやけにはっきりと聞こえた。浅くなっていく呼吸で息苦しくなりながらも、どうして、と掠れた声で問う。警察官は静かに淡々と詳しく説明してくれたが、どうにも自分が原因ではないかと責められているような気持ちにさせられた。怒ればいいのか、悲しめばいいのか。何も言葉が出てこなくて、促されるまますぐに警察の元へ向かうことになった。
 諸々の事情聴取などをうけてからようやく亡骸をみた。
穏やかとは程遠いくたびれた無表情のまま横たわっていたのだ。ふと、頭に浮かんだ。昨日何度も繰り返し伝えた言葉がグルグルと頭から足先まで巡って気持ち悪くなった。

『上手くいかなくたっていいんだよ。あなたは頑張ったのだからそんなこと言わないで』

 ああ、無責任だったのは自分の方だった。あなたをこんな姿にしてしまったのは紛れもなく自分だったのだ。
なんて酷いことをしてしまったんだろう。
 一人項垂れる自分に、誰かがまた同じ言葉をかけながら背をさすった。ああ、あなたもこんな気持ちだったのか。
なんて無責任な優しさなのだろう。まるで致死性の毒のようだ。
 謝ることもできないまま、毒を浴びる自分をあなたはどう思っているのかな。どうでもいいよ。悪いのは自分だからなんでも言ってくれ。苦しくてしかたないんだ。




         【題:上手くいかなくたっていい】

8/9/2023, 9:08:55 AM

「なんで私じゃなかったんだろう」

 静かな部屋で寝転んで天井をみつめる。和室特有の葦草の香りとか土壁の匂いとか、窓の外から吹き込む湿っぽい風がぐちゃぐちゃとかき混ぜてどこかへいく。
こんな私の思考も感情もどこかへ運んでくれればいいのに風は無視してあっという間に去っていく。

 いっそ、役立たずだと責めてくれたなら恨むこともできたのに。怒りで目の前が真っ赤になるくらい許せないのも悲しくて手を伸ばして縋りつきたくなるくらい情けなくなるのも、全部ぜんぶ受け止めて呪文のような謝罪を口にして捨てられるのだ。
 はじめから私のものなんて何一つない。
この身体も心も言葉も感情もそれらすべて私のものだったことがない。お人形遊びをしているかのように、与えられた台本にそって動かされる。その間わずかに残っている意思が背筋がゾッとするようなことを考え続けた。
 そうしているうちに私は私が大嫌いになっていった。

 横たわる亡骸をみて悲しくて寂しくてしかたなかった。あんなにも強い人が亡くなってしまうなんて考えていなかった。冷たくなった手に触れる。なんの温度も感じないけど馴染みのある手だ。つい先日も触れたばかりなのになぜこんなにも遠く感じるのだろう。
 泣くこともできず、言葉も出てこない。手を添えるだけでそれ以上のことは何もできない。私はなんて無力なのだろうか。
 昔、お菓子を取り上げられて泣いたらまた叱られてそれ以上泣くことも言葉を重ねることもできず曾祖父母がよくいた部屋に入った。そこで曾祖母は静かに座っていて私をみてガラス戸の棚から茶葉を入れる缶を出した。内緒だよといって隠していたらしい角砂糖を1つずつ口に放りこんだ。
あまり口数の多い人ではなかったから、そういう小さな気遣いばかり覚えている。

 大嫌いな私ではなく、優しい人が亡くなっていく度に口にする言葉。蝶よ花よと可愛がられて育った友だちには気味悪がられた言葉。病んでいるとまで言われて病院にまで連れていかれる羽目になった言葉。

 私はどうすればよかったのだろう。



                【題:蝶よ花よ】

8/8/2023, 9:05:16 AM

 下校するタイミングで雨が降ってきた。
強風で木々が激しく揺れて、地面には排水溝に収まりきらない雨水が広がっている。部活で外にいた生徒が慌てて校舎や部室棟に駆け込んでいる。
 まあ夏ならではの夕立ち、ゲリラ豪雨ってやつだ。暗い色をした雲の反対側は青空が覗いているからそう長くは続かないだろう。
いきなりの気圧変化に頭が割れそうなくらい痛むけど、どうにも雨の日は嫌いになれない。なんだか自分の汚い部分も嫌なことも全部洗い流してくれるような気がしてさっぱりする。

「じゃ、帰るね。バイバイ」

「え!?こんな雨降ってるんだから止むまで待ってようよ」

「明日英語の小テストあるじゃん?風邪ひいて休めば受けなくてすむから今帰るの」

「何をバカなこといってんの。勉強しろよー」

「無理!英語だけは何しても覚えられん」

 カバンに大きな袋を被せて自転車の前かごに突っ込む。引き止める友だちに手を振って駐輪場から飛び出した。
後ろから「おバカだなー」と笑い声が聞こえたけど無視した。私はあんたらと違って頭良くないの。

 雨粒が叩きつけてきて痛い。目にも口にも入ってきて前も見にくいし、風のせいで進むのもつらい。
でもあんなに暑かったのが嘘みたいに消えていく。涼しいわけではないけど、暑いよりはマシだ。
 家につく頃には全身びしょ濡れで、唯一出迎えてくれた愛犬がバスタオルを咥えてパタパタと尻尾を振った。
雨が降るたびにびしょ濡れで帰ってくる私と母のやり取りを覚えたのか何も言わなくてもタオルを持って玄関で待っていてくれるのだ。「ありがとう」といって身体を拭きながら靴に新聞紙を詰め込んで干す。その後風呂を洗って沸かしてすぐに入った。私にしては珍しく長風呂をしたと思う。

 もう明日は風邪をひけば完璧である。そのために髪も乾かさず冷房の温度も少し下げておいた。寝るにははやいからスマホをポチポチ弄って愛犬と遊んで、いつの間にか寝落ちてた。

 翌朝、見事に身体は怠く熱を測ったらバッチリ38.2℃であった。遅くに帰ってきた母には「またか」と呆れられたが完璧すぎる計画に親指を立てる。
友だちからも『おバカ』とメッセージが送られてきた。
 そう、これは英語の小テストがあると告知されたときから計画されていた。この結果は最初から決まっていたことなのだ。
愛犬にドヤ顔してみせたら尻尾で叩かれた。「おバカ」とでも言っているようである。
 これでいいんだ。これが青春なんだよ。


           【題:最初から決まっていた】

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