あなたとはもっと対等な関係でありたかった。
施し施されるなんて恩の投げつけ合いは一ミリも望んでいなかった。喜ばせたいという真心で行われるやりとりが幸せだと思っていた。
私は疲れてしまった。自分にできることが少なくなって、代わりにあなたはできることが増えた。返せもしない善意を受け取り続けるには私はあまりにもひ弱で、もういっぱいいっぱいだった。
美しいはずのものが醜くみえてしかたない。
まるで雨のよう、いや嵐のような存在なの。
大地を潤す雨も、色んなものを運ぶ風も、度が過ぎれば害となる。大地を削り、全てを押し流し吹き飛ばしまっさらにしてしまう。
あなたは嵐のような人。
私の心を優しさで潤し、様々な出会いや発見を運んできた。何もかもが新鮮で楽しいかった。心の底から温かさが溢れてきて、あなたさえいれば何でもできると思えるくらい強くなれた。
でも少しずつ歩調がズレていって、あなたの後ろ姿ばかりみるようになった。それが寂しくて悲しくて堪らなくなった。あんなにも満たされていた心がバケツをひっくり返したように空っぽになったとき、散らばった中身がとても汚く感じたの。
未だにあなたの後を追いかけてしまうのは、以前と変わらず私に手を差し伸べてくれるから。
優しさを与え、言葉や行動を尽くして幸せを説くから。
私は嵐が来ようとも、笑っていようと決めた。
私があなたに返せるものは、もうそれしか残っていない。
いつか心が跡形もなく消え去ったときが私たちの別れとなる。
別に永遠の別れではないのだから、
嵐はいつか必ず再来するものだから、
楽しみでもあり辛くもあるの。
【題:嵐が来ようとも】
私は金魚を飼っている。
大きなヒレをもった優雅な食いしん坊と泳ぐのが得意だけど怖がりな食いしん坊の2匹だ。
もう家にきて4年目になるだろうか。最初は小指ほどの大きさだったのに、今じゃ両手ですくうのも難しいほど大きくなった。小さな水槽で一緒に育てていたけど、手狭になってしまったので1匹1水槽という贅沢仕様に変わった。
この2匹はペットショップで買ってきた子たちだ。
昔、お祭りの屋台でとってきた金魚を育てたこともあった。私が幼かったのもあって世話なんてものはエサを与えていたくらいのものだった。ペットなんて飼ったこともなかったから家で何かの世話をすることがどういうことなのか知りもしなかった。
3日目くらいだったか。朝起きてバケツの中の金魚を覗き込んだとき、みんな水面に浮かんで動かなくなっていた。
親に「死んでしまったね」と言われて、庭の木の下に墓をたてた。ザックザックとシャベルで穴を掘って1匹ずつ手ですくって埋めた。花を供えてお経の真似事をして弔いは終わった。
次の日にはもう墓のことは忘れて、金魚がいたことも忘れた。
目の前でパクパクとごはんを頬張る2匹をみて、私はいつも考えてしまう。
この子たちもいつか死んでしまうのだろうか、と。
私はそのときどう思うのだろうか、と。
「ちゃんと弔えたらいいな」
ポチャン、ポチャンとそれぞれが水面を揺らした。
なんとなく慰められた気がして嬉しくなった。
でもね、この子たちはとても賢いから私が手にごはんをもっているときだけ寄ってくるんだ。
意外と、薄情なのはお互いさまなのかもしれない。
【題:お祭り】
久しぶりに体重計にのった。
夏がとんでもない猛暑をふるってきたおかげで毎日滝のように汗をかいている。しかも夏バテしたのか胃の調子が悪くて食べる量が明らかに減った。水分だけはとっているけど味がついていると吐き気がするから水しか飲んでいない。
この上なく不健康な食生活から言えること、それは。
「絶対痩せてる!間違いない!私は痩せた!」
何を隠そう私はデブだ。肥満だ。歩く脂肪の塊だ。
万年ダイエッター(笑)にようやく希望の光が差したのだ。
不健康?リバウンド?そんなの痩せてから考えればいいんだよ!
それはもうワクワクドキドキ、脂肪をタプタプさせながら体重計にのった。ピピッと電子音が鳴って結果が表示される。さあ、歓喜のときだ。
突然、部屋が真っ暗になった。
停電か、と思い天井の照明を見上げたときだ。
パァァァッと光り輝く何かが私の頭上に降りてきた。なんと表現していいのか分からないが、目を逸らすこともできないほど神々しい。
なるほど、これはあれだ。ゲームとかラノベでよくあるナレーションがピッタリなあれだ。
『―神様が舞い降りてきて、こう言った』
おお、本当にこんなナレーションつくんだ。
なぜか頭に直接響くきれいな声に、不相応な感想しか出てこない。自分の教養の無さが悲しい。
美しいラッパが高音でファンファーレを奏で、どこからか雪のようにひらひら光の粒が降り注ぐ。美しい光景にほぅ、と感嘆を漏らせば、光り輝く何かがより一層輝き出した。
あ、これ。お告げでもあるのかな、
『おぬしは、太った』
ピピッと電子音が鳴った。
神々しさなんてなかったかのように、いつも通りの見慣れた部屋に私はいた。照明も消えていないし、つけっぱなしのテレビの音も聞こえる。
白昼夢でもみていたのだろうか。もう夜だから明晰夢か。
暑さで頭ヤラれたのかな。
足元でチカチカと体重計が点滅している。なんとも幸先の悪い言葉をきいたせいで確認するのが恐しくなった。
でも、女は度胸だ。すでに結果が表示されているだろう画面を恐る恐る確認した。
「…太ってる」
【題:神様が舞い降りてきて、こう言った】
ずっと羨ましかったんだ。
バカみたいに誰にでもヘラヘラと笑って、自然と人の輪の中心に収まっているのが気にくわない。
他人のことで怒って喧嘩したり、他人の痛みで涙を流したり、他人をなんの根拠もなしに信じて騙される。どんなに血や涙を流して言葉を尽くしたって損するだけだ。
実際、あいつは骨折させられた相手に頭を下げにいって入院したこともあった。涙を流せばみっともないと蔑まれていた。告白されて付き合った女に浮気されたあげく振られたのも知っているだけで3回はあった。
それでもあいつはヘラヘラと笑っている。
両親は古い考えをしたクソ共だった。ただのサラリーマン家庭なのに長男のあいつを跡取りだといって可愛がり、次男の俺は予備でしかなかった。
最初は両親の気を引きたくていたずらなんかもした。叱られて殴られていたところをあいつが庇って丸く収まるまでがテンプレだった。
次は学校の成績でトップを取り続けてみた。あいつはいつも中の下の成績だったから、俺が褒められて当然だと思った。褒められるどころか満点の答案と通知表を目の前で破かれて飯抜きにされた。あいつが食べ物を差し入れてくれなければ餓死していたかもしれない。
子どもとは健気なもので、そんな扱いでも親の愛情を信じて求めてしまうのだ。
俺は高校に、あいつは大学に入学してそれぞれバイトをはじめた。俺が稼いだ金は全額あいつのお小遣いにされ、あいつの金はあいつのもの。
楽しそうに電話しながら出掛けていく明るいあいつと、その電話機すら持っていない暗い俺とでは何もかもがちがった。
ある日、兄が行方不明になった。女と駆け落ちしたらしい。不機嫌な両親に八つ当たりされながら聞いた話は心底どうでもよかった。
「これからはお前が跡取りだ」
母が腫れ上がった頬を汚い手が撫でつけてきて気持ち悪かった。はい、と答えれば父が満足気にニチャリと笑ってさらに気持ち悪かった。
社会人になっても実家で、気持ち悪い両親の世話をしながら生きている。呆けのはじまった父とヒステリックな母は毎日騒がしくてイライラする。
もう20時過ぎなのにまだ朝刊が郵便受けに挟まったままだった。いつもならリビングに投げ捨てられているのに、どこまで図々しいんだ。
玄関の扉を開けた。鍵はかかっていなかった。また締め忘れたのだろう注意しておかなければ。そういえば、もう暗いのに灯りの一つもついていない。転んで怪我でもされたら迷惑だ、これも注意しなければ。
イライラしながらリビングの戸を開けた。生臭い匂いが全身に絡みついてきて胃がひっくり返るんじゃないかってくらいの吐き気がした。
暗いリビングの真ん中で、あいつがヘラヘラと笑って立っている。俺に気づいて近づいてきた。途中、黒い物体に足が当たったのか真顔になった。ヒュッと喉が乾いた空気をもらしたのを慌てて塞げば、あいつは蕩けるような優しい笑みを浮かべて言った。
「おまえのためになるならば」
―このくらい平気だ
やっぱり、羨ましかったんだ。
【題:誰かのためになるならば】
「あなたならできるから頑張りなさい」
わかっています。私はあなたの娘だからできないはずがありません。
「あなたはあの子とちがって反抗期がなくてよかった」
妹は思春期だから仕方ないです。その分私があなたを手伝います。安心して出掛けてきてください。
「あなたがいてくれてよかったわ」
こんなことでしか役に立てなくてごめんなさい。いつも迷惑をかけているのは私だから少しでも恩を返したいのです。その言葉だけで私は嬉しくなります。
「どうして何もいわなかったの!今さら遅いのよ!」
ごめんなさい。言えばあなたを困らせてしまうから言えなかったのです。もちろん、自分でなんとかします。あなたの手を煩わせることはしません。ごめんなさい。
「私はあなたの味方なの!どうして分からないの!」
ごめんなさい。あなたが私のためにお金をかけてくれてこんなにもよくしてくれているのに、ごめんなさい。
「あの子は独り立ちしたのに、どうして」
ごめんなさい。何も貢献できず、迷惑ばかりかけてごめんなさい。なんでもはできないけれど、何か役に立つのならどうか私を使ってください。
私は何をしていたのでしょうか。
あんなに求めていたあなたからの愛情や関心がとてもちっぽけに感じたのです。そうしたらガラガラと音を立てて何かが崩れていって、もう駄目でした。
ペン立ての中のハサミに目が惹かれました。それが欲しくて欲しくて堪らなくなりました。手をのばしてペンの山から引き抜けば、あっさりと手に入りました。
少し錆びのついた銀色が、なぜかとても美しくみえました。何度かショキショキと刃を開いては閉じてを繰り返した後、パチンと閉じました。添えていた手に少しの痛みと赤黒い血が滲んでいきます。
ゾクリと背中が粟立つのを感じました。
―これが私を救い出してくれる鍵になるのだ
私は嬉しくて嬉しくて、我も忘れて鍵を強く握りしめました。まだ足りません。もっと、もっと強く握りしめないと。ようやく手に入ったこの美しい鍵は私だけのものです。誰にも渡したくありません。
ならば、私だけのものにしてしまいましょう。
この身は役立たずだと捨てられました。代わりにより良い存在を迎えたのを、私は知っています。
このハサミも私と同じです。新しく買いかえたからと私のところへきたのです。
偶然だったのでしょうか、それとも運命だったのでしょうか。どちらでもかまいません。もう私だけのものです。
ひんやりとした鍵を首元に当てて、一呼吸。
窓の外は鬱陶しいほどの快晴で青く澄みわたっています。
一羽の雀が面格子に止まりました。コテリと首を傾げて私をみて、すぐに飛び去っていきました。
ああ、私もようやくここから出られます。この鍵が鳥かごの錠を外し、あの雀のように飛び立てるのです。
―ごめんなさいね
血溜まりの中、ハサミの銀色だけがギラギラと光っていた。響きわたる悲鳴と真っ青な顔をした人間を嘲笑っているかのように光っていた。
【題:鳥かご】