鶴づれ

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8/29/2023, 1:32:32 PM

言葉はいらない、ただ・・・


 私ね、画家になれるんだ。
 私の絵を見たいって言ってくれる人がたくさんいるの。
 私も、もっと私の絵に向き合わなきゃって思うんだ。
 だから…、ごめん。別れよう。

 水彩画家として大成するのが彼女の夢だった。
 僕だって、絵に真剣な姿に惹かれたのだ。絵に向き合いたいという彼女を、引き止められるわけがなかった。
 そうして、僕と彼女は会わなくなった。

 それから二年後。とあるギャラリーに訪れた。
 壁には一面、美しく繊細な水彩画。彼女の個展だ。
 ギャラリーの奥で足を止める。
 吸い込まれそうなほど深い森に佇む、可愛らしい猫と少女。隣は青く清い水をたたえる湖。どちらも彼女の優しい人柄が、見ているこちらにすごく伝わってくる。
 …よかった。ずっと、変わらずにいてくれて。
 ふと目を入口の方へ向けると、作者である彼女がお客さんの女性と話していた。二人とも楽しそうで…。彼女は、見ている僕に気づかない。
 でも、それでいい。
 僕への言葉はいらない。ただ、君は絵を描き続けて。

8/28/2023, 1:46:15 PM

突然の君の訪問。


「みんな今日も来てくれてありがとう〜」
 画面の向こうで、推しが私たちに呼びかけている。
 推しの楽しそうな、リラックスしたような声と一緒に聞こえるのは、グラスと氷のぶつかる音。今夜の配信は、私たちリスナーと呑んでくれるのだ。
 私も缶チューハイを用意して…、推しと乾杯!

「乾杯も終わったところで、聞いてほしいことがあるんだけど…」
 グラスを傾けながら、推しが生き生きと話し始める。
 同じグループのメンバーさんと、猫カフェに行った話。顔出しはしていないから声だけだけど、本当に楽しそうで嬉しそう。猫さんにこんなにデレデレしちゃうなんて、可愛いなぁっ!もう!

 呑み配信も中盤という頃。推しの家のチャイムが鳴った。
「あれ、誰だろ。こんな時間に…」
 推しは不思議そうにそう言いつつも、ちょっとごめんね、と残して玄関へ向かう。
 コメ欄も、「誰?」とか、「夜だよ?ヤバくない?」といった声で溢れてる。私も「大丈夫?」とコメントして推しの帰りを待つ。

 しばらくすると、推しのやたらハイテンションな声が画面から聞こえた。
「みんな!やばいよ!ちょっと…、俺もなにが起こったかわかってないけど!」
 この推しの声の向こうで、別の人の声がする。
 この人って、まさか…。
「やほ!みんな俺だよ!楽しそうだから…、来てしまいました!」
 やっぱり!推しと同じグループの、一緒に猫カフェ行ってた彼だよ!
 やばい、これは嬉しすぎるって!

8/27/2023, 12:23:23 PM

雨に佇む


 ざああああ、ざああああ

 雨の降る音を聞きながら、一人バス停に立つ


 とつん、とつん

 バス停の屋根で、雨粒が弾ける


 バスは、まだ来ない

8/25/2023, 11:20:31 AM

向かい合わせ


「鏡を向かい合わせにして、合わせ鏡を作ると…」

 という怪談は、探せばいくらでも見つかる。
 鏡の向こうの異界に通じているとか、鏡の中の自分と入れ替わるとか。
 合わせ鏡が作り出す無限の空間は、それだけ異質で、魅力的なのだろう。

 だから今日も、怪談を信じた誰かが合わせ鏡を作る。
 私は今日も、鏡の向こうでじっと待つ。

 愚かなもう一人の私が、合わせ鏡を作ってくれることを祈りながら。

8/23/2023, 3:43:13 PM

海へ


 辛いことがあると、海へ歩く。
 自分の悪口を聞いちゃったとき。上司に怒られたとき。嘘で繕わずに話せる人がいないことが、さみしいと思ったとき。必ず同じ海岸の防波堤の、同じ位置から海を見下ろす。吸い込まれそうな感覚に身を任せて、また現実へ帰る。

 今日もまた、海を見に防波堤に立つ。
 真冬の、昼の海。人の気配はなくて、心地がいい。
 ずうっと、海が赤くなるまで見つめて、ふと現実に戻る。明日も会社に行かなくてはならないと思い出した。

 防波堤をぴょんと飛び降りようとして…。
 足が、上手く動かなかった。
「うっ…」
 そのまま、落ちたらしい。転ぶ準備もできなかったから、痛くて立てない。
 このまま、アスファルトを見続けて凍死か、餓死だろうか。

「あの、大丈夫ですか?」
 近くで人の声がした。私一人じゃ、なかったんだ。
「…、すみません。大丈夫です」
 全然大丈夫ではないけど、なんとか笑みを作って顔を上げる。声をかけてくれたのは、私と同い年くらいの男性だった。
「そう、ですか。…あっ、頭打ってないですか?もしそうなら、一応病院に行ったほうがいいと思います。タクシー、いりますか?」
 大丈夫、という言葉を無視するかのように男性は続ける。私の嘘、ばれたかな?
「あのぅ、私、大丈夫ですよ?頭も打ってないです。お気遣い、ありがとうございます」
 大丈夫、を強調して答えると、男性は笑った。
「大丈夫か、って聞いたら大体大丈夫って帰ってくるでしょう?そう聞いたのは、意識があるか確かめたかったからですよ。…頭打ってないならよかったです。自力で帰れますか?」
 なんだろう、この人。私の言葉が、するするとかわされている感じ。
 出会って数分だけれど、この人には嘘はつけない。そんな気がする。
「…、すみません。タクシー、呼んでもらえませんか」
「分かりました」

 このときの私に、近い未来でこの男性と恋人になるって教えたら、どう思うんだろう?


※数日前の「夜の海」の過去編です

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