『愛を注いで』
夫は私を愛していなかった。なぜなら私たちは親同士が決めた所謂政略結婚で結婚したからだ。
でも私は彼のことが好きだった。今は見せかけの夫婦でも、私から彼に愛を注いでいればいつかは私のことを愛してくれると信じていた。まるで種を蒔いた土に水をかけていればいつかは花が咲くように。
その希望はあっさりと踏み躙られた。
夫には真に愛する人がいて、その人との間に子供ができたのだ。そのことを問い詰めると、夫は私のことをゴミを見るような目で見た。そして夫は私に言った。「一生お前のことを愛することはない」と。
親同士の関係にも影響を及ぼすので離婚はしなかったが、元々歪んでいた夫婦関係は完全に修復不可能になってしまった。
それでも私は今も愛されたいと願って彼に愛を注いでいる。さながら割れた花瓶に水をかけるように。
『心と心』
人間は誰しも心を持っている。そして、誰とでも心と心を通わせることができる。世間一般ではそう言われているが、俺は嘘だと思う。この世界で心を持っているのは俺と俺の彼女だけだ。そして他の奴らはロボットのようにプログラムされた動きをしているだけだ。だから俺と彼女は心と心を通わせられるし、他の奴らとは心を通わせられないのだ。
今日はそんな彼女から「大事な話がある」と公園に呼び出されていた。もう何年も付き合ってきたので、プロポーズでもされるのだろうかと思っていると、
「ごめん、待った?」と彼女が現れた。
「いや。で、話って?」と俺が聞くと、彼女は
「あのね……」と口ごもる。「何だよ。早く言えよ」と俺が急かすと、彼女は「私と別れて欲しいの」と言った。俺が唖然としていると、「貴方、私以外の人を全く人間扱いしないんだもの。ロボットだとでも考えてるみたいで怖いのよ」と言われる。俺は反論しようとしたが、口から出てきたのは言葉にならない言葉だけだ。「じゃ、そういうことだから。バイバイ」そう言って彼女は去っていく。この瞬間、通っていたはずの心はガラス細工のように砕け散った。
あぁ、所詮こいつもロボットだったのだろう。
心と心を通わせるなんてただの幻想だ。
俺はこの世でただ一人の孤独な人間だ。
『何でもないフリ』
感情を表に出すな。常に無表情でいろ。私は小さい時から両親にそう言われて育ってきた。どれだけ悲しかろうが、怒っていようがそれを顔に出せば激しく殴りつけられた。そんな生活を何年も続けていると、感情を隠すこと……つまりは「何でもないフリ」をすることが当たり前になっていた。当然、周りからは変人扱いされ、いじめられ、孤立した。
そのまま月日は流れて大学受験の時、面接で落とされた。感情があまりにも表に出ないので何を考えているのかが分からないというのが理由だった。
不合格を伝えると両親は私を罵った。
なんでそんな簡単なことができないんだ。なんでこんな子に育ってしまったんだ。そんな事を言われて呆然としていたのだろう。その時の記憶は曖昧だが、気がつけば私は両親を刺し殺していた。警察に自首しようか。そうも考えたが、こんな奴らのために人生をこれ以上掻き乱されるのは御免だと思い、死体はバラバラにして誰にも見つかることのないであろう場所へと隠した。それから私はこれまで通りの生活を送っている。私はこの事を誰にも気づかれないために、この命が尽きるまで「何でもないフリ」をし続けるのだろう。
『仲間』
ずっと仲間が欲しかった。
子供の頃から誰からも仲間に入れてもらえず、いつも一人ぼっちだった。
実の親すら味方にはなってくれなかった。
そんな状況が何年も何十年も続き、気がつけば大人になってからも一人ぼっちだった。
日常の悩みを相談できる人もいなければ、他愛もない事を話せる人もいない。一日一日が空虚だった。
もう死のうか。そんなことを考えていた時、偶然すれ違った二人の男から声をかけられた。
「仲間が欲しいんだ。一緒に仕事しないか?」と。
仲間にしてくれるなら、そう思って誘われるがままに彼らと共に働き始めた。
リストに載っている老人に電話をかけてマニュアル通りに話すだけの仕事だった。
こんな簡単なことをするだけでも彼らは喜んでくれて、褒めてくれて、本当に嬉しかった。ようやく仲間というものを手に入れたのだと思った。
でも、そんな幸せはある時木っ端微塵に吹き飛んだ。
突然警察が踏み込んできて、全員手錠をかけられた。
そして刑務所に入ることになった。仲間だと思っていたものは他人を傷つける怪物だったようだ。
いつか本当の仲間を手に入れることはできるのだろうか。少なくともここに居る間は無理そうだ。
『手を繋いで』
「実は私、幽霊なんだ」突拍子もなく女友達がそんなことを言った。何非科学的なことを言っているんだと呆れていると、「じゃあ手を繋いでみる?」と手を差し出された。差し出された手を握ってみた。冷たかった。本当にこの世のものではないと感じるくらい冷たかった。
「これで分かってくれた?」そう聞かれて俺は首を縦に振った。なぜ俺にわざわざ伝えたのかと聞くと、
「私、今日中に成仏しなくちゃいけないんだ。でも成仏しちゃったら周りの人は私の事を忘れちゃう」
そんなの寂しいじゃんと悲しげに笑い、
「だから特別な人の印象に少しでも残ればいいなと思って貴方に伝えたんだよ」と言う。俺がなるほどと頷いていると、「……貴方に告白したつもりなんだけど伝わってるのかなぁ」と思いもよらぬ事を言われた。
俺が面食らっていると、彼女は「もう行かなきゃ」と言って立ち上がった。そして、俺の方を向き、
「もしもいつか貴方とまた会ったら、その時はもう一度手を繋いで。約束ね」と言い残して去っていった。
それから彼女は本当に成仏したようだ。周りの人には彼女は最初から居なかった事になっているようで、今や彼女の事を覚えているのは俺だけだ。ただ、最近俺の記憶も曖昧になってきている。もう彼女の顔や名前は思い出せない。それでも彼女の「手を繋いで」という言葉だけは確かに記憶に残っている。彼女との約束を果たす日まで、消えることはないだろう。