モンドリアンの絵、コルビュジエのソファー
私が大学を卒業後、モンタナの田舎から摩天楼のニューヨークに独り暮らしを始めたのは、戦争が終わった直後だった。
ドイツも日本も降伏して、ニューヨークは戦勝パレードでそれはもう盛り上がっていた。
戦争中、父さんは飛行機工場で戦闘機を作り、母さんは兵士が食べるレーションの工場で働いていた。
私は大学で生物学を学んでいたから、戦争には一切関わっていない。
私の大学時代の友人のジェイコブは、欧州の激戦区から生還して、再び大学に戻ることにしたらしい。特に彼はケガをしたわけでもなく、『戦利品』として、イタリア製の拳銃を持って帰ってきた。
まあとにかく、長かった戦争が終わったことでアメリカはひとまず落ち着きを取り戻した。
私はニューヨークの町並みがよく見えるアパートを借りると、引っ越しの荷物を並べる前に、まずお気に入りのモンドリアンの絵を飾った。
それから、20世紀の偉大な前衛的建築家が発明したLCソファーを絵がよく見える場所に置くと、深々と腰掛ける。
私は足を組んで、タバコに火をつけた。なんというか、すごく『モダン』だ。これから、この部屋を私好みのモダンな部屋にしていくのだ、と思うとワクワクした。
次の日の朝、私に父さんから電話がかかってきた。
「ニューヨークはどうだ?」と。私は「すごく素敵な所よ」と答え、それから、父さんは言いにくそうに「ジェイコブが死んだ」と告げた。
「どういうこと? 彼はどこもケガをしていなかったじゃない!」
「彼がケガをしたのは心の方だよ。遺書にははっきりそう書いてあったそうだ。可哀想にな」
私は泣き崩れた。せっかく生きて戻ってきたのに、どうして死んじゃうんだろう?
私は「もう切るわ」と言うと電話を切り、窓辺に立ってタバコに火をつけようとする。
ジッジッジッジッ。
ジッジッジッジッジッ。
何よこれ、ぜんぜん火がつかないじゃない。
私は震える手で懸命に火をつけようとした。
外は相変わらず戦後のムードで盛り上がっていた。
ハイスクール・フェスティバル
「あんた、今日学校じゃないの?」
母さんがパンツ一枚の姿の僕が寝ている部屋にノックもせずにやって来た。
「今日は学園祭だよ。授業はないから、実質休み」
母さんは訝しげな顔をした。
「どうして行かないのよ? サークルで発表会もするんでしょう? きっと楽しいわよ」
僕はため息をついた。高校生にもなってみんな仲良く“お歌”の発表会ですって。笑わせるなよな。
「行かないったら、行かない。あんなのバカがバカ騒ぎするだけのイベントさ」
母さんは諦めたのか、「あっそう」と吐き捨てると保護者の行うバザーのために学校へと向かう。父さんは、今日も会社で仕事だ。
「なあにが学園祭だ。絶対行くもんか。そうだ、修学旅行も休んでやろう。卒業式はわざと遅刻して、証書だけ受け取ったらみんなに挨拶すらせずに帰ってやらあ」
僕の学園生活は本当にゴミみたいな毎日だった。友達もいるにはいるけど、みんなオタクで誰一人として恋人もいない。本当に劣等人種の集まりだ。
頭をボリボリと掻きながら、学校に体調不良で休むことを連絡した。スペイン語教師のデイビッド先生が「そうか、残念だったな」と言っていたが、内心僕のことなんてどうだっていいんだろう。
電話を切ると、シリアルを食べながらパソコンを起動する。コンピュータゲームだけが僕の世界だ。画面の向こうには愛くるしい“妹”の姿。
「愛してるよ」と彼女に呟き、アダルトゲームを開始する。“妹”は本当に良い娘だ。学校のあばずれとは大違いのミス・メアリー。
一通りヤることヤった後、僕はレンタル店で借りていた戦争映画を観ることにした。
コーラとバター味のポップコーンをセットに、真っ暗な部屋で映画鑑賞。
最高だな。
大音量で戦争映画を観るのはアトラクションのような感覚になる。爆弾や機関銃の炸裂する音、アメリカ海兵隊の怒号や悲鳴。
浜辺は兵士の死体だらけだ。
母さんが帰って来た。もう夕方だった。
学園祭の話をするつもりだ。
聞きたくない、聞きたくないったら。
ボリボリと頭を掻きながら、明日からまた憂鬱な学園生活が始まるんだと絶望する。
くそったれ。
パソコンの画面の中のミス・メアリーが愛くるしい目で僕を見つめていやがった。
最高に天気が良い日
青年が最も恐れていたのは、死ぬことよりも、薬品くさい病室に死ぬまで閉じ込められることだった。
口元に何本ものチューブを繋がれて、身動きが取れないというのは、拷問みたいなものだと思った。
おまけに、彼には妻はおろか恋人すらいない、孤独な青年だった。
「病院なんか行くもんか。そうだ、俺は青空の下でのびのびと死んでやるぞ」
青年は恐らく内臓を病んでいた。吐血を繰り返しては、市販薬で症状を抑えていたが、もはや手遅れであることは彼自身がよく分かっていた。
青年はその日、いつも通りきちんと会社に遅刻せずに行き、定時になるまで仕事に励んだ。三年間続けてきたことだ。
ただ、同僚に「この後飲みに行かないか?」と誘われたが、それは断った。できるだけ一人でいたかったからだ。
青年は仕事を終えて、会社から駅に向かう途中で吐いた。
真っ赤な血だまりを見て、「もう、会社には行けないなあ」と呟き、駅のトイレでうがいをすると、電車に乗って自宅へと向かう。
幸い、今日は金曜日で、週末は会社は休みだった。
「チクショウ! まったく待ちくたびれたぞ。暇潰しの人生にしちゃあ長すぎだぜ。まったく」
彼はアパートに戻り、冷蔵庫からビールを取り出すとゴクリゴクリと飲み干し、ソファーに横になる。
「明日だ。明日中に死のう。ほうっておいても死ぬが、俺の命は俺が終わらせてやるんだ」
彼は家族の写真を取り、亡き両親の姿を見つめる。
「父さん、母さん、俺、もうすぐそっち行くから」
青年はそのままソファーの上で眠った。
朝、目覚めたとき、口元が真っ赤だった。やれやれ、と彼は起き上がり、風呂場に行くと汚れた服を脱いで髭を剃る。
それから着替えた後、彼はアパートを出た。天気が最高に良くて、彼は少し気分が良かった。
どこへ行くか決めていなかった彼は昼頃まで歩き続けてしまった。立ち止まったのは、橋の上。
青年はひらめいた。ここから飛び込んでしまおう、と。高さは十分だ。ゴツゴツした岩が川底から見えるから、着水の衝撃で死ねるだろう。
「よっと」
彼は橋の上に立ち、強烈な吐き気に襲われながらも、空を仰いで腕を伸ばした。
「君! 何をしてるんだ!! 危ないから降りたまえ!!」
麦わら帽子の中年の男が彼に駆け寄るなり、叫んだ。
「やーだよ」
彼は真っ赤な口元を歪めると、そのまま飛んだ。
「ああしまった」
彼は落下しながら叫んだ。
「俺、まだ朝食食べてなか…」
スイッチ
押すだけで一瞬で死ぬというスイッチ。
僕は好奇心に駆られて押してしまった。
別に自殺したかったわけじゃないぜ。
ただ、『死』に興味があっただけさ。
もし、本当にこのスイッチを押して死んでしまったら、それならまた生まれ変わればいい。
そんなふうにさ、気軽に考えたんだよ。
命はそんなに重たくないものだと思う。
オーバードーズ
自分の娘が大量の市販の風邪薬を隠し持っているのを知った上で、娘が風邪だと本気で思う親がいるなら、その親はそうとうな阿保だ。
だから、父さんと母さんが私の精神状態を危惧して、クリニックに連れて行くというのは、まったくもって不思議な話ではない。
両親は、私が風邪薬を大量に飲むことによって、自ら命を絶とうとしていると思ったらしい。
いわゆる、オーバードーズってやつだ。
でも、人間の身体はそんなに脆くはないから、市販の風邪薬なんかじゃ死ねない。
これは、単なる自己逃避だ。
それに、みんなやっている。
ドクターから、いろいろ説教されたり、今後私の身体に起こり得る症状などを脅すように説明されると、抗鬱薬を処方されて、診察は終わった。
私が鬱病かどうかは聞かされなかったから、分からないけど、おとなしく薬を飲むことにした。
この薬を飲んだらパアッと明るくなるものかと思っていたけど、そんなことはなかった。
両親は私がオーバードーズをしていたのが余程ショックだったのだろう。
申し訳なく思うけど、薬を大量に飲むことで得るあの多幸感は他では味わえないんだから、ハマってしまうのも仕方ない。
だけど、私はもう絶対にオーバードーズをしない。
絶対にやるもんか。
私は処方された抗鬱薬を引き出しにしまった。色とりどりのカプセルやら錠剤やらに、新しく抗鬱薬が加わった。
もちろん、両親は知らない。
だって引き出しには鍵をつけているから。
私が着々と計画を進めていることなんて、知りもしないで、リビングでバラエティー番組を見ていた。