私は今日、先生の大学の学園祭に来ている。
先生は所属している剣道部でホットドッグ屋台を出しているらしい。
事前にもらっていたパンフレットを頼りに先生の店を探す。
早く先生に会いたくてつい早足になる私を、父がたしなめた。
無事ホットドッグ屋台を発見し、父が注文している間にテントの中を覗き見るも、そこに先生の姿はない。
あれ?
不思議に思っていると、大学生のお姉さんが話しかけてきた。
「ボク、誰か探してるの?」
私が先生の名前を告げると、お姉さんは「ああ、彼なら……」と居場所を教えてくれた。
先生はどうやらダンスサークルの助っ人として呼ばれたらしい。
特設ステージの場所は、ホットドッグ屋台からそう遠くはなかった。私はホットドッグを受け取った父の手を引いてステージへ急ぐ。
先生、ダンスもできるんだ。
日頃から何でもできる人だとは思っていたが、また新たな才能を見られるのは嬉しい限りだ。
私がステージの見える場所に到着した時、ちょうどダンスサークルの出し物が始まった。
「わぁ、みんな上手!」
「ホントだねぇ」
私は夢中でステージを見上げた。私の身長では、ちょっと頑張らないと全体が見えない。
流行りの曲に合わせて、女子グループが可愛い動きを披露する。盛り上がる観客。私も精一杯の敬意を込めて拍手を送った。
突如、舞台の雰囲気が変わった。客席も静まり返る。ステージに現れたのは、狐のお面をつけた3人組。和風の衣装に身を包み、客席に背を向けてスタンバイした。
隠された顔、いつもと違う服。
しかし私にはわかった。
真ん中にいるのが先生だ。
曲が流れ始め、次々に繰り出される技。再び興奮する観客たち。サイドの2人もかなりの技量だが、先生のダンスは子どもの私にもわかるくらい頭一つ抜けていた。
(先生、いつもと全然違う……!)
穏やかで優しく、寄り添うように私を導いてくれる先生。
それが今は、圧倒的な支配者だった。
先生がステージを支配している。それはまるで、音楽に合わせて踊っているのではなく、先生の身体から音楽が流れ出しているかのよう。
先生の奏でる音楽。
いつも先生にちょっといじわるな父でさえ、今この瞬間だけは彼の虜だった。
拍手喝采の中ステージを降りた先生に会うため、私は走り出した。この胸のドキドキが鳴り止む前に、伝えたいことがたくさんある。
テーマ「君の奏でる音楽」
ホテルの部屋に着いて、真っ先に奥のベッドへと走り込む愛弟子。
私は床に落ちた麦わら帽子を拾い、テーブルの上に置いた。
「先生、どっちのベッドが良いですか!?」
「特にこだわりはないので、君の好きに選んでください」
「じゃあ私はこっち!」
我が生徒は窓際のベッドを選んだ。
私は先程コンビニで買ってきた弁当をテーブルに広げた。
「さ、ご飯にしましょう。はやくお風呂に入りたいですし」
「はい!」
素直にソファへと腰掛けた彼は、海鮮丼を手に取った。
パクパクと非常に美味しそうに頬張るこの子を見ていると、心が満たされる。つい夢中になってしまったからか、先に食べ終えたのは小さなこの子のほうだった。
「ごちそうさまでした!」
「はい、お粗末様。お風呂、先にどうぞ」
「……」
彼は浴室のほうに目を向けたものの、動こうとしない。
「どうかしましたか?」
「んー、先生……一緒に入らないんですか?」
私は危うくお茶を噴き出すところだった。
「いや、君はもう6年生なんだから、ひとりで入れるでしょう」
「それはそうですけど、せっかくの旅行だし……修学旅行ではみんな一緒に入るんでしょ?」
「それは大浴場だから」
「じゃあ一緒に大浴場行きましょう!」
なぜそこまでして一緒に入りたいのか。いくら私を好いているからといって、少し大胆過ぎないか。それとも、子どもらしく純粋な気持ちなのか?
私は悩んだが、なんとか丁重にお断りすることに成功した。
しかし彼は拗ねてしまい、私が風呂から上がった後も機嫌は直っていなかった。髪も乾かさず、窓際のベッドの縁に座ってスマホをいじっている。
「髪、濡れたままでは風邪を引きますよ」
「大丈夫です。子どもは風の子ですから」
微妙に意味が違うような。
私は軽くため息をついて、ドライヤーをセットした。
「ほら、乾かしてあげますから、こっちにおいで」
「むっ……」
彼は一瞬嬉しそうな顔をした後、またすぐにそっぽを向いた。
「い、いいです!」
「よくありません。風邪を引かせて帰したら、私がお父様に怒られてしまいます」
「……!」
未だ頬を膨らませたままではあるが、大人しくソファへと移動してくれた。
彼の長くコシのある髪を丁寧に乾かす。私と出会った頃から伸ばしている様子で、理由を聞いても教えてくれないのだ。
ようやく充分に乾いた頃、私のほうの髪はほぼ自然乾燥していた。
「センセイ、アリガト……」
拗ねていても御礼の言葉を忘れないあたり、本当に良い子育てをされてきたのだなと実感する。
「どういたしまして」
「……先生」
「何でしょう」
「先生は、私が子どもだから……」
「……うん?」
「……いえ、何でもないです」
彼は悲しげな表情を浮かべて、自分のベッドに寝転がった。その元気のなさは、日中と比較してしまうと恐ろしいほどだ。
私は少し考えて、彼のベッドに腰掛けた。
「私は君を大切に思っています」
「……わかってます」
「それはよかった。では、その理由もわかってくれていますか?」
「え、えっと……生徒だから?」
「違います」
彼が振り返る気配がした。
「君が、とても魅力的な人間だからです」
「魅力的?」
「はい。私は君が思うほど出来た人間ではありません。『生徒だから』とか『子どもだから』というだけの理由で、無条件に好きにはなれません」
「先生、私のこと好きなんですか?」
「大好きですよ」
間髪入れずに答えたのが効いたのか、喉を鳴らす音が聞こえた。
「で、でも、私の好きとは違うんでしょう?」
「そう思いますか?」
私は振り返って彼の顔を見つめた。もちもちのほっぺたがほんのり紅く染まっている。
「先生、私は、先生のこと、その、キ、キスとかしたいくらい好きです……!」
目を瞑って一生懸命に言葉を紡ぐ姿。まったくいじらしい子だ。
私はそんな彼の額にご褒美を落とした。
びっくりして目を開けた彼が息を吸うよりはやく、私は壁際のベッドへ移動した。
「さて、寝ましょうか」
「せ、先生! 先生も私のこと」
「駄目ですよ、煌時くん」
急に名前を呼ばれて息をのむ生徒。
「答え合わせは、君が大人になるまで禁止です」
玄関の扉を開けた途端、父から強烈な抱擁を受けた息子は「ぐえっ」と呻いた。
何か問題はなかったかと聞かれ、すんなり何もないと答えた私とは裏腹に、動揺する彼。ほんの短い時間ではあったが、父親が気がつくには充分すぎた。
麦わら帽子を両手で掴み、更に深くかぶって自室へと駆け込んでいったあの子。見送った父親が、次の瞬間には私を鬼の形相で睨んだことは言うまでもない。
テーマ「麦わら帽子」
ガタンゴトン
ガタンゴトン
体に伝わる振動が、これから始まる旅への期待値を否が応でも高めてくれる。
私と先生は課外授業と称し、隣県にある恐竜博物館へと向かっていた。
きっかけは、金曜ロードショーで観た映画。翌日の授業中もずっと興奮状態だった私を見かねて、先生が提案してくれた。
私は恐竜に会えるワクワク感と、大好きな先生との旅行という至福の時間に心躍らせていた。
「先生、実際のヴェロキラプトルは映画のより小さかったって本当ですか?」
「そうらしいね。博物館で確かめたらいいですよ」
「はい、そうします!」
私は先生といられるのが嬉しくて、ついついたくさん話しかけた。先生は穏やかに笑って相手をしてくれた。
博物館は本当に楽しかった。いろいろな生き物の化石が見られたし、学芸員さんが面白い話を聞かせてくれたり、発掘体験をさせてくれたりした。これ以上ないほどの楽しい思い出となった。
はずなのだが。
「……先生、ここは?」
「……終点ですねぇ」
日中はしゃぎ過ぎた私は、帰りの電車の中で眠ってしまったらしい。小学生だし、それくらいは許してほしい。
ところが先生までもつられて寝入ってしまったらしく、私たちは見ず知らずの駅で降りる羽目になった。
たしかに、少しばかり先生を振り回してしまった自覚はある。でもまさか2人して寝過ごすとは。まったくの予想外だ。
「どうやって帰るんですか?」
「バスで、と思ったけど、この辺はもう終わっちゃってるね。仕方ない、高くつくけどタクシー呼びますか」
「お金足りるんですか?」
「心配ないですよ」
先生はそう言ってスマホを耳に当てた。
先生が電話している間、私は蟻の行列でも観察していよう。そう思ってしゃがもうとした時、先生が悲嘆の声をあげた。
「え、1台も無理なんですか?」
『ええ、今日その辺りでアイドルのイベントがあったようで。この時間は予約で埋まってるんです。申し訳ありません』
「そうですか……」
『2時間程したら空くと思いますが、どうされますか?』
「2時間……」
先生は私の顔を見た。
「いえ、大丈夫です。いえいえ、そんな。はい、ありがとうございます。失礼します」
電話を切った先生はふーっと息を吐いた。
「ホテルを探しましょう」
「やったあー!!」
ついに、念願の、先生とお泊り♡
私は人目もはばからずに万歳をした。
テーマ「終点」
「むむ……」
「先生、どうかしましたか?」
背後で唸った私を気にして、問題を解く手を止めて振り返る我が生徒。
私の大学もこの子の小学校も、夏季休暇に入った。
昨年度よりも良い成績を取れたとニコニコで帰ってきた生徒。私に通知表を見せて可愛らしくドヤった後、「先生のおかげ!」と笑ってくれた。
大学のほうも今期の成績が発表されたが、この子と違って思わしくない結果だった。
家庭教師の仕事が楽しくて、つい指導準備に時間を割いてしまい、夜ふかしする日が多かったのが原因だろう。
大学生の本分を疎かにしてしまった私は、このままこの子の先生でいて良いのか迷ってしまう。
「う〜ん、大学の成績がちょっとね」
「良くないんですか? 先生でもそんなことあるんだ」
「はは、私も人間だからね」
「完璧超人かと思ってた。もしくは妖怪」
「あ、そんなこと言ってると先生辞めちゃうぞ〜」
「ウソウソ!! ごめんなさいやめないで!!」
明るく冗談を交わしているように見えても、きっとこれがこの子の本音。私だって辞めたくはない。
「たまにはいいじゃん、悪くたって。あ、先生の親が厳しいんですか?」
「いや、両親は」
ガチャ
「おやつた〜いむ♪」
突然開いたドアに目線を向けると、ロールケーキの乗ったお盆を持った家主が現れた。
「宿題は捗ってるかい?」
「うん、や……まぁまぁかな」
「ほう? じゃあエネルギーチャージして頑張りなされ!」
「はぁい」
ロールケーキを食べ終えた生徒は、素直に机に向かった。
私は再び自分の成績表とにらめっこする。
両親は私に興味がない。海外で仕事をしており、もう何年も会っていない。最低限の生活費と授業料は振り込んでくれるが、その他に必要なお金は自分で稼いでいる。
卒業したら、その最低限の支援すらなくなる。恐らく親子の縁も切れるだろう。
私が良い成績を目指すのは将来のため。親に頼らず生きていけるよう準備しておく必要があるからだ。
将来、か……
私は何を目指しているのだろう。
何者になれるだろう。
「ねぇ、先生ってば!」
我に返った私は、いつの間にか目の前に立って私を見下ろしていた生徒と目が合った。
「ん? どうしました?」
「今日の分の宿題と先生の課題、終わりました」
「おお、はやいね」
ふふん、と嬉しそうに目を閉じる生徒。私は課題を回収し採点を始める。
「先生、まだ悩んでたんですか?」
「いや、悩んでもしょうがないし、来期で取り返すよ。君への指導時間を減らしてもらうかもしれないが、その分クオリティは上げるし、自分の勉強もちゃんとやる」
「……」
そう、次こそは。
バイトと勉強、上手く両立しなくては。
「大丈夫、きっと上手くいきます。私、妖怪ですから」
暗くなった生徒を元気づけたくて、わざと明るい調子で言う。指導時間が減るのは私も寂しい。でも上手く立ち回るには仕方のないことだ。
「先生、私のこと教えてるせいで大変なんですよね」
私は手を止めて生徒の顔を見た。
「先生は、家庭教師やるの、つらい?」
「……いいや。君みたいな生徒を教えられて、この上なく幸せだよ」
優しい生徒の質問に、微笑んで答える。本心だ。
「よかった。なら遠慮なく言えます」
「ん? 何を?」
軽く目を閉じ、すぅっと息を吸って。
「『上手くいかなくたっていい』」
その言葉を聞いて、私は自然と赤ペンを置いていた。
「『下手くそなやり方だとしても、楽しんで続けることのほうが大切だ。かっこ悪くてもいい。そうやって生き残っていれば、評価してくれる人と必ず出会える』」
「……誰の言葉?」
「私の恩師です」
我が生徒はニカッと笑って、ベッドに寝転んだ。両腕で顔を覆っている。照れ隠しだろう。
算数の文章問題を教えていた時、たしかそんな話をした。アプローチさえ正しければ、正解に届かずとも部分点がもらえる。そんな意味で発した言葉だったが、この子はそれ以上の意味を見出してくれた。
「良い言葉だね」
「良い先生ですから」
君は良い生徒だ。
ありがとう、煌時くん。
テーマ「上手くいかなくたっていい」
「ただいまー!」
「おかえりなさいませ♡」
元気よく帰宅の挨拶をしてくれた我が子に、渾身のハグを御見舞する。
「もう、暑いよぉ」
嫌がってみせるが、本心ではない。その証拠に、口角が上がっている。
「今日は何をされた?面白いことはござったか?」
「なんで侍?」
私の子はボケたらちゃんとツッコんでくれる良い子なのだ。
「友達が育ちを自慢していたのですが、意味がよくわからなくて。『腸よ鼻よと育てられた』そうです。なぜそれが自慢になるのですか?」
「ハッハッハ!それは『蝶よ花よ』ですな!子どもを大変可愛がることをそう言うのです。まさに私と貴方様の関係ですな!」
「なるほど、あいわかった。ほめてつかわす」
簡単な説明で納得したらしい。口調も合わせてくれたし、ウチの子天才かもしれぬ。
「有り難き幸せ。それはさておき、今日のおやつはシュークリームですぞ!」
「ほんと!?やったあ!」
シュークリームはこの子の好物だ。しかし、喜んだのは自身のためだけではないことを私は見抜いている。
シュークリームは、ヤツの好物でもあるのだ。
我が子を指導してくれる優秀な家庭教師を捕まえて『ヤツ』とは、いささか失礼であることは自覚している。
だがしかし、私にはヤツを敵視する理由があるのだ。
私の宝、私の天使、私の命たる我が子は……
ヤツをめっちゃ好いているのである!!
もう夢中なのである!!
なんなら恋しているのである!!!!
別に手を出されたとか、そんなことはない。出されていたらとっくに処している。
だがヤツの様子を見るに、あの子から向けられる気持ちをきっぱり拒絶していない!
いやまぁ、あの子を傷つけたら処すんだが……
いやでも、ヤツはきっと、あの子の純粋さを弄んでいるのだ。そうに違いない。
いくら容姿端麗で成績優秀で武芸百般に通ずるからといって、あの子のパートナーに相応しいとは限らない。
何と言ってもあの子はまだ子ども、私がヤツの本質を見極めてやらねば!
「というわけです」
「そういうわけでしたか」
指導時間終了後、珍しく先生を駅まで送ってくると言って家を出た私。
一緒に行くと言い出したあの子を宥めるのには苦労した。
最終的にヤツの一言で留守番を受け入れたあの子を見るのは複雑な気分だったか、目的達成のためには致し方ない。
「それで、先生はどうなさるおつもりで?」
「そうですね……確かに、師弟の枠を超えて好かれているのは感じています」
だろうとも。
「そのうえで……正直に申しますと、私自身はそのことを非常に嬉しく思っています」
「え゙!?」
「ああ、早合点なさらないでください。お子さんと今すぐどうこうなろうとは考えていません」
「しょ、将来的にはアリだと!?」
「先のことはわかりませんよ。未来が見えるわけでもあるまいし」
先生は飄々と答えてみせる。
私のほうは狼狽するばかりで、年下になったかのようだ。
「ただ、これだけは言えます」
先生はふと足を止めて、私の目を真っ直ぐに見つめた。
「私はあの子を、蝶よりも花よりも大切に思っています」
あまりにも真剣な言葉と視線。その圧力下で、私の喉は音を発することができなかった。
「今は良いではないですか、それだけで」
先生はそう言って笑うと、駅の雑踏へと消えていった。
テーマ「蝶よ花よ」