真愛つむり

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「むむ……」

「先生、どうかしましたか?」

背後で唸った私を気にして、問題を解く手を止めて振り返る我が生徒。

私の大学もこの子の小学校も、夏季休暇に入った。

昨年度よりも良い成績を取れたとニコニコで帰ってきた生徒。私に通知表を見せて可愛らしくドヤった後、「先生のおかげ!」と笑ってくれた。

大学のほうも今期の成績が発表されたが、この子と違って思わしくない結果だった。

家庭教師の仕事が楽しくて、つい指導準備に時間を割いてしまい、夜ふかしする日が多かったのが原因だろう。

大学生の本分を疎かにしてしまった私は、このままこの子の先生でいて良いのか迷ってしまう。

「う〜ん、大学の成績がちょっとね」

「良くないんですか? 先生でもそんなことあるんだ」

「はは、私も人間だからね」

「完璧超人かと思ってた。もしくは妖怪」

「あ、そんなこと言ってると先生辞めちゃうぞ〜」

「ウソウソ!! ごめんなさいやめないで!!」

明るく冗談を交わしているように見えても、きっとこれがこの子の本音。私だって辞めたくはない。

「たまにはいいじゃん、悪くたって。あ、先生の親が厳しいんですか?」

「いや、両親は」

ガチャ

「おやつた〜いむ♪」

突然開いたドアに目線を向けると、ロールケーキの乗ったお盆を持った家主が現れた。

「宿題は捗ってるかい?」

「うん、や……まぁまぁかな」

「ほう? じゃあエネルギーチャージして頑張りなされ!」

「はぁい」

ロールケーキを食べ終えた生徒は、素直に机に向かった。

私は再び自分の成績表とにらめっこする。

両親は私に興味がない。海外で仕事をしており、もう何年も会っていない。最低限の生活費と授業料は振り込んでくれるが、その他に必要なお金は自分で稼いでいる。

卒業したら、その最低限の支援すらなくなる。恐らく親子の縁も切れるだろう。

私が良い成績を目指すのは将来のため。親に頼らず生きていけるよう準備しておく必要があるからだ。

将来、か……

私は何を目指しているのだろう。

何者になれるだろう。


「ねぇ、先生ってば!」

我に返った私は、いつの間にか目の前に立って私を見下ろしていた生徒と目が合った。

「ん? どうしました?」

「今日の分の宿題と先生の課題、終わりました」

「おお、はやいね」

ふふん、と嬉しそうに目を閉じる生徒。私は課題を回収し採点を始める。

「先生、まだ悩んでたんですか?」

「いや、悩んでもしょうがないし、来期で取り返すよ。君への指導時間を減らしてもらうかもしれないが、その分クオリティは上げるし、自分の勉強もちゃんとやる」

「……」

そう、次こそは。
バイトと勉強、上手く両立しなくては。

「大丈夫、きっと上手くいきます。私、妖怪ですから」

暗くなった生徒を元気づけたくて、わざと明るい調子で言う。指導時間が減るのは私も寂しい。でも上手く立ち回るには仕方のないことだ。

「先生、私のこと教えてるせいで大変なんですよね」

私は手を止めて生徒の顔を見た。

「先生は、家庭教師やるの、つらい?」

「……いいや。君みたいな生徒を教えられて、この上なく幸せだよ」

優しい生徒の質問に、微笑んで答える。本心だ。

「よかった。なら遠慮なく言えます」

「ん? 何を?」

軽く目を閉じ、すぅっと息を吸って。

「『上手くいかなくたっていい』」

その言葉を聞いて、私は自然と赤ペンを置いていた。

「『下手くそなやり方だとしても、楽しんで続けることのほうが大切だ。かっこ悪くてもいい。そうやって生き残っていれば、評価してくれる人と必ず出会える』」

「……誰の言葉?」

「私の恩師です」

我が生徒はニカッと笑って、ベッドに寝転んだ。両腕で顔を覆っている。照れ隠しだろう。

算数の文章問題を教えていた時、たしかそんな話をした。アプローチさえ正しければ、正解に届かずとも部分点がもらえる。そんな意味で発した言葉だったが、この子はそれ以上の意味を見出してくれた。

「良い言葉だね」

「良い先生ですから」

君は良い生徒だ。
ありがとう、煌時くん。

テーマ「上手くいかなくたっていい」

8/10/2024, 7:17:21 AM