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5/10/2026, 2:22:28 PM

モンシロチョウ

多分、偶然だった。
その日、白くてヒラヒラものが目の前を通り過ぎて行った。ちょうちょだと思って、視線を向けたらかなり先にいた。
足を向けたのは一体なぜだったか。
兄弟の中でも小さいもの達と一緒に蝶を追いかけたことがあった。春、温かい日差し。笑いながら、広い庭を探検しながら追いかけた。やがて一匹が二匹になって、くるくると回りながら飛んでいくのを、兄弟達と見送った。
だから、きっと思い出に引かれたのだろう。
とんとん、たたとん、ととたんたん。すっきりとした青空がステップを誘う。
広い庭から家屋の方へ。飛んでいた蝶は、突然羽を休めた。
探検も休憩。その場に腰を下ろして蝶を見る。その奥に、見覚えのある空色があった。数の多い弟達をいつも率いている長兄が、外廊下を進んでいた。歩みの先には執務室。そろそろ休憩の時間だろうか。
そういえば、いつか外廊下に兄がぼんやりと座っていたことがあった。あの頃の兄は不安げで、寂しそうで、話しかければ切なそうに笑っていた。
唐突に思い出して、はっとして視線を戻せば、兄は既に執務室の中。目を引く空色の髪は障子の向こう。
蝶が飛び立つ。どこからかもう一匹やってきて、寄り添いながら飛んでいく。
兄と審神者がいるはずの部屋の前にしばらく戯れてから、二匹はどこかへ飛んで行った。

多分偶然だ。
蝶からカサカサと音がしたのも、その音が、かつてこの本丸の審神者だった男が使っていた式からするのと同じだったことも。
悪戯が好きだった彼の、驚く男士を見る時の笑顔が、かすかに浮かんだ気がした。

5/10/2026, 3:24:32 AM

忘れられない、いつまでも。

彼女が元の場所へ帰ってしまってから、この想いに気づいて。弟達を羨みながら過ごす私は、いつの間にか簪を手に取っていた。
桃色の花の簪。あの長く艶やかな黒髪によく似合うだろう。
どこにいるのかも知らないのに、知ることができた気持ちを忘れたくなくて。
いや、忘れられなくて。
ひとり簪に目を落としながら、彼女を想う。
絶対にまた会わせるからと主が言った、いつかの日を待ちながら。

5/9/2026, 12:53:27 AM

一年前

再会から一年、出会ってから六年。
よくここまで来たと思う。我ながら最悪な第一印象から一転、いまや恋人同士待ったなし。
しかしながら、あと一歩が踏み出せない。
そうであるから、弟達や好敵手であったはずの初期刀殿にまでこんな作戦を取らせてしまった。

作戦名、たったふたりでお留守番大作戦。

5/7/2026, 1:59:38 PM

初恋の日

初めて恋に落ちた日を覚えている人は、この世にどれくらい存在しているのだろうか。
何を隠そう、私はその日を覚えているひとりである。

一目惚れ、というものではないと思う。
人の器を得て数日。執務室にて近侍として勤務している最中。突然押し入れから現れた彼女。
吸い込まれそうな黒い目。纏った白い衣に流れる艶やかな黒髪。乾燥で若干荒れが見えるが果実のように赤い唇。
目が合った。息を飲んだ。確かに瞬きひとつ分ほど見惚れたかもしれない。しかし、侵入者に対して心を奪われるような失態は犯さなかった。

ではいつ恋をしたのか。残念ながらこの時この瞬間と、はっきり言えるわけではない。
彼女が帰るその直前までの短い時間。その中でともに過ごしながら、じわじわと私の心は傾いていった。
緊張で体を硬くしながらも、震える唇で自身の考えを述べる強さ。組織のためなら己が犠牲になる方法も迷わず取ろうとする無鉄砲さ。実際その時になれば、止める声も耳に入らず走り出し、犠牲を出さずに全てを守り切ってしまう底力。危うくて、いじらしくて、眩しい。別れる時には既に、彼女表情が脳裏に焼きついていた。

それが恋なのだと知ったのはもう少し後のこと。仕事をしていても食事をしていても買い出しに出ていても、ことあるごとに彼女が浮かんだ。自分で思っているよりも楽しい時間を過ごしたのだと、だから思い出に浸ってしまうのだと思っていた。けれどそれは違ったらしい。

それ、恋っていうんだよ。

こちらをからかっているようなふざけた真顔ではなく、自分のことのように嬉しそうな笑みで、彼は言った。
すとんと胸に落ちて、恋に落ちていることを知った。

恥ずかしさや情けなさはなかった。ただ、すぐに伝えに行けないことがもどかしかった。
手を取って、目を見て、言いたかった。彼女がどこにいるのか知りたかった。
彼に尋ねても、会える方法を探している、絶対に会わせると返ってくるだけ。私は待つだけしかできなかった。
大事に大事に温めながら、ひたすら待った。
何百年と存在する自身にも、時間を早送りしてほしいと思う日が来るなんて思っていなかった。

彼との別れ、仲間との別れを経て、その時はやってくる。
もうこの想いを伝える気はない。もはや、恋などという可愛らしいものではなくなってしまった。
けれど、せめて想いを温めた日々を、人知れず供養させてほしい。
心の中で呟くくらいは許されるだろうか。

久し振りに私の前に現れた彼女は、あの日と変わらない姿をしていた。

二度目の初めまして。貴女に恋をしています。

5/6/2026, 11:06:28 AM

明日世界が終わるなら……

誰が終わると言ったって、たとえわたしの神様である貴方が、世界の閉幕を宣言したって、きっと毎日のルーティーンをこなすのだろう。
あの審神者のいない本丸でもそうだった。できることをするしかできなかった。
あれがしたかった、あれが食べたかったなんて、何も思い浮かばなかった。今思えば、現実を上手く理解できていなかっただけという可能性もある。
けれど、これは本当に不思議な話だけれど。
世界なんて、ちっぽけなわたしにはどうにもできないざっくりと大きそうなものではなくて、もしもそれが、わたしの本丸だとしたら。
明日、本丸を閉めなければならないとしたら。
何も手につかないかもしれない。
泣くこともできず、酒を飲んで忘れることもできず、お別れパーティーで馬鹿騒ぎすることもできず。
静かに、1番景色が良い部屋で、男士たちの声を遠くに聞きながら、ぼんやりと庭を眺めることしかできなくなるような気がする。
だから、そんな最後を迎えるくらいならば、この本丸で時間遡行軍と相打ちになって華々しく散りたいと、そう思ってしまう。
けれどそれは口に出してはいけない願い。
一度言葉にしてこぼしてしまったならば、きっとまた閉じ込められてしまう。
この気持ちは、死ぬまで大切に大切にしまっておきます。
でも、貴方は勘づいてそう。
男士たちの闘う姿を見守るわたしを、たまにじっと見ていること。その顔が、真剣で、難しくて、美しくて、とても悲しいこと。本当は気づいてる。
一度だけ、視線に耐えられなくなって、なんて顔してるんですか、と尋ねたことがあった。
貴方の頬に当てたわたしの手を、貴方はその大きな手で包んで、一言、だめですよと。
普段弟達に言うように、厳しく、温かく。
わたしは笑うことしかできなかった。
頷くことはできないけれど、この本丸が長くあるために、できるだけ自分のことを大切にしていく。
いつか、わたしのセカイが終わる時まで。

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