初恋の日
初めて恋に落ちた日を覚えている人は、この世にどれくらい存在しているのだろうか。
何を隠そう、私はその日を覚えているひとりである。
一目惚れ、というものではないと思う。
人の器を得て数日。執務室にて近侍として勤務している最中。突然押し入れから現れた彼女。
吸い込まれそうな黒い目。纏った白い衣に流れる艶やかな黒髪。乾燥で若干荒れが見えるが果実のように赤い唇。
目が合った。息を飲んだ。確かに瞬きひとつ分ほど見惚れたかもしれない。しかし、侵入者に対して心を奪われるような失態は犯さなかった。
ではいつ恋をしたのか。残念ながらこの時この瞬間と、はっきり言えるわけではない。
彼女が帰るその直前までの短い時間。その中でともに過ごしながら、じわじわと私の心は傾いていった。
緊張で体を硬くしながらも、震える唇で自身の考えを述べる強さ。組織のためなら己が犠牲になる方法も迷わず取ろうとする無鉄砲さ。実際その時になれば、止める声も耳に入らず走り出し、犠牲を出さずに全てを守り切ってしまう底力。危うくて、いじらしくて、眩しい。別れる時には既に、彼女表情が脳裏に焼きついていた。
それが恋なのだと知ったのはもう少し後のこと。仕事をしていても食事をしていても買い出しに出ていても、ことあるごとに彼女が浮かんだ。自分で思っているよりも楽しい時間を過ごしたのだと、だから思い出に浸ってしまうのだと思っていた。けれどそれは違ったらしい。
それ、恋っていうんだよ。
こちらをからかっているようなふざけた真顔ではなく、自分のことのように嬉しそうな笑みで、彼は言った。
すとんと胸に落ちて、恋に落ちていることを知った。
恥ずかしさや情けなさはなかった。ただ、すぐに伝えに行けないことがもどかしかった。
手を取って、目を見て、言いたかった。彼女がどこにいるのか知りたかった。
彼に尋ねても、会える方法を探している、絶対に会わせると返ってくるだけ。私は待つだけしかできなかった。
大事に大事に温めながら、ひたすら待った。
何百年と存在する自身にも、時間を早送りしてほしいと思う日が来るなんて思っていなかった。
彼との別れ、仲間との別れを経て、その時はやってくる。
もうこの想いを伝える気はない。もはや、恋などという可愛らしいものではなくなってしまった。
けれど、せめて想いを温めた日々を、人知れず供養させてほしい。
心の中で呟くくらいは許されるだろうか。
久し振りに私の前に現れた彼女は、あの日と変わらない姿をしていた。
二度目の初めまして。貴女に恋をしています。
5/7/2026, 1:59:38 PM