まとー(しばらくお休み)

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4/2/2025, 11:17:16 PM

テーマ『空に向かって』

開け放たれた障子の向こう。手入れされた庭、よく晴れた空。そこへ向かって、布団の中から手を伸ばす。その手は、以前よりやせ細っていた。

「殿と共に、平和な世を目指す」。そのために、ずっと槍を振るってきた。勝利も敗北も味わった。仲間たちと研鑽の日々を送ったり、時には汚れ仕事をすることもあった。
「平和な世など、訪れるわけがない」と言われることもあったが、それでも俺はただ夢に向かって突き進んできた。……それだけだったのに。

病に倒れたのはひと月ほど前。最悪なことに不治の病だった。まだ、やるべきことはいくらでもあるというのに、体は言うことをきかない。こうして日がな一日、何もできないでいるというのは酷くつまらなかった。
(いっそあの戦で、華々しく散っていればよかったか)
最近は、そんな考えすら過ぎってしまう始末だ。

目に浮かぶのは、これまで駆けてきた戦場。上がる鬨の声、漂う血と鉄の臭い、死と隣り合わせの感覚。
庭では春を告げる鳥が鳴き、桜の花びらが風に乗って近くに落ちる。まさに「平和な世」だ。俺だけが、それを享受させられている。

俺はまた、空へ向かって手を伸ばした。もう届くことのない、空《ゆめ》に。

4/1/2025, 11:03:30 AM

テーマ『はじめまして』

「はじめまして。私《わたくし》、こういう者です」
そう言って貼り付けた笑みを浮かべて名刺を差し出す女は、正直に言えばあまりにも胡散臭かった。

「公民館に幽霊が出る」
そんな噂が流れ始めたのは一ヶ月ほど前。あまり使われていない部屋に子供の霊が出るとか、ラップ音がするだとか助けを求める声が聞こえるとか、まぁありきたりな怪談だ。
俺自身は全く信じてなかったし見たこともなかったが、噂を面白がってやってくる子供がいたり、逆に怖がってなんとかしてほしいと連絡してくるお年寄りがいたりする。公民館の職員としては「放っておけばそのうち噂も収まるだろう」と適当に流したかったが、意外とこういうのを信じるタイプだった館長が霊能者を呼んでしまった。しかも本来なら他の職員が対応するはずが、そいつが今日になって風邪で休んだせいで俺に回ってきた。心底面倒くさい。
極めつけには来た"自称"霊能者だ。黒い着物を着て、数珠やら怪しげなお札やらを手に持つ姿は「胡散臭い」としか言いようがなかった。

噂となっている部屋まで案内すれば、女は「これはまた……」と意味ありげに呟いて入る。どうせ演技だろう。
女は部屋に盛り塩をしたり、お札のようなものを貼ったりブツブツとお経じみたことを言ったりとよく分からないことをしていた。別に邪魔をするつもりもないし、かと言って放置して他の仕事をするわけにもいかないので、俺は廊下でただ待っていた。本でも持ってくればよかったな。
30分くらい経ってから、「終わりましたよ。これで怪異はもう起こりません」と少し疲れた様子の女が部屋から出てきた。
「そうですか。ありがとうございます」
定型句を言いながら部屋を覗けば、特に何も変わっていなかった。

やっぱり詐欺だったのでは。そう思ったが、女が帰ってから噂はぱったりとおさまった。それはもう、不気味なくらいに。

3/31/2025, 11:13:56 AM

テーマ『またね!』

高校を卒業した春休み。東京でひとり暮らしを始める友達と一緒に遊んだ。
今どきは多少離れてもメッセージアプリでやりとりできるし、友達も夏休みとかには帰ると言ってる。けど、毎日のように遊んでいた仲だからやっぱり寂しい。
名残惜しそうに時間ギリギリまで遊んで、夕方になってから帰ることにした。
「じゃあ私、こっちだから」
「うん」
分かれ道で手を振って「またね!」といつものように言った。ちょっとびっくりした様子の友達を見て、(明日から会えないのに、何言ってるんだろう、私)となんだか恥ずかしくなってきた。でも。
「またね!」
満面の笑みでそう振り返した友達に、目頭が熱くなった。

3/31/2025, 1:48:38 AM

テーマ『春風とともに』

春の暖かな日差し、満開になった桜の元。ジュージューと肉の焼ける音が響く。
手に持つカップにはなみなみと酒が注がれ、皆楽しそうに騒いでいる。
そう、バーベキューだ。
まさに花より団子と言わんばかりに肉を食べ、酒を飲み、友人とどうでもいいことで笑いあう。
春風とともに運ばれてくるのは肉の焼ける美味しそうな匂い。完全に桜の香りも風情もかき消されている。
皆、花見と言いつつ理由をつけて騒ぎたいだけなのだ。自分も含めて。

3/30/2025, 6:45:13 AM

テーマ『涙』

「血も涙もない」と恐れられる男が涙するところを見た。
男は優秀だが冷酷な軍師であり、軍議の場ではたびたび皆が引くようなえげつない策を提案する。確かにその策は効果的で、国を勝利に導いてきたことは間違いない。だが、氷のような端正な顔立ちも相まって、人を人と思わないだの、心がないなどと陰口を叩く者もいた。

その夜はなかなか寝付けず、月も明るいし少し散歩でもするか、と向かった河辺でその軍師を見かけた。また策でも練っているのか、と思ったところでこちらに気づいたようで振り向いた。
「将軍。こんな夜更けにどうした?」
「俺はちょっとした散歩だが……どうしたと言いたいのはこちらのほうだ。その顔。何かあったのか」
普段は凍てついたような冷たい目が、少し腫れていた。先ほどまで泣いていたのを隠しているのは明白だった。
「何か……か。そうだな、隠すほどのことではない。母が亡くなった、との知らせだ。以前から病に伏せってはいたが」
そう言う手には書状があった。
「それは……お悔やみ申し上げる」
誰にでも親はいて、その死には涙する。そんな当たり前のことがこの冷酷と言われる男にも当てはまることに、少なからず意外だと思ってしまった。
「心配せずとも、明日の軍議にはいつも通り出る」
そう言っていつもの氷のような無表情をするが、明らかに無理をしているのが分かった。
「馬鹿者! 母親の葬儀に顔を出さない息子がどこにいる!」
こんなときでも国を優先する姿に苛立ちを覚え、大声を出して軍師の両肩を掴んだ。軍師の双眸は驚きに見開かれ、氷の表情はたちまち解ける。
「だが、私がいなければ」
「軍議など後からどうとでもなる! 一度や二度休んだところで誰も文句は言わん! いや俺が言わせん!」
矢継ぎ早に言いながら、この男が休んだところを見たことがないと気づいた。国に尽くすのは結構だが、母親の死に目に会えないほど無理をすることはない。
「いいからさっさと帰って身支度をしろ!
殿には俺から言っておく!」
そう言って肩から手を離せば、「……世話になるな」とだけ言って軍師は屋敷へ戻っていった。
その背を見送ってから頭をかく。余計に目が冴えてしまった。
自分の母親が死んだときのことを思い出す。ちょうど遠征中で、戻ってきたときには葬式もすでに終わった後だった。
あんな思いはしてほしくない。そう思っただけだった。

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