まとー(しばらくお休み)

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3/28/2025, 12:07:33 PM

テーマ『小さな幸せ』

「20代が終わった……」
朝の挨拶もそこそこに、息子はそんなことを言い出した。
今日は息子の30才の誕生日だ。無事社会人にはなったものの、会社からの距離が近いとかで実家暮らしをしている。

出勤のために玄関で靴を履いているところで、誕生日プレゼントは何がいいか聞いた。
「もう誕生日がうれしい年じゃないって」と言われるが、母にとって息子はいつまで経っても子供だ。
「あ、一つあった」
そう言って少し照れ臭そうに頬をかく。
「母さんが健康で長生きすること。じゃ、行ってくる」
よほど気恥ずかしかったのだろう。早口で言うと、鞄を持ってすぐに外へ出てしまった。
パタン、と扉が閉まる音がしてから「行ってらっしゃい」と言う。唐突にそんな嬉しいことを言われたから、反応が遅れてしまった。
元々誕生日ケーキは買うつもりだったが、いつもより少し高いものにしてしまおうか。そんなことを考えてしまう。
こういうのを、小さな幸せと言うのだろう。

3/28/2025, 7:23:02 AM

テーマ『春爛漫』

桜の花びらが、春の暖かな風と共にふわりと運ばれてくる。どこか遠くで、城の皆が楽しそうに騒ぐ声が聞こえる。
盃を一息に呷《あお》れば、喉の奥が熱くなる。桜の元で呑むだけで、どうしてこうも旨く感じるのか。
「お酌でもしてやろうか?」
声に振り向けば、そこには困ったように笑いかける友がいた。ひと月前に討ち死にしたはずの、友が。
――生きていたのか。
そう言いかけて口をつぐむ。
これは、夢だ。

しんしんと降る雪が、冬の寒さと共に積もっていく。戦の喧騒が城の中にまで迫っていた。
今日、この城は落ちる。
城主たる私の命はないだろう。とうに覚悟はできていたつもりだったが。

あの春爛漫の景色を夢見る程度には、心残りがあったらしい。

3/27/2025, 5:10:26 AM

テーマ『七色』

スマホの画面が七色に輝いて、俺は歓喜の声を上げた。
ガチャの最高レア確定演出だ。少なくない回数を回してやっと来たので、これでお目当てのキャラじゃなかったらかなりヘコむ。
ふいに画面が真っ暗になった。
「え」
次の瞬間には見慣れたロゴマークが画面に映る。スマホが勝手に再起動したと理解し、俺は凍りついた。
ちゃんと引けたのだろうか。それともあの七色の輝きは幻覚だったのか。そんな不安を抱きつつ、ゲームアプリを起動する。真っ先にガチャ履歴の画面に移動すれば、そこにはお目当ての、愛して止まないキャラの名前があった。
「よかった……」
虹のような幻でなかったことに、心の底から安堵した。

3/26/2025, 2:06:23 AM

テーマ『記憶』

今にも崩れんばかりの書類の山に埋もれるようにして、僕は筆を走らせていた。
領土の拡大と共に膨れ上がる仕事。路頭に迷うよりはまだいいが、こうも忙しいのも大変だ。
「失礼します」
控えめに戸を叩く音と共に役人が部屋に入ってくる。彼の抱える書類の束を見てため息を付きそうになるのをこらえる。
「そっちの籠に入っているのはもう終わったから、持って行ってくれ」
「こちらですね」
役人は空いた場所に書類を置くと、代わりに同じくらいの山を抱えて出ていった。

すっかり冷めきった茶を一口飲んでから、次の書類を手に取る。
それに書かれていたある地名が目に止まった。遠く離れた故郷だ。もう何年も帰っていない。
記憶にあるのは、かつて同じ師の元で学んだ旧友たち。皆、僕と比べるべくもなく優秀だった。「世界をひっくり返してみせる」。そう豪語したかつての友は、風の便りで派手なことをしていると聞く。
あのとき、自分はどんな夢を語っただろう。そもそも語る夢などあっただろうか。
何も書かれていない書類を前に、筆が止まった。

3/24/2025, 12:06:04 PM

テーマ『もう二度と』(青空文庫記法のルビ使用。|漢字《ルビ》)

「げっ」
その男の顔を見た瞬間に、思わずそんな声が漏れた。
当然だ。この世で一番ぶん殴りたい顔がそこにあるのだから。
「人の顔を見た途端にげっ、とはなんだ」
先ほどまで将軍達と談笑していた柔らかな表情を一瞬で消して、奴はこちらを向く。
「なんで貴様までいるんだ。いたら参加しなかったぞ」
「これだけの規模の連合軍でいないと考える馬鹿がいるのか? ああ、目の前にいたな」
「あ゛?」
相変わらずの態度に思わず拳を握りしめる。が、連合軍の顔合わせの場で殴り合いなどしようものなら後の立場が悪くなる。こんなところで喧嘩は買うまい。
俺達のただならぬ気配に、近くにいた将軍達は引きつった笑みで軽く奴に挨拶をして離れていく。ふん、根性なしめ。
「ま、君と轡《くつわ》を並べる機会なんて、こんなことでもないとありえないだろうね」
「まったくだ。忌々しい」
吐き捨てるように返してから「もういっそ帰るか」という考えすら過ぎる。だがそんなことをすれば奴にどんな嫌味を言われるか簡単に想像がつく。
それに、奴の言った通りこんな機会はもう二度とない。今まで敵として何度もぶつかり合ってきた相手の、味方としての姿が見れるのだ。連合軍が解散した後の布石も打てよう。

そう思うと連合軍に参加したのも悪くない気分になってきた。
さて、どうしてくれようか。

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