まとー(しばらくお休み)

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テーマ『涙』

「血も涙もない」と恐れられる男が涙するところを見た。
男は優秀だが冷酷な軍師であり、軍議の場ではたびたび皆が引くようなえげつない策を提案する。確かにその策は効果的で、国を勝利に導いてきたことは間違いない。だが、氷のような端正な顔立ちも相まって、人を人と思わないだの、心がないなどと陰口を叩く者もいた。

その夜はなかなか寝付けず、月も明るいし少し散歩でもするか、と向かった河辺でその軍師を見かけた。また策でも練っているのか、と思ったところでこちらに気づいたようで振り向いた。
「将軍。こんな夜更けにどうした?」
「俺はちょっとした散歩だが……どうしたと言いたいのはこちらのほうだ。その顔。何かあったのか」
普段は凍てついたような冷たい目が、少し腫れていた。先ほどまで泣いていたのを隠しているのは明白だった。
「何か……か。そうだな、隠すほどのことではない。母が亡くなった、との知らせだ。以前から病に伏せってはいたが」
そう言う手には書状があった。
「それは……お悔やみ申し上げる」
誰にでも親はいて、その死には涙する。そんな当たり前のことがこの冷酷と言われる男にも当てはまることに、少なからず意外だと思ってしまった。
「心配せずとも、明日の軍議にはいつも通り出る」
そう言っていつもの氷のような無表情をするが、明らかに無理をしているのが分かった。
「馬鹿者! 母親の葬儀に顔を出さない息子がどこにいる!」
こんなときでも国を優先する姿に苛立ちを覚え、大声を出して軍師の両肩を掴んだ。軍師の双眸は驚きに見開かれ、氷の表情はたちまち解ける。
「だが、私がいなければ」
「軍議など後からどうとでもなる! 一度や二度休んだところで誰も文句は言わん! いや俺が言わせん!」
矢継ぎ早に言いながら、この男が休んだところを見たことがないと気づいた。国に尽くすのは結構だが、母親の死に目に会えないほど無理をすることはない。
「いいからさっさと帰って身支度をしろ!
殿には俺から言っておく!」
そう言って肩から手を離せば、「……世話になるな」とだけ言って軍師は屋敷へ戻っていった。
その背を見送ってから頭をかく。余計に目が冴えてしまった。
自分の母親が死んだときのことを思い出す。ちょうど遠征中で、戻ってきたときには葬式もすでに終わった後だった。
あんな思いはしてほしくない。そう思っただけだった。

3/30/2025, 6:45:13 AM