死んでほしい、と思うほど誰かに心を向けたことはありますか。
無関心ではいられなかった、その感情の行き着く先を、あなたは知っていますか。
「想、何を見ているの?」
「毒殺だよ。ボツリヌス毒素」
画面を撫でるように、彼は微笑った。
「スプーン一杯で、三百万人。筋肉は言うことを聞かなくなって、呼吸だけが取り残される。苦しいって思う前に、終わるらしい」
楽しそうですらあった。
「茜が望むならさ、僕は人殺しになれる」
息をするみたいに、簡単に。
「殺してほしい人、いるでしょ。母も、姉も、父も。誰も君を守らなかった。友達だって、平気で君を置いていった」
彼の声は優しい。だから余計に怖い。
「居場所を奪った人間はね、茜の世界に存在しちゃいけないんだよ。消えてもらわないと」
喉が詰まる。
「……想」
「大丈夫。僕が全部やる。茜は汚れなくていい」
その言葉が、私を包む檻みたいだった。
「……想の心の片隅で、殺すならいい」
震える声で、縋るように言う。
「でも、今の私は殺さないで。今の私を見て。ここにいる私を、ちゃんと」
彼は笑った。
まるで、それすら許可するみたいに。
「心の片隅で」
自分の顔は好きですか?
クソッと叫んでーーガッシャン、乾いた音が響いた。鏡は粉々に砕け四方に散らばった。そのひとつひとつが、自分の顔を断片的に映しているのが腹立たしい。まるで、どの欠片にも「お前なんか嫌いだ」と言われているようだった。糸のように細い血の筋が割れた鏡の断面に沿って綺麗に模様のように滲んでいる。指の付け根から滴る赤い液体が、ポタポタト床に落ちて、小さな水滴を作っていた。心の奥で何かがカチリと音を立てて外れた気がした。それでも痛みを感じない。ただ、胸の奥が熱くざわついている。
明日も明後日も私は私を傷つけ続ける。
私の体という客体と私の魂という対象が、静かに終わりを迎える夢を、毎日のように見ている。
君が見た夢
生きてきた中で一番嬉しかった言葉は何ですか?
いつもと変わらない教室。その窓の外で、散りきれなかった桜の残骸がはらはらと舞い落ちていく。雲一つない青空から、柔らかな風が教室に流れ込んだ。
「茜、帰ろう」
前の席にいた想は、相変わらず支度が早い。よほどこの教室に長居したくないらしい。
「……想!」
「さっき、何読んでたの」
教室の隅で、いつものように本を読んでいた私を、彼は不思議そうに見る。まるで未知の生き物でも眺めるみたいに。
「少女漫画だよ」
「?」
想は目を丸くした。
「かっこいい人と、かわいい人が恋愛するの。幸せなやつ。ほら……現実の私じゃ叶わないから」
「叶ってるじゃん」
「叶ってないよ」
「……俺、茜の“彼氏枠”から外された?」
「違う! 想はかっこいいからいいじゃん。私は……違うじゃん」
「かわいいよ?」
「かわいくないってば」
「かわいいよ」
「かわいくないってば」
彼の手を払いのけた瞬間、勢い余って私の手が想の頬に当たった。
「……ごめん」
想は少し寂しそうに視線を落とし、それでもそっと私の手を握る。
「茜。俺は、茜に出会えて幸せだよ」
その言葉は今の私にとっては眩しいくらい痛かった。
「明日への光」
今を、生きていますか?
今日は、嫌な予感がしていた。
理由はない。ただ、こういう感覚は外れない。
朝の星座占いは最下位で、ラッキーアイテムの星のアクセサリーを身につけたけれど、胸元で揺れるそれは、ただ冷たかった。
雨が降り出す直前の、世界が息を止めたような空気。
私は足を速め、立ち入り禁止の林を抜ける。
誰もいない開けた場所に、想は立っていた。
そこに「いる」というより、もうこの場所に縛り付けられている影のようだった。
「……想」
「茜、どうして」
声は低く、輪郭が曖昧だった。
「戻ろう。話そう」
想は少し困ったように笑って、空を見上げる。
「僕はね、今日、星になるんだ」
「想!いい加減にして」
「……茜は嘘つきだね」
責める響きはなく、ただ静かだった。
「僕が悪い方に落ちていくとき、一緒に落ちてくれるって言った。忘れちゃった?」
言葉が喉でほどけて、何も言えない。
「ここには誰もいないよ」
風が林を揺らす。
「不安はね、僕にとっての最高の隠れ家なんだ」
少し間を置いて、こちらを見ないまま続ける。
「……茜、ごめんね」
その声は、降りはじめた雨に溶けて、どこまでが想なのかわからなくなった。
その瞬間、彼は足元を離した。
身体がふっと軽くなって、想は崖の方へ傾いていく。
「想——!」
私は反射的に腕を伸ばし、彼の腕を掴んだ。
「茜、離して」
「やだ、いやだ、やだ……!」
自分でも驚くほど幼い声だった。
小さな子どもみたいに、ただ拒むことしかできない。
想は、そんな私を見下ろして、
嬉しそうに目を細めた。
「茜、僕が死ぬときにさ、そんなぐちゃぐちゃな顔で泣いてくれるんだ」
雨と涙で滲む視界の中で、彼は穏やかに笑う。
「その顔、好きだな。もっと見たい」
胸が、壊れる音がした。
「僕が死んだあと、ぼろぼろになって、狂って、全部壊してしまう茜が好きだ、好きだよ茜」
感情をなくしたように笑う彼が愛おしく、美しいと思ってしまう私が憎かった。
「星になる」
一生に出会える人の数は、およそ三万人だと言われている。
じゃあ、あなたは――出会えないはずだった運命を、覆したことはあるだろうか?
最近は想や茜の話が多かったから、今日は少しだけ、僕――梶原唯月の話をさせてほしい。
最初に言っておくけれど、僕は想や茜みたいに、独特な感情表現や哲学的な思想を持っている人間じゃない。正直に言えば、僕の話はきっと面白くない。だから、読まなくても構わない。
それでも今日、なぜ僕が主役になるのかというと――
「遠い鐘の音」
この言葉を聞いたとき、どうしても語っておきたい、僕らの出会いの断片を思い出してしまったからだ。
これまであまり触れずに話してきたから、ここで簡単に人物紹介をしておこう。
まずは、想。
とにかく顔がいい。正直、それ以外の表現が見つからないほど、時代に愛されるような顔をしている。
ただし、裏の顔もある。彼はその顔で金を稼ぐ仕事をしている。詳しいことは、いつか想自身が話すだろう。そのときは、彼の言葉で聞いてやってほしい。
次に、茜。
彼女は想とは正反対で、この時代ではもてはやされない顔立ちをしている。そして、醜形恐怖症に苦しんでいる女の子だ。
彼女は身体を使って金をもらっている。具体的な話は、きっと彼女が話したくなったときに語るだろう。そのときは、どうか否定せず、肯定してやってほしい。
そして、今日語っている梶原唯月という人物――
僕は、現世の人間じゃない。
いや、正確に言えば、生きてはいた。
ただ、想や茜と同じ時代には生きていない。
ある人の身体を借りて、彼らと同じ時代を生きている存在だ。
どうしてそんなことができるのか。
話せば長くなるから、端的に言おう。
僕が来た“あの世”には、一つのルールがある。
十二時に鐘の音が鳴った瞬間、今という時代の記憶の中に入り込める――それだけだ。
変な話だろう。
何が言いたいのかというと――
君が出会った友達、家族、知人。
そのすべてが、同じ時間を生きている人間とは限らないかもしれない、ということだ。
そんなことあるわけないって?
そうだよな。
笑える話だ。
ちょっと面白いだろう?