自分のことを愛していますか?
「ねぇ、本当にここで合ってるの?」
人里離れた、風の音しか聞こえない殺風景な街に出た。夜の匂いが濃い。
「たぶんね」
想はいつも通り、曖昧な返事しかしない。
二日前、彼から突然「行きたいところがある」と連絡が来た。断る理由が思いつかなくて、私はそのままここまで来てしまった。
「どうしてここに来たかったの?」
「んー? 僕のオカルト好きの友達が言ってたんだけどね、魂が吸い取られる場所があるんだって。そこに行きたいんだ」
「梶原のこと?」
「よくわかったね。茜もあいつと仲いいし」
また、あいつが想に変なことを吹き込んだんだろう。
「茜、見て。夜空がきれいだよ」
街灯がないせいか、星ひとつひとつが意志を宿したように強く光り、想の横顔と重なって見えた。
「星になりたいな」
「どういうこと?」
「死んだら星になるんだよ。僕、今日星になりにきたんだ」
「想は星になれないよ」
「えー? なんで?」
「私が、想を好いてるから」
想は小さく笑った。
「違うよ。茜は僕が好きなんじゃない。僕を好いている“茜自身”を、茜は好きなんだよ。それを僕への好意だと錯覚してるだけ」
「想といると自分らしくいられるよ」
少しの沈黙に彼は小さく息を吸う。
「人ってさ、『自分らしさ』や『本当の自分』って言葉をよく使うけど、そもそも“本当の自分”なんてどこにもないのかもしれない。
僕たちの内側にある自己は、相手や状況によって絶えず形を変える。固定されたひとつの姿を持つことはないのに、人はなぜかひとつの“核”のような自分を求める。
多分、自己というものがあまりに曖昧で不確かで、自分自身でさえその輪郭を掴めないからだろう。だからこそ、人は知りたがる。どこかへ向かおうとする。まだ出会っていない“自分”を、確かめるためにね」
「好きだよ、想」
「違うよ」
どうしてだろう。
どんなに言葉を尽くしても、彼の心に私がいることはない。
彼の世界に私は入ることはできない。
彼の瞳に私はいない。
夜空の中のひとつの空間にいるはずなのに、同じ呼吸をしていないみたいだった。
「夜空を越えて」
自分を見失うほど愛してしまった人はいますか?
「想って、結局……茜のせいで死んだってことなの?」
「どうしていつも梶原は、そんなふうに決めつけるの?」
「……あー、ごめん。じゃあ質問を変えるよ。どうして茜は、あんなに想に執着してたの? いつも死にたそうで、孤独な人だったのに」
「親友なのにひどいこと言うんだね。想のこと、何も分かってなかったんじゃない?」
「じゃあ茜は、想のこと分かってたって言うの? どこが好きだったの?」
「どこって……そんなの——」
記憶の断片を、暗闇の中で手探りするように思い返す。
初めて会った瞬間から、最初から最後まで、想は“死”を夢みるみたいに語る人だった。
日常のすぐ隣に死があるかのように、静かに、淡々と。
生きているはずなのに、生の輪郭の外側に立っているようなその横顔を——私はどうしようもなく、隣で見ていたいと思ってしまった。
そもそも彼は、自分の“死”への考えを、誰よりも先に、私だけに語ってくれた。
それが、私が彼に惹かれた理由だった。
——死というのは、終わりじゃないよ。
それは、無数の問いが沈殿した果てに現れる“答えの形”なんだ。
人は生きている間、絶えず自分に問いを投げかける。
なぜ生まれたのか。
なぜ苦しいのか。
なぜ愛してしまうのか。
その問いのどれひとつ、言葉では解けない。
だけど死だけが、それらの沈黙に終止符を打つ。
死は破壊ではなく、理解の完了なんだ。
生きるというのは、無数の“未完の答え”を抱えて歩くこと。
此岸と彼岸の境界線とは、きっとその“問いの終着点”で、そこで初めて人は、自分という存在の輪郭を知る。
だから僕は死を否定しないよ。
死を恐れず、死の中に自己を見た。
それは逃避ではなく、“存在の完成”という名の帰還だと思っているから。
——久しぶりに聞く、想の饒舌だった。
意味を持たない日常の中で、彼だけが“意味”を探していた。
それが彼の“癖”であり、生き方だった。
「おーい茜? 聞いてる?」
「ごめん……ちょっと、記憶が飛んでた」
「で? どこが好きだったの?」
「どこって……全部だよ」
死にたがる想が、生にしがみつくようにもがき、苦しむ姿。
その矛盾も、弱さも、痛みも——
私はどうしようもなく、愛おしかった。
「ぬくもりの記憶」
季節の境目が来ると、会いたくなる人はいますか?
凍える指先で、私は何度も文字を打つ。
想
想
想
――なに?
雪だよ!
――そうだね。
冬だよ!
――そうだね。
おはよう
――おはよう。
朝から彼とのやり取りに胸が躍る。
震える指先を見つめながら、彼の返事をじっと待つ。
正直、どうしてここまで惹かれたのか自分でもわからない。
いつも曖昧な答えしかくれなくて、
真正面から話そうとすればすぐに視線をそらす。
まるで遠い何かを探すように、別の方向ばかり見ていた彼が、嫌いだった。
――けれど、惹かれた。
死の間際を行き来した人の匂いがしたからだ。
此岸と彼岸の境界を、かろうじて踏みとどまっているような気配。
彼が絶望の底を知っているからこそ、あの瞳は深く沈んでいた。
何かを見たいと願いながら、
実際にはどこにも焦点を合わせない目。
世界の音に耳を傾けることすらやめ、
ただ通り過ぎていく日々を眺めてきた耳。
白い吐息をこぼすたび、
「生きている」という事実を確かめるだけの口。
無力で、無価値で、それでもなお、
この不条理な世界でもがきながら生きようとする――
そんな、人間のかたちをしたかすかな灯。
きっとそういう人は、
死と生のあわいをぐるぐると循環しながら、この世界を漂い続けているのだと思う。
「茜、待った?」
彼が私の顔を覗き込む。
「待った!もう、めっちゃ待った」
「それはごめん」
彼はそっと私の手をつかみ、自分のポケットに入れる。
「冷たいなー、凍っとるやん手」
「んー、もう大丈夫かも。想のおかげ」
彼は雪のような人だけど、
同時に太陽のような人でもある。
あの白い季節になると、私はまた彼を思い出す。
「凍える指先」