一生に出会える人の数は、およそ三万人だと言われている。
じゃあ、あなたは――出会えないはずだった運命を、覆したことはあるだろうか?
最近は想や茜の話が多かったから、今日は少しだけ、僕――梶原唯月の話をさせてほしい。
最初に言っておくけれど、僕は想や茜みたいに、独特な感情表現や哲学的な思想を持っている人間じゃない。正直に言えば、僕の話はきっと面白くない。だから、読まなくても構わない。
それでも今日、なぜ僕が主役になるのかというと――
「遠い鐘の音」
この言葉を聞いたとき、どうしても語っておきたい、僕らの出会いの断片を思い出してしまったからだ。
これまであまり触れずに話してきたから、ここで簡単に人物紹介をしておこう。
まずは、想。
とにかく顔がいい。正直、それ以外の表現が見つからないほど、時代に愛されるような顔をしている。
ただし、裏の顔もある。彼はその顔で金を稼ぐ仕事をしている。詳しいことは、いつか想自身が話すだろう。そのときは、彼の言葉で聞いてやってほしい。
次に、茜。
彼女は想とは正反対で、この時代ではもてはやされない顔立ちをしている。そして、醜形恐怖症に苦しんでいる女の子だ。
彼女は身体を使って金をもらっている。具体的な話は、きっと彼女が話したくなったときに語るだろう。そのときは、どうか否定せず、肯定してやってほしい。
そして、今日語っている梶原唯月という人物――
僕は、現世の人間じゃない。
いや、正確に言えば、生きてはいた。
ただ、想や茜と同じ時代には生きていない。
ある人の身体を借りて、彼らと同じ時代を生きている存在だ。
どうしてそんなことができるのか。
話せば長くなるから、端的に言おう。
僕が来た“あの世”には、一つのルールがある。
十二時に鐘の音が鳴った瞬間、今という時代の記憶の中に入り込める――それだけだ。
変な話だろう。
何が言いたいのかというと――
君が出会った友達、家族、知人。
そのすべてが、同じ時間を生きている人間とは限らないかもしれない、ということだ。
そんなことあるわけないって?
そうだよな。
笑える話だ。
ちょっと面白いだろう?
12/13/2025, 4:31:28 PM