少し前、実際に血は繋がっていないけれど、外見が似ていて、俺を気に入っていて、俺を〝弟〟と呼んでくれる人が亡くなった。
俺は救急隊員だから、亡くなる前に分かれを言えた。そんな立場にいた。
寂しさはあれど、胸の痛みが軋むけれど涙が出ることは無かった。
――
しばらくして、彼女に運転を教える時に彼女の表情がずっと固くて、いつもと違って「なにかしたい」と意思表示をしてくれていた。
一人になりたくないのかな?
そう思ったから、悩みごとがあるのかと聞くと言葉に詰まっていた。
昨日、知り合いが亡くなったらしい。
同時に、別の知り合いも少し前に亡くなっていたことを聞いてショックを受けていたと言っていた。
彼女の言う、前に亡くなった知り合いというのは俺が兄と慕っていた人のこと。
彼女は俺とその人の関係を知らない。だから、この話題は本当にたまたまなのだ。
俺とその人の関係を知っている人は、腫れ物に触れるような勢いで誰も触れてこない。俺はそれで良かった。
俺は兄と慕っていた人の墓があるのは知っているけれど場所は知らない。
俺は聞こうともしなかった。
後ろを向くことが正しいと思えなかったから。
でも彼女は踏ん切りが付かないと言っていた。
会えなかっただけなのかと思っていた。
また何時でも笑って話せると思っていたのに、喪われたその人と話すことはもう叶わないのだ。
昨日亡くなった人には手向けの花を贈ったらしい。でも、以前に亡くなった俺が兄と慕った人に何も出来ずに心にしこりを残していると言った。
その言葉を聞いて、ズキリと胸が痛みを覚えた。
「せめてお墓の場所が分かれば……」
俺はまだ別れを言えた側の人間だった。
彼女との関係は分からないけれど、彼女の職場が近いからもしかして、彼女の職場によく行っていたのかな?
「なら、お墓の場所。聞いてあげるよ」
俺は知り合いから改めて墓の場所を聞いた。
それと、彼女は花屋に行こうと言ってくる。一人で行った方がいいんじゃないと伝えたが、一緒にと言われて花屋にも付き合って墓参りに行く。
墓の前に立つと、名前が掘られている。
彼女は俺の後ろから花を墓に手向けて、俺の後ろに一歩下がり手を合わせる。
俺は彼女と同じように、墓に向かい手を合わせる。
来たよ。来るのが遅くなってごめん。
それだけを心の中でつぶやくと一陣の風が俺の頬を撫でた。
『来てくれたんか、ありがとな』
そんな言葉が耳に入った気がして閉じていた瞳を開けた。
なにもなく、風も収まる。でも、来た瞬間と違った空気感がそこにはあった。
俺はもう一度目を閉じると、目が熱くなった。
「……ありがとうございます。行きましょうか」
そう、後ろから声がかかる。そして振り返って先に歩みを進めているのが聞こえた。
俺は目を擦り、深呼吸してから彼女の背中を追った。
……本当に……何も知らなかったのかな?
一度、墓に振り返り彼女が手向けた花が風になびく。
「また来るよ、兄ちゃん」
それだけ呟いて俺は前を向く。軋んだ痛みはもう無くなっていた。
おわり
三二六、フラワー
少しずつ上達していく運転技術。
それに伴って私の脳内にある地図が新しく広がって更新される。
大好きな彼に教えてもらった運転をもっと上手にしたくて、彼に褒めて欲しくて毎日練習していた。練習する時に同じ道だけじゃなくて、少しづつ走る道を増やしていく。
頭にこびりつくほど走って、走って。
今は瞳を閉じても走れるくらいに地図が広がっていた。
私はスマホを取りだして、いつもと違う新しい地図を開く。
「今日からこの道で練習だー!!」
おわり
三二五、新しい地図
家に帰って、まったりとした時間をふたりでのんびり過ごす。けれど、今日はどこか違った。ふたりとも。
私はソファに座っている恋人前に座り、彼の腕の中に収まって体重を預ける。彼の温もりが私の尖った気持ちをやわらげてくれた。
彼は彼で私の身体を当たり前のように包み込んだままスマホを見ている。
ふたりとも、〝ただ、離れたくない〟気持ちでいっぱいだったんだと思う。
時々あるんだ、こういうこと。
お互いの体温や鼓動がそばにある安心感が眠気を誘うと、私は彼の腕にしがみついた。
「重い?」
「ううん。でも痺れそうになったら横になろ」
「うん」
そして極わずかな静寂。でも優しい空気はそのままだった。
「好きだよ」
唐突、と言えば唐突なんだけれど、温もりと一緒により安心を得たくてそう言った。
すると彼の腕に力が込められて私の身体を抱きしめてくれる。
「分かってる、俺も好きだよ」
額に彼の唇が当たる。何をされたか分かるから嬉しくて私も彼の身体を抱き締め返した。
好き。大好き。
これが、私たちふたりの充電時間。
おわり
三二四、好きだよ
「うぅ……寒い!」
「もう四月に入ったのに肌寒いですねぇ」
そう言うと、暖を取るためと彼が私の手を取って自分のポケットにしまう。
自然と視線が合い、ふふっと笑いあってしまった。
そんな今日は仕事が休みだからとのんびりとお散歩デート。
普段の仕事に追われることが多いし、二人とも土日休みって訳でもないから、休日が被った日くらいゆっくりとデートしたい……のです。
それなのに、まだ春は来てくれなくて。
吹きゆく風は冷たいまま。
ほんの少し前までは気温が高かったから、私たちも風邪をひきそうだし、桜も季節を間違えちゃいそう。
ひとつ、また風が通り過ぎる。
揺れる枝にはまだピンクにもなっていない豆のような蕾が沢山。
「これから暖かくなるから来週には見頃ですかね?」
「なら、また来週も散歩に来ようか」
彼の提案はとても素敵で、私の心を暖かくさせてくれる。
「行きたいです!!」
「じゃあ、また休みを確認しよう」
手を離せばスマホでふたりともスケジュールを確認できるのに、彼は手を離す気は無いみたいでまた私は笑ってしまった。
「今度は桜、咲いていると良いねぇ」
「はい!!」
来週はふたりで桜吹雪が見られたら、嬉しいな。
そう思いながら、彼の手を握り返した。
おわり
三二三、桜
「え?」
先輩から聞いた。
気になる彼女に運転を教えてあげたんだ。そうしたら先輩から声をかけられた。
「だから。頑張っているみたいだよ、彼女」
話を聞いてみると、運転の練習姿をよく見かけるし、怪我をして病院にも来ているみたいだった。
「そうなんだ……」
ぼんやりと呟いて、練習している時の彼女を思い出す。
幼さなさも残していて、少しおっちょこちょいで、クルクルと表情が変わる。そんな彼女が普段見せない真剣な顔をして俺の話を聞いていた。
そして、ひとつひとつを実行していく。
いつものフワッとした声も違っていて、横で見ていた俺の胸は高鳴った。
「頑張っているんだな……」
まだ教えてないことがあって、それは彼女が練習して成長したらまた教えると話していた。
その機会は意外と早く来るのかもしれない。
また君と一緒に練習する時間が。
おわり
三二二、君と