家に帰ると、恋人がいつもの様に飛び込んでくる。
毎日のことなんだけれど、彼女の温もりを直に感じられる。これが心に効くんだ。
疲れが吹き飛ぶ……なんてことは無いんだけれど、精神的に楽になる。
荷物を片付け、着替えた後に居間に行くと、テーブルの上に小さなプレゼントボックスがあった。
「あれ、これなーに?」
「あ、そうだ!」
夕飯の支度をしていた彼女がテーブルに来てプレゼントボックスを持って俺に向けた。
「何でもない日ですけど、良いかなって思ったので貰ってください!」
珍しい。
俺が彼女にプレゼントをするのは……まあ、よくある話なんだけど、彼女は割と財布の紐が固い。ここぞという時には、気にせずポーンとビックリする金額を出せるんだよね。
その彼女が誕生日でもない日に俺へプレゼントを買ってきてくれたのは……かなり嬉しい。
彼女は金額でプレゼントを選ぶタイプじゃない。
自分の手で作って思い出をプレゼントしてくれるから、それが俺の心を掴んで離さない。
その彼女が俺にプレゼント……。
彼女から受け取ってそのプレゼントを見入っていると、不思議そうな顔で俺を見上げてくる。
「いらなかった?」
「まさか!! めちゃくちゃ嬉しいから感動してたの!」
そう告げると、不安そうな顔が一気に解消されてふわりと笑顔になった。
「開けていい?」
「もちろん!」
俺はプレゼントボックスを丁寧に開ける。この包装紙も取っておこう。
箱を開けると、また立派な箱が出てくる。それを開けるとえらく格好いい革の袋の中になにか入っていた。それは真鍮のなにか……。
折りたたまれているところと、蓋を開けると出てきたのは方位磁針。いわゆるコンパスと言うやつだ。
「うっわ、かっこよ!」
「ほら、お仕事にもそうですけど、普段から持っているといいかなと思って……」
照れ笑いしながら言う彼女。
その言葉に納得してしまった。
俺は救急隊員で、巻き込まれ事故だってある。もちろんそんな事にはならないように訓練しているが百パーセントなんてありえない。
そんな〝もしもの時の備え〟だ。
「ん?」
コンパスの蓋の前にどかした折りたたまれていたものを見てもしかしてと思った。
「これって立てると日時計になったりするんじゃない?」
「そうなんです!!」
そう言ったあと。彼女は俺の腕を組んで肩に頭を乗せた。
「何かなんてあって欲しくないんですけど……何かあった時に私のところに戻ってくる確率がもっと上がるようにと思いました!」
その言葉に胸が熱くなる。
やっぱりなんだよ。
彼女は俺を心配してくれる。大切にしてくれる。そこが好きなんだ。
俺も自然と笑顔になって彼女の頭に寄り添う。
「それにしても、コンパスなんてよく見つけたね」
「はい! この前買った宇宙の置物ののお店に行ったらこれがあって……絶対に持ってて欲しいって買っちゃいました!」
「ありがと」
「どういたしまして」
自然とお互いに正面から抱き合う。彼女の気持ちが嬉しくて、つい力が入る。
「あ、そうです! これ、コンパスって名前じゃないんですよ!」
「え、そうなの?」
「はい、これの名前、羅針盤って書いてありました!」
おわり
二五〇、羅針盤
俺の仕事は救急隊員で、医者だ。
基本的に対応に失敗は出来ない。
ほんの少しのミスも大惨事に繋がって行く。
だから、空いている時間は日々の出来事を反芻して、訓練を続ける。ミスをしないように、身体に染み込ませていた。
明日に向かって歩いていく。
それでも――
「大丈夫ですか?」
ぼんやりとしていた俺に恋人が声をかけてきた。
疲れも相まって、酷い顔をしていたのかもしれない。
「大丈夫だよ」
条件反射でそう答える。俺の言葉を聞くやいなや彼女は頬を膨らませた。
これは……色々マズイと分かってしまう。このまま誤魔化すようなことをしたら彼女の信頼を失ってしまうから、俺は両手を上げた。
「ごめんなさい、嘘です。大丈夫じゃないです。条件反射で答えてしまいました」
すると彼女は俺の頭を優しく撫でる。
「私にそういう隠しごとは通じませんよ」
「そうだね、ごめん」
気使いをする彼女。
幼さが残るのに、そんなふうに見えなくてもしっかりと人を見ている。
俺は彼女を正面から抱きしめて瞳を閉じた。
「少しだけ、ここで休ませて」
「はい。少しと言わず、休んでいいんですよ?」
「そうだなー、寝る支度して甘えようかなー」
「はいっ!」
返事をする声が、嬉しくて跳ねているようだな。
彼女が甘えたい時に全力で甘えてくれるように、俺が甘えたい時に全力で甘えようと思った。
俺は救急隊員で医者で。
成長するために、明日に向かって歩いていく。
でも、家に帰れば、恋人に甘える一人の男に過ぎないんだ。
おわり
二四九、明日に向かって歩く、でも
俺は結構、女難……だとは思う。
お詫びで食事を奢ると言ったら、『デートの誘い』と外堀埋められたり。
困っていそうだから声掛けた相手に、仲のいい男女を見ていたら『カップルいいな、結婚して』と言われたり。
面白いことが好きだから、拒否しつつも相手のペースに巻き込まれていた。
楽しいけれど……疲れる。
それぞれが外堀を埋めてくるから、その子たちを大切にしている人からは酷い目にあうし、結構しんどい。
俺の意思はどこへ行ったらいいのやら。
仕事中だけれど、車の調子が悪くなったから許可をもらって修理屋に行くと、仲良くしている別の彼女がいる。
俺の好きなクリームソーダを好きだと言って笑ってくれる彼女のことは一緒にいて心地が良かった。
その彼女はワーカホリック気味で、外に遊びに行かないからこの都市の楽しいところを知らないと言っていた。
だから、遊びに行こう誘っていたんだよね。
具体的な日時を決めたくて、少し人気の少ないところに呼んで、待ち合わせについて彼女に聞く。
「俺、この辺りの日付なら大丈夫なんだけど、どう?」
「えっと……」
彼女はスケジュールを確認してから、パッと顔を上げた。
「どの日も大丈夫です! いちばん都合のいい日にしてください」
「え!?」
「時間も!」
そう笑って言ってくれた。
いや、そんなことは当たり前に見えるかもしれないけれど、俺には当たり前じゃなかったんだよ。
「じゃあ……この日のこの時間でどう?」
「はい、大丈夫です!」
その後、やわらかく微笑んでくれた。
「楽しみにしてますね」
その表情に俺の心はギュッとなる。
「あ、そうだ。新しいクリームソーダを出すお店ができたんだって!」
「え、そうなんですか!?」
「そう、新メニューみたい。今度買ってくるね」
「良いんですか!?」
遠慮する言葉を出しつつ、期待の目を向けてくる彼女。俺はその顔を見て可愛いなと思ったんだ。
考えたら、俺の意思が通るのも、俺の意思を汲んでくれるのって彼女くらいじゃない?
ああ、だからかな。
こんなに惹かれてしまうのは。
意思が無いわけじゃないんだ。
気を使ってくれる人だと少しずつ知って来たから。
楽しい気持ちで紛れて見えなくなっていた俺の意思。それを探してくれたり、拾ってくれる。
ただひとりの君。
おわり
二四八、ただひとりの君へ
待ち合わせていた恋人が、その場所に居ない。
俺より先に仕事が終わって『先に待ち合わせ場所に行ってますね』とメッセージが来ていたんだけれど……どこにいるの?
そんなことを考えながらスマホを覗いたけれど、メッセージは来ていなかった。
メッセージを送ろうと思ったけれど、面倒くさくなったので通話ボタンを押した。
『あ、はい、ごめんなさい』
呼び出し音が少し鳴ったと思ったら、彼女がすぐに出た。
「ううん。大丈夫? なにかあった?」
『ああ、いや、すぐに行きます』
上ずった声が少し珍しくて、なにか慌てているようだ。
そっちに行こうか?
と、口に出そうと思ったら、近くの雑貨屋さんから彼女が俺を見つけると慌てて走ってきた。
「ごめんなさい!」
「いや、俺が待たせたんだから」
俺のところに来てくれたけれど、どこかソワソワしていて、さっきまでどこに居たのか少し気になった。
「どこに居たか……聞いてもいい?」
「あ、はい。私、かなり早く着いちゃったから、あそこの雑貨屋さんに行ったんです」
「うん」
「そうしたら、ちょっと良いと思うものがあったんですけれど、置物っぽくて……」
「置物?」
少し話を聞いていて、〝彼女が気になる〟というものが気になってしまった。
「ちょっと気になるー、連れてって!」
「え、良いんですか?」
「良いよ、と言うか俺が連れてって言ってるの」
彼女の手を取って、彼女が出てきた雑貨屋さんに足を向ける。
俺と彼女は割と好きなもの被っていることが多いから、彼女が好きなものは少し気になってしまう。
途中から彼女の方が俺の手を引いて、雑貨屋さんの奥に向かった。
そこには、五センチくらいの透明な丸いガラスの置物があった。丸と言っても完全な丸じゃなくて八割くらいのところでカットされていた。
そして、そのガラスの中は透明のガラスの真ん中に白い天球。その下には全体的に紺色の宇宙が拡がっていて、天球の周りには金色の星が花びらのように何層も重なっていて吸い込まれそうだった。
「なにこれ、格好いい!!」
「そうなんです、綺麗じゃないですか?」
「綺麗、綺麗! 凄いねぇ」
隣には地球を模していたり、月を模していたり、星座を模しているものもある。
「以前、宇宙も好きって言っていませんでしたか?」
「言ったかも!」
確かに言った記憶はあるけれど、それは付き合うかなり前だから、覚えてくれたことが嬉しくて顔がニヤけてしまう。緩んだ表情を見せるのは恥ずかしくて、自分の顔を手で隠した。
彼女が気になるって言っていた宇宙の置物は確かに俺の好みドンピシャだから、手に取って裏側を見る。
これが何か分からないし、あとは値段を知りたかった。
「ペーパーウエイトって言うんだ……え、たっか!!」
「そうなんです。思ったより高くて悩んじゃったんです」
手のひらの宇宙は、細部までこだわっているのが分かる。周りを見ると、これはガラス細工作家さんが作ったもののようだった。
これは確かに高いかも。
俺も彼女も高いものを買うタイプじゃないと言えば、そうなんだけれど……。
ふたりとも青や水色が好きだから、俺たちの家は白を基調とした中で、ポイントごとに水色を差し色にしている。玄関の靴箱の上にこれを置いたら格好いいよな……なんて思っちゃう。
「あああああ……欲しい〜〜」
「ですよねー私もそれで悩んじゃいました」
確かに高いんだけれど……。
こんなオシャレなものを置くタイプじゃないんだけれど……。
彼女に視線を送ると、俺と同じような顔をしている。そのまま、手のひらの中に収まっている宇宙を見つめた。
「ねえ、これ玄関に置いたらよくない?」
「めちゃくちゃいいと思います!!」
眉間にシワを寄せていたけれど、パッと笑顔になる。もうこの顔を見たら迷いなんて無くなっちゃうよ。
俺は彼女に笑顔を向けながら、ペーパーウエイトを持ったままレジに向かった。
もうさ。
〝どこに置いたらいいかも〟
なんて想像しちゃったら、それは家に置く運命でしょ。
おわり
二四七、手のひらの宇宙
彼女の仕事は修理屋なんだけれど、少し変わった修理屋で。その名もコンセプトメカニックと言う特殊なジャンルを確立していた。
そんな彼女の職場に、自分のバイクや車はもちろんなんだけど、仕事で使う乗り物も持っていくことがある。特に仕事の車両は。
車両のメンテナンスのため彼女の職場に行くと、今日は学生服ということでヒラヒラのミニスカートだ。
職場の制服……とは言え、本当はそんな格好はやめて欲しい。
特に、とある人がいる時は。
俺とも彼女とも仲の良い、お笑い芸人をしているあの人がいる時は本当にやめて欲しい。
理由は簡単。
「もう、下着を覗くなー!!」
「ぐわっ!」
言っているそばから、彼女のストレートがヤツに入る。それはもう綺麗に。
……本当にやめて欲しい。
「もう、彼女にセクハラすんなー!」
彼女との間に俺が入って、お叱りをするのまでがひとつの流れみたいなところがあるけれどさ。それでも彼女の恋人なんだよ、俺。
すると、一陣の海風が正面から通り過ぎた。
「わっ」
「うわっ」
「ふぉぉ!」
三人同時に放つ声だけど、一人だけ変な声が放たれた。
「白ォッ!!」
「言うなぁ!!!」
とりあえず、ヤツを殴って記憶飛ばしてみる?
おわり
二四六、風のいたずら