「ただいまー」
家に帰ると、普段なら走ってお出迎えしてくれる恋人が来なかった。
今日、彼女の仕事は休みだから、家にいるはずなんだけれど……。
居間に行くと部屋の隅に体育座りしている恋人を見つけた。
「たーだーいーま!」
少し大きな声で言うと、ガバッと顔を上げる。そして俺を見ると大きな瞳からボロボロと涙がこぼれおちた。
「今日のおべんと、ごめんなさいー!!」
ああ……やっぱり落ち込んでるか。そりゃそうだよね。
前日から〝今日のお弁当は楽しみにしていて〟と可愛い笑顔で言っていたし、昨日の夜と朝でしっかり準備をしていた。
朝ごはんも作ってくれて、満足気に送り出してくれたのにお昼になったら自分のお弁当箱と俺のお弁当箱を入れ間違えていたという……。
料理はまぁする方なんだけど、基本的に不器用だからこれだけ頑張るんだよな。それが俺のためだから口角が上がるというものだ。
同じものを作ったのかと思ったのだけど、彼女は自分のお弁当は適当な冷凍食品をぶち込んだだけのお弁当になっていた。つまり俺のお弁当箱に気合いを入れまくった結果なんだなと理解出来る。
俺のために作ってくれたお弁当は夜食べるから残しておいてとお願いした。
まあ、俺は夜にそのお弁当が食べられると喜びが先延ばしになったと、一日浮かれていたんだけれどな。
だけど、彼女はそう思う訳じゃないから罪悪感でいっぱいになっている。
こんな落ち込み方、初めて見たもん。
俺は彼女に笑顔で腕を広げた。
「そんな部屋の片隅で小さくなっていの。ほら、俺はまだ〝ただいまのぎゅー〟をもらってないよ」
俺に飛び込んでいいのか不安な顔を向けてくる。腕を広げたまま〝おいでおいで〟と両手を振ると、ゆっくりと立ち上がって胸に飛び込んできた。
めちゃくちゃ力強く抱きしめてくれて、これはこれで嬉しい。
そして安心して欲しいから、俺も彼女を強く抱きしめ返した。
「本当に、本当にごめんなさい」
「なーんで? 作ってくれただけでも感謝しているし、入れ違いなんて大したことないよ。これから食べさせてもらうんだから!」
「でも時間が……」
見上げてくる彼女は愛らしいけれど、大粒の涙は止まらない。俺は彼女の額に自分のそれを軽く当てた。
「愛を込めて作ってくれたんでしょ?」
「もちろん!!」
「じゃあ絶対に美味しいから、もう泣かないで」
その言葉に納得した表情を浮かべ、また俺の肩に顔を埋める。
「愛はいっぱいいっぱいいーっぱい込めましたっ!」
「うん」
「だから、食べてくださいっ!」
切り替えた彼女の顔は、俺が見たかった大好きな笑顔だった。
おわり
二〇五、部屋の片隅で
顔の緩みが戻らない。
仕事している時はさすがに緩んだりしないけれど、仕事が一段落すると口角が上がってしまう。
理由は簡単で、今日のランチは彼女が作ってくれたお弁当だからだ。
昼食になると、足がステップを踏んでしまう。
裏に入り、お昼ご飯を食べようとランチバッグをテーブルに置いた。
もう、眩しい……!
俺はランチバッグを開けると、水色のランチボックスをパカンと景気のいい音を奏でた。
ん!?
そこにはハンバーグがなくて、恐らく冷凍だろうと思う唐揚げが入っていた。
あるぇ?
なんて思っていると、俺のスマホが震え出す。お弁当を楽しみに、それに気持ちが持っていかれすぎていて、スマホの着信にめちゃくちゃ驚いた。
通知は恋人の名前だった。
「はいはーい?」
『あああああ、ごめんなさぁい!!!』
つんざくような悲痛な叫びがスマホから聞こえてくる。
彼女の声と様子とお弁当を見る限り、だいたいの状況を把握できた。
『私のところに今日頑張ったうさぎのハンバーグがぁっ!!!』
「あはははははは! なるほどね!」
『絶対に楽しみにしていましたよね!? ごめんなさいっ!』
悲痛な叫びなんだけれど、こういうおっちょこちょいなところも可愛いと思ってしまうのだから、本当に彼女が好きなんだなと痛感する。
「大丈夫、大丈夫。今日はこれ食べるよ」
『ハンバーグ、食べて欲しかったぁ……』
とても悔しそうな声は胸が痛くなるけれど、彼女への愛しさが増してくる。
今日は彼女が仕事がお休みなので、どうしてもと俺の好きなハンバーグを、不器用ながらもお弁当を作ろうと意気込んでくれたわけだ。
その力作が俺の元じゃなくて、自分の元にあって驚いたから即効に電話してくれたのだろうな。
こうなった原因もだいたい分かる。
俺は自然とランチボックスに視線を送った。
ふたりの共通点である好きな色のランチボックス。お互いが同じものを気に入ってお揃いで買っていたから間違えたんだろうな。
今度、撥水加工されたステッカーでも買おう。
そんなことを考えながら、彼女に提案する。
「今、家にいるよね?」
『います』
「じゃあ、目の前のお弁当、残しておいて」
『え?』
「帰ったら食べるから」
俺がそう伝えると、スマホ越しに泣きながら唸り声が聞こえた。
「俺が食べたいよ」
『時間が経って美味しくなくなっちゃう……』
「あっためた?」
『いえ。自分用のは自然解凍の冷凍食品を入れたので……』
「じゃ、残しておいて! 食べたい」
『でも……』
「食ーべーたーいー」
駄々をこねる子供のような声を出していると、くすりと笑う声が聞こえた。
『……はい。残しておきます』
まだ少しだけ泣き声がまじっているけれど、嬉しそうな声で安心する。
「今日のお弁当、ありかとうね」
『冷凍食品だらけですけれど、しっかり食べてくださいね』
そう話してスマホを切った。
俺は作ってくれたことに感謝してお弁当をいただいた。
楽しみが先延ばしになったと、俺は一日満面の笑顔で仕事をした。
おわり
二〇四、逆さま
彼のお仕事はお医者さんだから、時々ひとりの夜がある。
そういう時ほど、眠れない。
部屋を暗くしているけれど、ベッドの上で何度も寝返りをうってしまう。
こんなこと、何度も繰り返しているのに、ただ彼が居ないと言うだけで、こんなに眠れない。
「はあ……」
こんなに眠れないくらい、彼が好きなんだ。
おわり
二〇三、眠れないほど
「はぁ……素敵だったぁ……」
先程まで、尊敬している社長と彼氏さんのご自宅にお呼ばれした。
「豪邸だったねぇ」
「凄かったです」
「さすが敏腕女社長」
「うんうん!」
私にとって大好きで尊敬する会社の社長。自分でさらに別の会社を興して、都市で色々な人から一目置かれる、そんな女性だ。
そんな社長のご自宅に恋人と行ってきた。
「あんな家に住みたい?」
彼は運転しているから、私に視線を向けるわけでもなく、そう聞いてくる。
「夢見たいですけれど、私はあんなに広くなくていいかなぁ」
その言葉を聞いた彼は車を端っこに停めた。
そして私の手に自分の手を乗せてくれると、しっかりと私を見つめてくれる。
「うちが良い?」
顔を傾けて微笑み、優しい瞳が私をとらえる。
「はい。うちが良いです」
夢のような家じゃなくて、狭くても彼が居てくれる私たちの家が一番いい。
満足そうに微笑むと、頬にキスをくれた。
おわり
二〇二、夢と現実
気になる彼と会話をしていると、心がふわふわしてくる。他愛のない会話かもしれないけれど、私には大切な時間。
少し、長く話してしまったな……とは思っていたけれど、そろそろお互いにタイムリミットだった。
「あ、じゃあそろそろ俺行くね」
「うん」
「さ……」
私はその言葉を聞きたくなくて、咄嗟に彼の唇の前に人差し指を差し出す。
目を丸くしている彼。驚いて当然だと思う。
でも、さよならは言わないで欲しいの。
彼からその言葉を聞きたくなかった。
彼の口元から指を離し、戸惑う彼に向けて微笑んだ。
「また……ね」
私が小さく言うと、なぜ指を向けたのか分かってくれたみたい。そして、眩いほどの笑顔で、こくんと頷く。
「うん、またね!」
その表情に、とくんと胸が高鳴るのを抑えられない。
やっぱり……彼のことが好き……かも。
おわり
二〇一、さよならは言わないで