彼女を気になるようになってから、つい視線で追ってしまう。
他の人と楽しそうに話しているけれど、声をかけたい気持ちが溢れた。
話している間に割り込むのも気が引けるし、迷惑になったら嫌だな。邪魔になるだろうし。
でも、彼女と仕事以外で会えるわけじゃないし……どうしようかな。
どうすればいいか悩んでいると、振り返った彼女と目が合った。俺を見つけて一瞬驚いていたけれど、すぐに柔らかく微笑み、軽く会釈してくれるから胸が高鳴る。だって、その笑顔が可愛いんだもん。
俺は意を決して、彼女に向けて足を進める。
「こんにちは!」
何事も無いように彼女に向かって挨拶をすると、俺に身体を向けて椅子から立ち上がってくれた。
「こんにちは、久しぶりですね!」
眩い程の笑顔に、胸の鼓動が抑えられそうもない。
俺は心の中で自嘲気味に笑ってしまう。
だって、もう逃げられないんだよ。それくらい、俺は君に心を奪われているから。
どうすればいいのかと、悩む必要なんてなかったね。
おわり
一八九、どうすればいいの?
『たくさんの想い出がつまった家だ……』
昨日、家に帰ると恋人がカーテンを見ながら、そう呟いていた。
その言葉は次の日になった今でも、俺の心に残っている。
彼女との想い出は、何もかもが宝物だ。
出会いも、不安になったことも、すれ違いも、それ以上に沢山ある笑いあったことも。全部が幸せな宝物だ。
今日は休みの日で誰もいない。俺はあの時、彼女が触れていたカーテンに手を伸ばす。
〝これからも想い出をたくさん作っていこう〟
そう、彼女に告げた。
俺は嬉しくて、口を開けずに目を細めて笑う。
俺と彼女は少し前から将来の話しをしていた。〝家族になりたい〟という願いを彼女も理解して受け入れてくれている。
部屋全体を見回す。
この家は2LDKで、ふたりで住むには十分だ。でも家族になったら、きっと手狭になることを理解している。だって、家族はふたりから増えていくものなのだ。
「宝物、きっと溢れるよ」
おわり
一八八、宝物
最近、季節の変わり目な上に寒暖差が激しくて、うまく眠れない。
彼女を抱き締めていなかったら、もっと眠れないのだろうな。そう思うと、これでもマシな方なのだからタチ悪い。
今晩も寝れるか不安を覚える中、寝室に行くといつもとは違う香りがする。
なんだろう、木々の中にあまやかで、俺には落ち着く香りだった。
部屋を見渡すとサイドテーブルに、ランプのようなものが置かれていた。これはアロマキャンドル?
俺はそのキャンドルに近づいて、その匂いを嗅ぐと、これが香りの元だと分かる。
「いい香りだなー」
「良かった、苦手な香りじゃないですか?」
後ろからトレーを持った恋人が入ってきた。俺の言葉に安心したようで、ふわりと柔らかく微笑んでくれた。
「はい、どうぞ」
渡されたマグカップの中は透明で……これはお湯かな?
彼女にはそれが聞こえたようで、頷きながら微笑んだ。
「白湯です。眠る前にゆっくり飲んでくださいね」
「……えっと……俺が眠れてないの、気がついてた?」
「そりゃ隣で寝ているんですから」
当然です。
そう言っているように見えた。
「このキャンドルも?」
「はい! デパート行って買ってきちゃいました!」
「ごめんね。高そう……」
「値段なんて良いんです。ちゃんと眠るのが一番です」
彼女は俺の手に自分の手を重ねる。細くて、柔らかい手が心地いい。
「でも俺、君を抱っこしていれば割と安心するんだけど……」
「それじゃ足りたい状態ですよ。今度、マットレスや枕も探してみましょう」
「え、高くない?」
「それでちゃんと眠って、お仕事が安全にできるなら安いものですよ」
穏やかな口調だけれど、真剣な思いが伝わる声だった。
「人の命に関わる仕事をしているんですから、ね?」
俺の手をさすってくれながら、有無を言わせない言葉。
「そして、ちゃんと私のところに帰ってきてください」
ああ、本当に彼女は俺のことをよく分かってる。そう言われてしまうと、俺は大人しく言うことを聞くしかないんだ。
俺は白湯を時間をかけて飲みきると、彼女の肩に頭を軽くのせて、ぼんやりとキャンドルの日を見つめた。ゆらゆらと揺らめく小さな炎を見ていると、理由はないけれど落ち着く。
「眠くなったら、そのまま寝てください」
「ん……」
頭にモヤがかかり、視界がぼんやりとする。この香りは彼女の思いやり。白湯で温められた身体と穏やかに揺れる炎は、俺を心地よい眠りへ誘ってくれた。
おわり
一八七、キャンドル
ぼんやりと彼を待ちながら、部屋を見回した。
一緒に住んで……結構経つな……。
目の前に置いてあるマグカップもお揃いで買った。
窓を見ると、一緒に選んで買ったカーテンが目に入る。
ふたりともカーテンなんて何でもいいと思っていたから、高さを知らなくて慌てて家に帰って色々長さを測ったっけ。
自然と笑みが浮かぶ。
この家にあるものは、ほとんどふたりで選んだから、何もかもが彼との想い出だ。
「たくさんの想い出がつまった家だ……」
愛おしい彼との家。
「これからも想い出が増える家だよ」
ぼんやりと眺めていたから彼が帰ってきたのに気が付かなかった。
「あ、おかえりなさい」
彼へ正面から抱き締めると、彼もいつものように抱きしめ返してくれた。
「うん、ただいま」
いつもなら、すぐに離してくれるのにより強く抱き締められる。暖かくて幸せでいっぱいになった。さっきまで、彼との想い出を反芻していたから、私も離れがたい。
「これからも想い出、たくさん作っていこうね」
「はい!」
おわり
一八六、たくさんの想い出
お風呂に上がって、ホカホカした身体をソファに座って涼んでいた。
彼女はテレビを付ける訳じゃなく鈴虫の鳴く秋をイメージした音を彼女のスマホから再生する。
ただ静まり返っているわけでもなく、季節の音に合わせたBGMは心地よくてソファに身体を預けて瞳を閉じる。
「ああ、いいねぇ……」
「いいですよね。会社でこんなBGMがいいよって話になって探してみました」
彼女は髪の毛を拭きながら水の入ったコップを二つ置いた。
「ありがとう」
「いいえ。お風呂上がりですから、水分取ってくださいね」
「うん」
俺は近くに置いてくれたコップに手を取って、飲むと冷たい水が身体にしみ渡る。音楽も心地よいし、このまま眠りに落ちそうだった。
「寝ちゃダメですよ」
「バレた?」
「眠そうな顔してました」
さすがにバレておりますね。
彼女は立ち上がって髪の毛を乾かしに洗面所へ戻ると、俺は一人取り残された。
と言うか、俺も髪の毛乾かさなきゃな。
そんなことを思いながら、彼女がドライヤーを使い終わるのを待つ。
そういえば、BGMって季節に合わせて色々あるよなーと思ってスマホを取りだした。
動画サイトで検索してみる。秋の虫の声の他に、もう暖炉の焚き火の音があって驚いた。
「うわ、早いなー」
そんなことを思いつつも、気になるのでそれをタップして、彼女のスマホの音より少しだけ小さくして隣に置いた。
秋の鈴虫の声と、暖炉の火を弾く音が合わさってまた心地いい。
「わ、焚き火の音が追加されてる!」
ぼんやり聞いていると、髪の毛を乾かして、ふわふわになった彼女が戻って来ていた。
「もう、髪の毛乾かさないままウトウトしないでください」
「心地よくって……」
「それは分かりますけど……とりあえず、髪の毛、乾かして来てください」
「はーい」
俺はソファに根を張りかけた腰をあげて、髪の毛を乾かしに洗面台に向かった。
彼女を横目で見ると、俺のと自分のスマホを横並びにさせて、ソファに身を委ねている。
やっぱり心地いいんだろうな。
うーん、暖炉か……。
虫の声はここでも聞けるけれど、暖炉の焚き火の音はそういう訳にはいかない。
土地土地のルールがあって、当然俺たちの住むここでも暖炉は禁止されている。
俺はドライヤーで髪の毛を乾かしながら、ぼんやりと考える。
冬になったら、暖炉のある別荘に遊びに行ってもいいかな……。
あ、スノボやりに行ってもいいかも。
そう思うと、早く相談したくて、根元にドライヤーの風を当てて、急いで終わらせて彼女が微睡んでいる居間に戻った。
「ねえねえ、冬になったらこんなふうに暖炉の音、聞きに行かない? スノボやりに行く時にそういう別荘探してもいいし!!」
「ふえ!?」
突然、居間に入ってきた俺の声に驚きながらも、ちゃんと考えてくれる。そうして楽しそうと思ってくれたようで、ぱあっと輝く笑顔を向けてくれた。
「いいですね! 行きたいです!!」
実際、スノボじゃなくても、彼女と暖炉の火をぼんやり眺めるとか、のんびり話をするとか、そんな時間だっていい。
もう少し先になるけれど、冬の到来が楽しみになった。
おわり
一八五、冬になったら