先日ひいた風邪。
彼女の看病もあって快癒した。
身体も動かせるようになったから、軽く運動をしたくなって、彼女と一緒に公園に遊びに来た。
「すっかり秋だね。空気感もそうだけれど空の色も違うね」
「はい」
彼女はゆっくりと空を仰ぐ。
「明確に湿度が変わりましたよね」
「うん」
太陽の暖かさそのものは変わった感じはしないけれど、彼女の言葉の通りに湿度が減り体感が違っていた。
木々にも緑が減り、緩やかに黄色味がかっている。空も夏のそれとは違って……いや、雲が違うのかな。
それと華やかで甘い香りが漂っていた。
公園の端に植えられている、濃い緑の葉っぱにオレンジの小さな花々の集合。金木犀が鼻をくすぐる。
「秋になったねぇ……」
「はい、すっかり秋です」
晴れた公園に季節を感じる。隣にいる恋人と目が合って自然とふたりで笑顔になり、穏やかな気持ちになった。
おわり
一五五、秋晴れ
今朝、発熱してしまい仕事を休ませてもらった。と、言っても、俺が自ら休んだと言うより、起きられない俺を心配した恋人が俺の職場に連絡をとってくれていた。
「ご飯、持ってきましたよー」
彼女がトレーを持って寝室に入ってくる。
持ってきてくれたのは、たまご粥とプリンと栄養ゼリー。カットフルーツもある。
「俺、寝ている時に買い物行ってきたの?」
「あ、はい。ガッツリ食べられそうならお野菜蒸しますよ」
「ううん、今あるやつで充分だよ」
お椀に分けて、俺に差し出す。
それを見て俺は少し甘えてみようかなとイタズラ心が生まれた。
俺は口を開けて、少し上を向く。彼女の方に口を差し出す形をとる。
「あーん」
「ふえ!?」
「あーん」
折角ならね、食べさせてもらおうかなと。
「あーん」
「え、え……」
照れもあるのか、どうしようかと挙動不審になる。
「疲れちゃう。はーやーく」
「あ、ごめんなさい」
慌てて彼女はマスク越しにふーふーする。空気がマスクに遮断されたのか、マスクを外してひと口分のたまご粥に向けてふーふーし始める。
――ぱく。
ん!?
もくもくと口を動かす彼女。当たり前の動作に俺まで呆然としてしまった。そして、こくんと飲み込んだ。
「あ!!!」
「あははははははは」
「いや、ごめんなさい、ちょ、笑わないでください」
「あはははは、ふっくくくくく……んふふふふ」
「抑えきれてませんよ!」
ダメだ、完全にツボった。
彼女は真っ赤になりながら慌てている。
「いや、だって、自分で食べる時も、あ、いや、もおぉおぉおぉ!!!」
「あはははははは」
笑い過ぎて、疲れて起こしていた身体を倒した。
「あ、あ、大丈夫ですか……?」
「いや、少し疲れちゃった」
彼女は慌てて立ち上がり、部屋を出ていったかと思えば、居間のソファに置いてあるクッションを持ってきた。
その後、自分の枕も持ってくる。そして、俺の身体を支えながら起こしてくれた。その後、背中にクッションやら枕を挟んだ。
「寄りかかれますか?」
「ありがとう」
枕とクッションを背もたれにした。
そして、もう一度たまご粥を掬い、ふーふーする。
「食べないでね?」
「食べません」
「んふっ……」
「笑うなら食べさせませんよー」
「ごめん、食べさせて」
「はい、あーん」
さっきのやり取りのおかげか、最初の照れはなくなったみたいだった。ちゃんと口元へ運んで食べさせてくれた。
卵の甘さと軽い塩味が美味しい。
「食べられそうですか?」
不安そうに俺を見つめる。飲み込むと自然と口角が上がった。
「うん、食べられる。でも、自分で食べようかな」
「え、いいんですか?」
彼女からたまご粥のお椀を受け取った。
「うん。俺が食べた後にうっかり食べちゃったら大変でしょ……んふふ……」
「心配してくれているのは分かるんですけど、なんか腹立ちます」
「ごめん、しばらくツボってると思う」
「むー!」
唇を尖らせている彼女だけれど、彼女の天然的なうっかりに、これ以上にないくらい面白かった。
いや、本当に忘れたくても忘れられない。
おわり
一五四、忘れたくても忘れられない
「起きてくださーい、朝ですよー」
安心する優しい恋人の声が、俺を呼ぶ。強く起こす声とは違った、どこか不安を覚える声。
「んー……」
なんだか重くて、身体はまだ眠いと訴える。俺はそれに従ってしまい、彼女の声に反応が出来なかった。
しばらくすると強い声で起こされるかもしれない。そんなふうに思ったのに、そんな気配はなかった。
そうこうしているうちに、俺は再び意識を手放していた。
――
あれからどれくらい時間が経ったのだろう。
カーテンも開けられていないからキツイ日差しを直接浴びることなく、輝度を調節されたやわらかい光が部屋を包む。
そりゃ、深く眠れていたわけだ。
意識を取り戻し、重い身体を動かすと節々が悲鳴をあげるように硬い動きをする。しかも痛い。
痛みを我慢して身体を起こすと、ぽちゃんと何かが落ちて頭が軽くなる。
なにこれ、氷のう?
「え……?」
状況がつかめなかった。
すると、小さく寝室の扉が開き、マスクをした恋人が入ってきた。
「あ、目が覚めましたか。身体は大丈夫ですか?」
彼女はトレーにタオルとペットボトルの水を持ってベッドの横にあるサイドチェストに置き、落とした氷のうをトレーに乗せた。
そして俺に近づいて、俺の額に手を当てる。
「熱、だいぶ下がりましたね」
その言葉で状況が飲み込めた。
「もしかして、朝起こそうとした時に俺の様子がおかしいって思ったの?」
「うーんと、私が起きる前から少し熱かったんですよ。声をかけても辛そうだったし、頭触ったら熱くて……。心配だからお仕事休みにしてもらうように連絡しちゃいました。勝手な判断でごめんなさい」
ゆっくりと諭すように話してくれるから、聞き取りやすいし、状況の把握が少しづつできてありがたい。
「ありがとう。心配かけてごめんね」
「いいえ、季節の変わり目もありますし、少し疲れちゃったんだと思います」
「医者の不養生ぉ……」
俺の仕事は救急隊員。ジャンルで言うなら医者だ。それなのに、自己管理が出来なかったんだなとため息が零れた。
「ふふ。先生たちも、そう言ってましたよ」
彼女は小さい声で笑う。それでも彼女の瞳からは心配の色が消えてはいない。
「食欲ありますか?」
「あ、うん。吐き気がある訳じゃないから大丈夫そう」
「なら、おかゆを用意しているのでお腹になにか入れましょう。あとはお薬飲んでしっかり寝てください」
彼女の言葉を聞きながら、ふと気がついてしまった。
「もしかして……ずっと看病してた?」
「はい」
さも当然ですという返答に、また熱が出そうだった。そういう言葉を当たり前に言えちゃうのが彼女なんだよな。
「仕事、休ませてごめんね」
「え、そんな。熱出た彼を置いて仕事に行ったら社長に怒られちゃいますよ」
そうやって笑う彼女だけれど、それが方便だって知っている。俺が気にするのを知っているから、俺が凹まないようにそう言っているんだよな。
「えっと……ありがとね」
「いえ。あ、食事、持ってきますね!」
そう彼女は立ち上がると扉を開け、出る直前で小さく囁いた。
「心配もしていましたけれど……私があなたのそばにいたかっただけなので……」
それだけ言うと、俺を見もせずに食事を取りに行ってしまった。
俺は再び身体が火照るのを理解して、身体を倒す。
俺、本当に愛されてる。
おわり
一五三、やわらかな光
恋人の勤めている会社は、制服が曜日によって決まっている。車のカスタムや修理をする会社なのに女性従業員が多く、その制服を楽しみにしている客もいる。
俺と彼女の出会いは、そっちではなく。患者として彼女が運ばれたところからだった。
だから、彼女の勤め先がそういう会社だなんて知らなかった。
とは言え、俺の先輩はそこの常連客なんだけれど。
でもその会社は敏腕社長が女性ながら、人気にしたお店で、その努力が伺える。
そのお客さんを呼ぶための制服だ。
なんだけれど……俺としては、目のやり場に大変困る曜日もありまして……。
俺が目のやり場に困るということは、恋人もそれなりに際どい格好をしているわけで。
末っ子気質の性格もあってセクハラも受けやすい。と言うか、一番受けているんじゃない?
そんな俺は、やっぱり目のやり場に困りながらも彼女待ちをしています。
俺は休日になったら、彼女にバイクのカスタムをお願いする約束を前からしていた。それで今日来たのだ。
でも、俺が来る前に受けたお客さんが、思ったより大変そうなカスタムの依頼だったみたいで……。
最初はそうじゃなかったと社長さんから聞いた。けれど、あれよあれよと依頼量が増えていったらしい。
先客にあたる男が彼女を見る目。その視線に含みを覚えて、お腹の辺りでモヤモヤする。時々感じるいやらしさ。
そして、俺が見ていない時。俺へ視線を向けているのを感じる。
これって、牽制されてるのか?
俺と彼女が付き合っているのを知らないのか?
ぼんやりと考えるけれど、そんな感情。俺には知ったことじゃない。
ちらりと彼女を見ると、先客の男と視線がぶつかった。
俺は、勤めて優しく、そして柔らかく微笑んだ後、刺すような冷たい視線を送る。
彼女は俺の恋人だと、視線だけで伝えるように。
その意図が伝わったかどうかは分からない。でも、驚いて顔色が悪くなったのを見計らって、最初のような柔らかく笑った。
どんなに彼女にモーションかけようが、彼女は俺のこと大好きで仕方がないんだと伝えるように。余裕を持って満面の笑みを向けてやる。
「君、余裕あるように見せて、大人気無いなぁ」
「社長、分かっているなら言わないでくださいよ」
余裕なんてある訳ないでしょ。
それだけ彼女は魅力的なんだから。
おわり
一五二、鋭い眼差し
「わっと危ない!」
転びそうになる彼女を先回りして、咄嗟に腕から背中に手を通し、恋人の体重を支えた。
「セーフ!」
「ありがとうございます……」
青年はそのまま彼女の両脇に手を添えて、軽く身体を持ち上げ、足が路地から離れる。
「わっ」
そして、ゆっくりと路地に着地させた。
「怪我はない? 脇、強制的に引っ張っちゃったけど、痛くなかった?」
「あ、それは大丈夫です。でも……」
「でも?」
「重く……無かったですか?」
青年は頭にクエスチョンマークを飛ばしながら、少しだけ首を傾げる。青年にとって重いなんて思えなかった。
むしろ、彼女より重い人間を持ち上げることだってよくある。青年はそんな事をしているのだ。
「軽いほうじゃない?」
「いや、私、重いですから!」
さっき、持ち上げた時。そんなに重かったっけな?
青年は眉間に皺を寄せながら考えたが、そんなふうに思えず。分からなくなっていた。
瞳を閉じて考えていたが、パッと目を開けて彼女を全力で腕を伸ばして高く高く持ち上げる。
「わあっ!!」
そして、彼女の膝の裏を掴み、座るように抱き上げた。
「伊達に救急隊で鍛えてないよ。余裕だから!」
彼女には言葉にしないけれど、青年は考えていた。
いつか、真っ白なドレスを着ている君をこうやって持ち上げたいな……。
おわり
一五一、高く高く