「初恋の日らしいよ」
差し出された花束には雫がついていた
ー
男の視線は落ち着きなく
手に持った花束と私の顔を行き来する
「今日の朝、ニュースで聞いてさ。
花屋の前、通っても書いてあって……
俺、花束とか買うの初めてでさ。
よく分かんなくってオススメで頼んじゃったんだけど、こういうの好きだった?」
ピンクのガーベラの後、
男に視線を移すと
その耳はガーベラよりも染まっていた
熱っぽく潤んだ瞳と目が合う
安っぽい漆黒は
らんらんと輝いていて、
私の言葉を期待しているのが透けて見える
私はこういうのが大嫌いだ
初恋とか、愛情とか、
夢みたいに綺麗なものが
本当にこの世に存在していて
かつ、自分がそれを与えたり、
享受できると信じてやまない愚かさが
私はできる限り綺麗な表情作って感謝を述べた
すると男は嬉しそうに頷き
あろうことか、
望んでもいない
私に対する自分の気持ちを吐露し始めた
その声を聞き流しながら、
私はじぃっとピンクのガーベラを見つめていた
ガーベラの中心、
黒目からほろりと
露がこぼれるのを私は見逃さなかった
明日世界がなくなるとしたら、何を願おう。
あの日、
見れなかったあのアニメの第8話を見ようと思う。
第8話以外は全部見たし、
第8話を見ずとも最終回は感動ものだった。
だからこそ私は月額2000円のサブスクに加入して
8話を見る。
こんな、人生で良かったと心から感謝する。
目の前が真っ暗になった
精神的な比喩ではなく、
ただ単に視野が
しかし次の一言で、
それは2通りの意味になってしまった
「優しくしないでくれない?
これ以上私を傷つけないで」
背中に回された手が、
私の浮き出た肩甲骨をさすり、
後頭部の刈り上げを撫でる
顔をあげようとしたが、
思いのほか強い手の圧に
未だ私の視界は黒一色を示す
「もう誰も好きになりたくないの、わかるでしょう」
恋焦がれた声が震えている
優しさという毛布であなたを包むつもりだったのに、
いつから私は武器を手にしていたのだろうと
暗闇の中で呆然とした
そして私は
その言葉で全てを失った
唯一の長所も、手持ちも、
描いていた幸福な未来も
首筋に温かな湿りを感じ、
暗闇は一層深さを増す
このまま
この人の熱を感じたまま
暗闇の中に溶けて消えたいと
心の底から願った
「あなたの中に届かぬ想いはありますか」
ゆるいゼリー状の空気が停滞する白い春の午後
国語の先生はそう言った
30人いる生徒のうち
聞いているのは多分私だけだった
だからだろう
私はまさに自分に
問いかけられているような気持ちになったのだ
「私はあります」
先生の落ち着いた声が少しだけ裏返った
「あなた、ありますか?
あるなら口にした方がいいです
届けた方がいいです
私たちには口があり、思考があります
しかし時間はありません」
いつもは寡黙な国語の先生が
こんなに早口で喋っているのを私は初めて見る
「届かぬ想いはやがて腐り、
後には取り返しのつかない死骸だけが残ります」
そう 言い終わった先生は
ゆっくりと目を閉じた
その数秒の沈黙
教室の空気が完全に固まったように感じられた
永遠とは、このことだと思った
ー
その次の日から先生は学校に来なくなった
他の先生が鬱病だとか、
なんだとか騒いでいたけれど
それっきり先生を見ることは無く
私はふと、
好きだった女の子に告白してみたが
その反応は芳しくなかった
正直後悔した
でも心の中で腐らせるよりは
ずっとマシだと思った
白い花が咲いている
ハクモクレン
青い空に漂う優しく温かい春の香り
神様へ
あの子はあなた様のもとで元気にしていますか?
もともと白くて純潔そのもので
この世のものとは思えないような人だったから
きっとそちらが本来の住処なのでしょう
こちらの世界では息が苦しいようで
随分と苦しんでいましたから
旅立つ時のあの安らかな顔を見て私は安心したのです
今頃な背から羽を広げて、
飛び回って遊んでいるかな
あの子はきっと天使なんですよね?
あの薄い皮膚に閉じ込められた
大きな肩甲骨を見た時、
この子は生まれてくる世界を
間違えてしまったのだと思いました
神様
もう天使を地上に堕としてはいけません
しっかりお仕事なさってください
愚かな人間はイデアを懐かしんで、
恋焦がれて、狂ってしまうんです
それは取り返しのつかない大火災を引き起こすのです
ふと
ハクモクレンの花びらが木を離れて宙を舞った
それは私の目の前を通って
地面に落ちる
まるで天使の羽だ
私は思わずそれを拾って匂いを嗅いだ
幸せに満ちた春の香りの中に
あの子の気配を感じた