—甘い誤算—
モテない男子をからかうために『バレンタイン』は作られたんじゃないか、と俺は思っている。
「ナオは、チョコ何個貰った?」
帰り道。
親友の松本が、口の端を上げて訊いてきた。
「……一個ももらってねぇよ」
「そうかいそうかい」
松本が訊いてほしそうな顔をしているので、俺は言ってやった。
「そういうお前は、何個貰ったんだよ」
「気になるかぁ。——オレはね、五個!」
バックを開いてみせてきた。
手作りのチョコもあれば、どこかの店で買ったような箱のチョコもあった。
悔しいけれど、羨ましい。
「でも意外だなぁ。西村からはもらってると思ったのに。ナオと幼馴染で、仲良いじゃんか」
頭の後ろで両手を組んで、松本が言った。
「さぁ。それとバレンタインは別だろ」
「そういうもんかなぁ」
しばらく歩くと、いつもの交差点に着いた。
ここから帰り道は別々になる。
「チョコの感想は教えてあげるからね」
松本は最後にそう言い残して、帰っていった。最後まで腹の立つ親友だった。
それから、一人で帰路についた。
——明日、バレンタインかー。今日の夜頑張ってチョコ作らないと。
——誰に渡すの?
——まぁ、いろんな人。詳しいことは内緒!
ぼんやりと歩いていると、昨日の会話が頭に流れてきた。
西村は誰に渡したんだろうか。
「ナオ」
そんなことを考えていると、本人がやってきた。そのまま隣に並んで歩き出す。
「チョコ、何個もらった?」
「ユイトとおんなじこと言うんだな。……一個ももらってない」
そう言うと、彼女はふっと笑った。俺は、目を細めて彼女をみる。
「で、チョコは渡せたのか?」俺は訊いた。
「うん。いっぱい作ったから、渡すのにも時間かかっちゃった」
彼女は、背中のバッグを前に持ってきて開いた。そして箱を一つ取り出した。
「これでラスト! チョコを一つももらえない可哀想なナオに、あげる」
「……ありがとう」
「言っとくけど、一番出来の良かったチョコだから」
「え……」
気づけば、家のそばまで来ていた。
「お返し、期待しとくね。じゃあね!」
「あぁ……、また明日!」
心拍数が急激に上昇していた。
この日があって良かったと、初めて心から思えた。
お題:バレンタイン
—僕はいい子だから—
「いい子にして待っててね」
お母さんは玄関でそう言った。
「わかった!」
僕は大きく頷いた。
お母さんは最後に少しだけ悲しい顔をして、家を出ていった。
行き先はわからない。
でもさっきバッグに包丁を入れていたから、きっとご飯を作りに行ったんだと思う。
僕はいい子にして待っていた。
太陽が沈んで、昇って、沈んで……。
喉が乾けば、水道水を飲めば良いけれど、冷蔵庫には何もないから食べ物がない。
お母さん、お腹すいたよ——。
ピンポーン、とチャイムが鳴った。
お母さんだ——。
僕は急いで立ち上がる。でも、足にうまく力が入らない。
ふらふらとした足取りで玄関までたどり着いた。鍵を開けて、ドアを押した。
「は、い」
声が掠れてうまく出せなかった。
「大丈夫か、君」
「おい、救急車だ!」
ドアの向こうに立っていたのは、二人の警察官だった。
僕、いい子にしてたよ。お母さん、待ってるから、早く帰ってきてよ——。
意識がゆっくりと闇の中へ沈んでいった。
お題:待ってて
—沈黙の恋—
私は、生まれつき声が出せない。
そのせいでみんなとの会話にも入れないし、私と関わる度に周りの人が遠慮しているのがわかる。
だから、友達は一人もできなかった。
「東條」
隣から男子の声がした。
そちらをみると、彼は両手を使って『おはよう』と言っていた。
私も手話で『おはよう』と返した。
高校に入ってから、初めて会話ができるようになった。
隣の彼は、手話ができる。
彼の母親がろう者のようで、手話を必死に勉強したと以前に言っていた。
『小テストの勉強した?』
『してきたよ。あなたは?』
『ゲームに夢中で、してくるの忘れた』
彼は眉を下げて、肩を落とした。
私は思わず笑みをこぼした。
楽しい。誰かと会話をするということが、これほど素晴らしいことだとは知らなかった。
『自業自得だね』
『テストで出そうなところ、教えてくれよ』
『いいよ』
私は、教科書を両机の中央に開いておいた。
彼との距離が近くなって、心臓の鼓動が速くなる。
この気持ちに、私はもう気づいている。
しかし、それを彼に伝えて拒まれたら。彼と会話できなくなってしまったら。
私は元の暗い生活に戻ってしまう。
いつかこの気持ちは伝えたい。
でも今はまだ言えない。だから、胸の奥に大切にしまっておこうと思う。
お題:伝えたい
—巣立ちの日—
記憶もないくらい小さい時から、ずっといた私の部屋。
——わたし、これがいい!
小さい頃、ホームセンターで選んだ勉強机。
宿題をする時も、受験の時も、とてもお世話になった机。
昔は大きすぎて、地面に足がつかなかった。
部屋の角にはベッドがある。
友達の家で寝ても、ホテルで寝ても、結局このベッドが一番寝心地が良いし、安心する。
嫌なことがあった日は、枕に顔を押し付けて、声を殺して泣いた。
壁に立てかけた全身がみえる鏡。
デートの前も、就活の日も、何度も前髪を直して、この鏡から自分を睨んでいたっけ。
「あんた、準備できたの?」
下の階から母の大きな声が聞こえる。
「うん、すぐ行く!」
今日でこの部屋とはお別れだ。
机をそっと撫でる。
ベッドのシーツを整える。
鏡に映った最後の私は、昔よりもずっと大きくなっている。
「いってきます」
私は部屋を出て、静かにドアを閉めた。
お題:この場所で
—人気者の理由—
僕の担任の先生は、人気者だ。
「片桐さん、いいよ! だんだん足の動きが良くなってる!」先生が言った。
体育の時間。
今日は、ハードルの練習をしていた。
僕は、片桐をみた。運動神経の悪い彼女は、体育が嫌いだと以前言っていた。だから、練習はあまりやりたがらなかったはずだ。
彼女は、ニコニコしながら「はい!」と大きく返事をした。
「安藤くん、もっと歩幅を大きくしてみよう! 安藤くんは覚えるのが早いから、もっと練習すれば、もっと良くなるよ!」
僕は、安藤をみた。ぽっちゃりとした彼は、片桐よりも運動嫌いで、昨年は『見学』という名のサボりばかりだった。
そういえば、今年はそれをみていない。
彼は、頷いてまた列に並んだ。
「大津くん、ハードルを跳ぶ時に減速してるよ! 大津くんは足が速いから、もったいない! もうちょっと手前で跳んでみよう!」
僕は、大津をみた。彼はとにかく足が速い。運動会では、リレーのアンカーを走った。
先生の言葉で、彼はさらにやる気になっていた。
「じゃあみんな、一旦練習を止めよう!」
みんな、動きを止めて先生に注目する。
「みんな、動きは良くなってるんだけど、その中でもよかった人を紹介したいと思う。佐藤、お手本をみせてくれないか?」
先生は、僕をみた。みんなが僕をみた。
僕は「はい!」と返事をした。
先生が人気者な理由がわかった気がする。
誰もがみんな、自分を見てくれていると嬉しい。そして誰もがみんな、褒められると嬉しいのだ。
僕は、スタートラインに立ち、全力で走り出した。
お題:誰もがみんな