あんなに魅力的に見えた元カレに
別れを告げられ
私よりひとまわり以上若くて可愛らしい子と
並んで歩いているのを見て
なぁんだ
若くて可愛いい女性がよかったんだな
あいつも世の男どもと一緒か
と、妙に腑に落ちて、冷めた気持ちになった
波紋が無くなった水面のように
私の心が平たくなる
そう
長年の夢から醒めたのだ
#目が覚めると
『やる気スイッチ』なんて、突然ブレーカーが落ちた末に、かちかちと虚しく乾いた音が虚空に漂う、経年劣化甚だしい実家の古びたスイッチと何ら変わらない。
意思とは無関係に、突然に稼働しなくなるのだ。
臀部から見えない根っこが生え出して、地面と一体化してしまったかのように、行動範囲が制限される。
意思とは無関係に。
私は自由になったはずなのに。
私に干渉するあらゆるしがらみを伐採して、足元の唐草さえ、細切れにしたというのに。
ここではないないどこかもまた、ここではなかったのだ。
#ここではないどこか
代わり映えのしない毎日は
まるで、ただひたすらにレベルアップのためだけに弱いモンスターを倒しまくる、あの地味な作業に似ていた。
だから、つまらなくて、だるくて、刺激がほしくなる。
こんな時間を費やす自分が馬鹿みたいに思えて、私は数学の問題集を閉じた。
階下に降りて、スニーカーを出す。
「こんな時間にどこ行くの?」
フェイスパック姿の母親が耳敏く気づいて、玄関まで出てきた。
そんな姿でこそ、玄関まで来ないでほしい。
「そこのコンビニで、模試の解答用紙コピーしてくる」
喉元まで出かかった言葉は、優良少女が使いそうなものにすり変わって投げられた。
「あら、だったら、拓磨についていってもらったら?」
母親は、上階を振り返って、いまにも弟に声をかけそうだ。
拓磨だって、部屋で思い思いに過ごしたいだろうに。
ほらね、受験勉強が絡むと態度が変わるんだよね。
「いいよ。部活で疲れてるだろうし。なんかレギュラー候補なんでしょ?大事な時期なんだし、ゆっくりさせてあげなよ」
私はすげなく答えて、スニーカーの靴紐を結ぶとトートバックを持って立ち上がった。
「そう?でも…」
母親は、また上階をちらりと見てから、私に視線を移した。まだ決めかねているようだ。
「コピーしたら戻って来るから。何か買うものがあったら、連絡ちょうだい。じゃあね」
長居は無用だ。
私は、母親が何か言い出す前に玄関を出た。
夜の空気は独特な感じがする。
毎日往復している通学路でさえ、朝の爽快さやまどろみが混在したものと、まるで空気感が違う。
薄闇が生き物だとしたら、知らずにその呼気を吸い込んで、自分が内側から侵食されていくような妄想すら描いてしまう。
コンビニは周囲の薄闇を退けて発光する、古びた宝箱みたいだった。
塾帰りの中学生たちが購入したホットスナックを噛りながら、小テストのできばえを話題に自動ドア付近に屯していた。
ああいう自由は、私の頃は無かったな。
私はコンビニの自動ドアを潜ると、雑誌コーナーを一瞥し、複合機に向かった。
#日常
通勤電車の喧騒にうんざりしながら、私は最近購入したばかりのワイヤレスイヤフォンをかばんから取り出した。
イヤフォン専門店のECサイトを眺めていた時に一目惚れして、考える間もなくポチっと購入ボタンを押していたのだった。
黒のボディにゴールドのラメが煌めいて、見るたびにテンションが上がる。
遮音性が高い仕様みたいで、一気に好きな音楽の世界に身を沈めることができるところも気に入っている。
車内が混雑しているのは嫌だけど、イヤフォンを使えばだいぶストレスはマシになる。
推しのアーティストがこの世に産まれてきてくれたことを、神さま仏さまに感謝するぐらいには、険が取れてしまうのだ。
ふと、推しのツアーTを着ている大学生風の大柄な男性が目に留まった。
さすがだね。見る目あるよ。
マスクで隠した口元がにやついた時、彼と目が合った。
形の良い眉根を寄せて、訝しそうに私を見返している。
まずい。
私は目線を横にずらし、スマホを取り出して通知をチェックしている風を装った。
すると、視界に表情を変えた彼が引っ掛かった。
視線を移すと、彼は口を「あ」のかたちにして、真っ直ぐに私の右手をロックオンしていた。
今度は私が訝しげな表情をして、スマホを握る右手を改めた。
「あ」
私の番だった。
スマホケース越しに推しの初期のステッカーが存在感をアピールしていたのだった。
次の停車駅を車内アナウンスが告げる。
職場の最寄り駅だ。
私は、スマホをかばんにしまい、降車ドア側に身体を向けた。
電車は次第に速度を緩め、車掌が停車駅名を繰り返しアナウンスした。人がドアに吸い寄せられ、密度が濃くなる。
エアロックが外されたような小気味よい音と共に、人が濁流のように流れ出していく。
後ろからの圧を感じながら、私も流れに身を投じようとしたその時…
「あの…」
横から声をかける人物がいた。
形の良い眉根を困ったようにハの字にしている
小柄な女性。
「はい?」
私は驚いて、声を上擦らせながらも、何とか返事をした。
そこで、ハッとした。
さっきはスマホに気を取られてしまったが。
彼女の身につけているTシャツ。
ファンクラブ限定シリアルナンバー入り再販無しのTシャツではないか。
「それ」
「それ」
2人の言葉が重なった。
足を止めてしまいたかったけれど、後ろからの圧には抗えない。
歩を進めながら
「改札出たところで」
と伝えて、私はICカードを持つ右手を振った。
彼女ははにかむように笑い、同じようICカードを持つ右手を振った。
体躯に恵まれたおかげで、小柄な彼女でも私はすぐに見つけてもらえることだろう。
推しのツアーTをそっと撫でた。
これから起こることは
きっと推しが偶然に起こしてくれた
作り話のような現実。
推しよ。
産まれてきてくれて
ありがとう。
#あなたがいたから
あの時、私が抱いていた感情に名前をつけるとするなら『哀れみ』、といえるだろう。
彼女は、祖先の特徴をその背に有していた。
空を舞う鳥たちに似た、白い翼を。
長い年月をかけて、祖先が点在していた群ごとに交配が進んでいくなかで、祖先の特徴を有することは重宝がられるどころか、退化と見なされ迫害の対象とされた。
彼女―シロヨクも、例外では無かった。
彼女の年が3つになる頃、年の近い子どもたちは彼女と遊ぶことを避けるようになった。
大人たちが明らかな侮蔑の態度を取るようになったからだ。
この頃、シロヨクの背には傍目から明らかに肩甲骨とは異なる盛り上がりが服の上からでも確認できる状態で、幼いシロヨクの小さな身体にはアンバランスな大翼が折りたたまれていてもなお、その存在感を現していた。
一人ぼっちで過ごすことが増えたシロヨクは、茂みに隠れ、時に必死に声を殺して嗚咽した。
その姿は、アカメの脳裏を焼き、胸に長針が刺さったような痛みを残した。
アカメは、視力の無い紅い瞳と銀色に近い白髪を持って生まれた。
稀有な容姿のアカメは、視力を持たずとも、全身の感覚をもって自分と外界とを理解し、見えないはずの世界を透視というかたちで頭の中に顕現させることができた。
さらに稀有な能力を宿していると知るや否や、群の大人たちは驚きおののいて、アカメを神格化し、不可侵の存在として囲うようになった。
アカメは自分の意思で自由に外に出ることも、誰かに会うことも難しくなった。いわゆる軟禁状態に置かれた。
ただ透視だけが、彼と外界との接点を唯一繋ぎ留めていた。
アカメは、自分に食事を運んでくる母世代の女性が下がると、手早く食事を喰らい、次に女性が訪れる半刻後まで透視に集中した。
シロヨクの状況を知ったのは、そんな時だ。
アカメ9歳、シロヨク3歳の頃だった。
『どうして泣いているんだい?』
頭の中に突如、男の子の声が響き、草むらに身を潜めていたシロヨクは、勢いよく顔を上げて左右を見回した。
誰もいない。
シロヨクしか。
「だぁれ…?」
シロヨクは、思わす声を漏らしていた。
続
#恋物語