「入道雲」
入道雲が嫌いだ。
故郷の夏を思い出すから。
都会より高く感じる空の下、麦わら帽子を被ってとうもろこしを収穫して運んで。
ご褒美にもらったアイスをあなたと食べた。
二人とも春になったら故郷を出ていくことが決まっていたから、不安を打ち明けあって互いに励ました。
あれは昨年の夏のこと。
四ヶ月ぶりに帰郷して、あなたは帰って来ないと聞いた。
アルバイトに精を出しているだとか、都会が楽しいのだろうとか、周りの人たちは好きなように言っていた。
会いたかったな。
縁側で寝転がって、雲が流れていくのを眺めてつぶやく。
思い出すのは夏の空を背に笑うあなたの顔。
入道雲が嫌いだ。
私だけがあの夏に囚われていることを思い知らされるから。
「君と最後に会った日」
もうすぐ遠くへ行ってしまう君と最後のお出かけ。いつもと変わらない道を並んで歩いた。
商店街もその先の複合施設も特別なことは何もなくて。
「これで最後なのだ」と妙に緊張した僕と口数少ない君だけが、この風景から切り取られたようだった。
帰り道、思い出にと贈り物を買った。
君の好きな淡いピンクの天然石がついた根付。
渡す時に心からの祈りをこめた。
君が無事平穏に過ごせますように。
気に病むようなことが起こりませんように。
それでも困ったことがあった時には、誰か頼れる人が傍にいてくれますように。
君は笑ってお礼を言ってくれた。
それが君と最後に会った日の記憶だ。
「繊細な花」
不要なひと言であなたの心を折ってしまった。
それまでいつもどおりの会話をしていたはずだったのに。
一瞬で顔色を変えて、その瞳から光が消えて行くのを見てしまった。
ごめん、の言葉は虚しく滑り落ちて。
もう二度と戻れないのだと気づいた。
あなたは繊細な花だった。
「子どもの頃は」
子どもの頃、私たちは見えない何かに守られていた。
当時私たちが住んでいた町は、都会へ出るための交通の便が良いと、ベッドタウンとして持て囃され賑わっていた。
町の真ん中には広い公園があり、その周りは樹木に囲まれ、花壇には季節ごとに花が植え替えられ、夏祭りの日には町じゅうの人々が集まった。
そんな公園の奥に大きな樫の木があった。
何人もの大人が両手を広げて並んでやっと一周できるくらい幹が太かった。
その樫の木の公園とは反対側の根元には、草書体で書かれた碑と、神様か仏様かそれとも観音様なのか子どもには区別のつかない御姿が彫られた石が置かれていた。
町の人々は何か気にかかることがあるとその場所を訪れた。
そこへ行くことは誰にも言わなくとも、お供えものや水で洗われた形跡を見て、自分以外の人もこの場所に来て手を合わせているのだと理解していた。
やがて時が経ち、子どもたちは巣立って行き、当時は新興住宅地だったその町は建物の老朽化と住人の高齢化に悩まされ、建物を工事して若い人に移り住んでもらえるよう対策をとった。
結果、公園の樫の木は大き過ぎて周りの家の日当たりが悪くなると切られてしまった。
碑と御姿の石も由来がわからないという理由でどこかへ持ち去られてしまった。
それ以来、その町は瞬く間に衰退していった。
事件や事故が増えて治安が悪いと移住者が来なくなった。予算が回らなくなり、福祉サービスがカットされ、景観は荒れていった。
かつてその町の住人だった私たちは、それぞれ今住んでいる場所で、故郷の町が隣町に吸収される形で合併されたことを知った。
町の名前すら残されなかった。
公園の大きな樫の木と草書体で書かれた碑と御姿の石。
子どもの頃、私たちは見えない何かに確かに守られていた。
「日常」
何の不満のない毎日。
家族仲も良く友人にも恵まれて、良いこともあれば悩むこともある平凡な日々。
そんな私の楽しみは想像の世界に浸ること。
電車に乗っている時や就寝前の一人きり落ち着いた状況で、自分だけの世界に入り込む。
そこでは私は何にでもなれる。
どこにでも行ける。
誰にも邪魔されない、私だけの世界。
困っているのは、想像の世界にいる時間がだんだん長くなっていること。
食事中も会話中も仕事中でさえも。
私の現実はどちらだろう?