ゆうべに

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「子どもの頃は」

 子どもの頃、私たちは見えない何かに守られていた。

 当時私たちが住んでいた町は、都会へ出るための交通の便が良いと、ベッドタウンとして持て囃され賑わっていた。
 町の真ん中には広い公園があり、その周りは樹木に囲まれ、花壇には季節ごとに花が植え替えられ、夏祭りの日には町じゅうの人々が集まった。
 そんな公園の奥に大きな樫の木があった。
 何人もの大人が両手を広げて並んでやっと一周できるくらい幹が太かった。
 その樫の木の公園とは反対側の根元には、草書体で書かれた碑と、神様か仏様かそれとも観音様なのか子どもには区別のつかない御姿が彫られた石が置かれていた。

 町の人々は何か気にかかることがあるとその場所を訪れた。
 そこへ行くことは誰にも言わなくとも、お供えものや水で洗われた形跡を見て、自分以外の人もこの場所に来て手を合わせているのだと理解していた。

 やがて時が経ち、子どもたちは巣立って行き、当時は新興住宅地だったその町は建物の老朽化と住人の高齢化に悩まされ、建物を工事して若い人に移り住んでもらえるよう対策をとった。
 結果、公園の樫の木は大き過ぎて周りの家の日当たりが悪くなると切られてしまった。
 碑と御姿の石も由来がわからないという理由でどこかへ持ち去られてしまった。

 それ以来、その町は瞬く間に衰退していった。
 事件や事故が増えて治安が悪いと移住者が来なくなった。予算が回らなくなり、福祉サービスがカットされ、景観は荒れていった。

 かつてその町の住人だった私たちは、それぞれ今住んでいる場所で、故郷の町が隣町に吸収される形で合併されたことを知った。
 町の名前すら残されなかった。

 公園の大きな樫の木と草書体で書かれた碑と御姿の石。

 子どもの頃、私たちは見えない何かに確かに守られていた。


 

6/23/2024, 3:06:02 PM