声が枯れるまで
お互いの名前を呼ぶ声が枯れるまで。
くだらない話で笑う声が枯れるまで。
将来の事を語り合う声が枯れるまで。
話しかける時は「ねぇ」とか「あのさ」とかでいいから。
ちゃんとしてって叱ってくれていいから。
こんな事があったねって思い返してくれたら嬉しいです。
始まりはいつも
始まりはいつも向こうから。受動的に生きてきた。その方が生きるのが簡単だったから。相手の言う通りにしていれば問題は起きなかったし、こうしたいとかこうしてほしいとか、自分の希望や願望は特になかった。自分の金と時間、精神を差し出せば存在が保証されると心底信じていたし、それ以外に自分というものを確立する手段を知らなかった。周りには言わない、言えないような関係性の人が何人かいたけれど、それはそれで満たされていた。
初めて能動的に動いたのが今回、君に対して。君が押しに弱そうだというのもあったけれど、君はモテるから。それにお互いが好みのタイプではないのも知っていたから、自分が動かないと何も発展しないと認識できたのもある。
君を逃したら、二度と飼い主を見付けられないと思った。
君が駄目だったら、独りで生きていこうと覚悟していた。
君だったら、自分を理解出来ると確信したから。
自分にとってはいつもと違う始まりで、相手に対する態度も利己的で。不安を感じるよりも先に自分がこうしたいと思っていることを躊躇わずにぶつけても、君はなんでもない風に流してくれる。「扱い方が分かったら、すごく分かりやすい人だねぇ」と不安を感じなくていいように振る舞ってくれる。
始まりはいつも受動的で、それはとても楽だったけれど。
楽しくはなかったのだと今になって思う。
すれ違い
今でもというか、だいたい個々で飲みに行くから「時間が合えば何処かのお店で合流しようか」なんて言ったりして結局帰りだけ送っていくこともある。自分達の関係性を知っているお店でも、別々に行っている時は待ち合わせでもない限り敢えて隣をズラしてまで隣同士にしたりもしない。一緒に行った時でも飲み方が違うから伝票は別。隣が空いていれば当たり前のように隣に座るし、今日はどちらかの奢りなのでとなれば伝票は一緒。でもそれぐらい。丁度いい距離感。
今までと違うことがあるとすれば、自分が先にお店に入っていて、たまたま君が後から来た時に、君が真っ直ぐ自分の席へ来てくれるようになったこと。その後で君は空いている席へと向かう。周りは気を遣ってくれているのか「ここ空けますよ」等と言ってくれるが、自分も君も断る。だって動くの面倒だし。
すれ違っていそうですれ違っていない価値観のおかげで今日もまだ君の隣に。
忘れたくても忘れられない
良いことも悪いこともそんなに覚えていない。記憶があったとしてもそれが良いのか悪いのかも分からない。脳裏に焼き付いて離れないだとか、感銘を受けて心に深く届くだとか。そういうこともない。もしかしたら嫌な記憶は無かったことにしているだけで深層心理には残っているのかもしれないけれど。当時は自分にとって最悪だった問題も、今思えばそんなに深刻に悩む事でも無かったなぁと時折記憶が思い出されることもあるから、全部が全部忘れてしまっているわけでもない。
だから忘れたくても忘れられないという程、自分の人生に衝撃を与えた出来事はさほどないと言える。ただただ覚えている事柄があるだけで、別にそれを覚えているからと言って今の自分に何か作用することはない。
記憶力に少しばかり問題のある自分は目の前に無いものは思い出すことができなくて、ほぼ毎日会っているはずの君の顔も君が目の前に居ないと思い出すことが出来ない。忘れているわけではないから、例えば何処かの駅で待ち合わせをしたら雑踏の中でもちゃんと君を見分けることは出来るし、シャンプーを変えたり柔軟剤を変えたら会った時に気付くことも出来る。そういう記憶力はある。でも会っていない時に君の顔を思い出そうとするとチグハグだ。写真を見ても君の写真だと理解は出来るが(こんな顔だっけ?)と自信は持てない。
ひと月連絡を取らないだけで、それまで毎日会っていても存在事忘れてしまうような自分ではあるけれど、忘れたくても忘れられないぐらいに君の存在が大きくなってくれたらと願っている。すぐに忘れてしまいそうだけど。
鋭い眼差し
ご飯を抜くことがよくある。もっと言えば、そもそも食べる気はない。生活リズムは一定ではあるものの世間一般から見れば不規則で、一日に短時間の睡眠を2回という生活態度が身体にいいわけがない。ただでさえ食に対して興味関心がないのに、その上疲労のせいで食欲もない。それだけなら君もここまで鋭い眼差しをこちらに向けなかったろう。せいぜい眉間に皺を寄せるぐらいで口頭注意に留めてくれたかもしれない。
だがしかし、駄菓子菓子。
低血圧症、低血糖症、自律神経失調症。自分が医者に下された診断である。もちろん君には伝えてあるし、これに加えて躁鬱病もあるからご飯を食べない≒体調が悪化の一途を辿るのは目に見えている。自覚はある。だが食欲はないし、食べなくていいなら特に食べたくはない。嫌いなものや苦手なものは少ないがアレルギーが多いせいか味も特に気にしてたべることはない。食べられるならそれでいい。
そんな食生活を人生の半分以上続けてきて、今さら三食きっちり食べたりなんかしたら、それこそ体調を崩しそうではある。
それでも君の鋭い眼差しをスルー出来るほど自分は雑には生きていけず、渋々君の分と一緒に自分のご飯を用意する。今日のご飯は蕎麦です。