涙の理由
「好きな人ができたから」
そう言ってフラれたらしい。それってそもそも恋愛的な意味で好かれてなかったのでは?という疑問は辛うじて飲み込んだ。いくら自分でも、この言い方が良くないことぐらいは分かる。君を傷付けたいわけじゃないからね。君は一目惚れが多いだとか、人間として安定していれば付き合うとか言うけれど。
「あなたと結婚とかいう話にならなければ狙ってた人がいる」
何かの流れでそう言われて、これはむしろ今からでも身を引こうかと思った。君の中では自分は友達枠で、自分の中の君は飼い主枠であってこの時点で噛み合っていないからね。利害の一致で今の関係に収まっているけれど、利害関係を覆す程の損得があれば君は簡単に離れていきそうだから。君からすれば、アピールしようかな程度だったから別に何とも思っていないそうだが、いやアピールしようと思った時点で中身はどうあれ気持ちは傾いていたのでは、と邪推する。まぁこんなことで涙する程純粋ではないのが自分だから今日のお題は君の話になるのだけれど。
冒頭の話の時、君は飲んだ酒を涙として排出しているのかと見間違う程飲んで泣いていた。どうにも自分の周りには、失恋の度にきちんと涙を流す人が多い気がする。そこまで真摯に他人と向き合えるのは才能だと思っているから、素直に尊敬すると言ったら「むかつく」と言われることが多い。仕方ない、事実だから。そんなわけで失恋から一年経った今も引きずっていると口にする君は、一ヶ月程度は見る度に泣いていた。
それ以来君の泣き顔を見ることはないし、感受性の強い君は感動して涙を浮かべることはあっても泣き顔と呼べるほど顔が崩れることはない。
そんな君は先月、お馬さんのレースで負けて泣いていました。
ココロオドル
良くない悪癖がある。悪癖の時点で良いわけがないのだから、文章としておかしいのは重々承知で、それでも良くない悪癖と言わせてもらいたい。
約4年前に君と出逢って、約半年前に君と連絡先を交換した。最初の2,3ヶ月は外に出掛けることが多かった。後半の2,3ヶ月は殆どを君の家で過ごしている。君はだいたいゲームをするかスマホを弄るか。自分はだいたいそんな君を横で眺めるか眠るだけで、会話が無いわけではないが心地よい無言を感じられるようになった。お互いに恋人が欲しいわけではなくて、君は一人で死ぬのが嫌だから一緒に生きる人を探していて、自分はずっと飼い主を探していたから、今の関係性は言わば利害の一致。自分の中では友愛が4割、家族愛が6割ぐらいで、君は友愛100%だと昨日聞いた。それで良い。それをずっと求めていた。君は「いつか友愛が愛情になればラッキー程度」だと言っていて、穏やかなのが一番だとぼそっと教えてくれた。
つまるところ、君からの信頼度は着実に増えている。周囲から言われるまでもなく、それは何となく自覚しつつある。信じきれないのも悪癖の一つだが、これは自分自身の問題なので冒頭の悪癖とは少し違う。自分が言っている良くない悪癖というのは"裏切りたくなる"ということで、君からの信頼度が高まれば高まる程、裏切ったらどうなるんだろう?怒りが滲むのか、絶望の表情を浮かべるのか、それとも一切の感情を失くして平然としているのかを確かめたくなってしまう。無論、そんなことをすれば君が離れていってしまうことは百も承知で、君と離れる未来なんて想像もつかないから実行してはいけないことは充分に理解している。それでも心は静まらない。君にはこの悪癖を伝えたし、裏切ったら即破局だと言われて、それはそうだと自分でも感じている。
来週の某日、学生時代に付き合っていた人と会うけれど君には伝えていなくて、まぁ君はそういうのは気にしないだろうからその内伝えようかなとは思っている。あわよくばほんの少しでも軽蔑してくれないかなって。そう考えるとココロオドル。
束の間の休息
バイトAは5時間。次のバイトBまでは8時間。この間に風呂に入って飯を食って睡眠時間を確保して朝の5時に出勤する。バイトBは4時間で、バイトAまでは6時間。この間はちょっとした軽食を食べて気持ちばかりの自由時間と2時間程度の昼寝を経て、昼の15時に出勤する。足りない1時間は移動時間。それを繰り返す毎日で、どちらかが休みの日は飼っている爬虫類の世話をしたり、友人と飲みに出たり。最近は君の家にお邪魔してひたすらだらだらしたり。
仕事仕事の毎日を選んだのは自分だから後悔はしていない。休日はあるし、一緒に過ごしてくれる人達もいる。それでも、どうしようもなく疲弊した時は。束の間の休息を君の隣で。
力を込めて
タイミングというのは大事で、何でも全力で力を込めてすればいいというものでもない。というのを今回の君との進展で如実に感じました。肩の力を抜いているからこそ信憑性が高まる事もあるし、ただ一点だけに力を込めて真剣味を帯びさせるようにもしました。勢いのままに、なんて照れ隠しで、これでも色々考えながら言葉を選んで場面を用意して第三者にも言い聞かせるように。自分が出来る全てを総動員して、これでフラれたら悔いはないと言わんばかりに。これ以上の情熱を他の誰かにはもう注げないと思えるぐらいに。自分にとっての全てが君の為にあるんだと、少しばかり大袈裟に魅せて。
まどろっこしいことを取っ払って、力を込めて伝えるのなら。
死ぬまでよろしくね。
過ぎた日を想う
小学生の頃が人生のピークだった。何の責任もなく、毎日が初めてのことばかりで何をしても楽しかった。集団行動は得意ではなかったけれど、そんなに強く咎められることもない。低学年の頃に学習障害だと診断され算数の時間だけ別室で授業を受けたりもしたが、特段それがコンプレックスになったりすることも周囲からとやかく言われることもなかった。
中学生になって雲行きが怪しくなる。3つの小学校が1つの中学校になる、いわゆるマンモス校でその時点で息苦しかった。学年集会や全校集会で人が大勢集まっていると気分が悪くなることが多かった。それでも個人で見たら友人は少ないわけではなく、運動部に所属して毎日部活に取り組む活発な生徒に分類されていたと思う。ただこの頃から遅刻や忘れ物が目立つようになる。欠席はしないけれど毎日5分10分遅刻する。それは学校に限った話ではなく、休日の部活動や友人と遊びに行く際にも。それと同時に始めることと終わることが苦手になった。始めるまでにえらく時間が掛かるが、いざ始めたら周囲が止めるまで終われない。調子がいい時は何日でも起きていられたが、調子が悪くなると半日を睡眠に費やすことになった。躁鬱病だと言われた。それでもこの頃はそこまで症状が酷くなかったと今だから分かる。人生で初めて人と付き合ったのも中学生で、学年が違ったから卒業と同時に自然消滅した記憶しかないけれど。
高校生は今のところ人生のどん底だったと思っている。一番近い学生時代のことではあるが、「まぁ思い出さなくていいや」と「ちゃんと向き合わないと」という気持ちが真っ向から対立している。言ってしまえば躁鬱病が悪化して抑鬱状態が酷く出た。ストレスの発散方法が自傷になったのもこの頃で、他害が出なかっただけマシだと自分では思っている。非行に走るとかそういったことはなかったけれど、放課後に登校して部活動にだけ参加したことも多々あった。教室に入れずに図書館や相談室で一日が終わることもあった。兆しが見えたのは高校三年の二学期辺り。然るべき場所への通院と然るべき処置、処方の甲斐あってかなり人間に戻った。以前のようには出来なくなってしまった事もあったが、元通りに出来るようになったこともあった。そしてなぜか卒業までの半年間で同時に二人の人と付き合うことになる。突然のクズ要素。どちらも自然消滅だから許され……ないか。
社会人になってからも躁鬱病は猛威を振るったが、今も通うバーに出逢ってからは大分大人しくなっている。精神的に安定したらしい。高卒で就職して、21歳でバーに通い始めるまでの数年はちょっと人様には言えないような、言う相手を選ぶような過ごし方ではあったものの、ちゃんと仕事はしていたし人付き合いもそれなりには。
ここ数年は毎年のように「今が一番楽しい!」を更新していて、今年は君との進展があったから楽しいだけではなく嬉しいも加わった。君の過去も聞く限り中々ではあるものの、お互いどうにか生きているから何も問題ないね。
こうやって過ぎた日を想ったところで、今が君とで良かったと心底思う。