またね、と何の疑いもなく言えることが、どれほど幸せか。
春とともに、君がいなくなった。
なんてありきたりな物語だろうか。
出会いがあれば別れがある、それは誰もが知っている痛みだ。月9の主題歌からアニメ化した少女漫画のエンディングにだって存在する痛み。
ずっと想像していた。
君がいなくなったら私はどうなるだろうか。これでもかというくらい悲しむ準備をしていたし、空想の中では既に何度も君が私の手を離した。だから絶対に大丈夫だと信じていた。実際にはその何倍も痛みなんてなくて、残ったのはからっぽの心だけだ。無駄に悲しむ練習をしていたな、と自分を笑ったときが、それ以来初めての笑顔だったように思う。
君がいなくなった日は、桜の開花予報の日だった。
「桜が咲いたら、一番に見に行こう」
冬のある日、赤いチェックのマフラーを巻いて柔らかく微笑んだ表情を今でも忘れない。私はそんな君の言葉を真剣に信じていたし、今日のために生きていたのだ。
開花したばかりの桜は、当たり前だけど満開ではなかった。私は花の専門家などではないのでひとつの桜の木にどれだけの花が咲くかなんてことは知らないけれど、100/1くらいしか花開いていなかった。
一番に見に行ったって、こんな大したことのない景色だったのに。君はあんなにも嬉しそうに笑っていたのか。
生まれたばかりの花びらを間抜けに見上げていると、私の右肩を春風が掠めた。それは冬に比べて温かいはずなのに、ずっと冷たく感じた。君はいつも右側を歩いていた、理由は知らない。
君と見るはずだった桜は、きっと次に足を運んだ頃には全て散っているだろう。だけどもう一生、咲かないでほしい。私の桜は、君だけだったから。
帰り道、泣いていた。
きっと出会ってしまった以上、この場所は私の傷になる。そのことにふと気づいてしまったのだ。
今日の私もこれ以上のことを記す気力がない。
仕事をやめたい。辞めたくない。好きなことで生きていきたい、そんなことはきっと到底できない。悔しい。
この25年間で蓄積された汚れはもうきっと一生落ちないこと、このままこべりつき私を蝕むのだと察して、その事実に泣いていた。
誰か私を救ってくれないかな、と毎晩日記に書いている。
救うってなんだ、救われるってなんだ、とおもいながら。私はそんなことを思わなくなりたいのだ。睡眠薬も、暗い日記も、狂気的に必要な音楽や人間も全て必要なくなりたい。
今日もなんの納得もいかない創作だ。ただ、苦しい。
小さなしあわせ
それを感じられるということは、心身ともに非常に健康であることが条件であるように思う。
このお題を受けて、私にはなにも書けることがない。
恐らく探せば1日に3個くらいは見つかりそうなものだが、辺りを見渡すと鼓動が速くなり、待ちゆく人々が楽しそうに歩いている景色を疎ましく感じ、唯一愛する人すらもなんだか遠く感じてしまう。
つまりきっと、今の私にそんなものはないのだということだ。
早く明るい文字列を綴れるようになりたい。
毎晩睡眠導入剤をルイボスティーで飲み込み、霞んだ記憶の中で悲しみを書き綴る日々がもうずっと続いている。
その時間だけが私の楽しみであり、その日記の中だけが私がありったけ不幸でいられる場所なのだ。
私は結局自分で自分を幸せではないという景色に縛り付けいる、それは私にある程度近づいた人間ならばすぐに気づくことで、その度に伸ばされた手を振り払い、大切な人、もしくはいずれ大切になるはずだった人たちを遠ざけているのだ。
早く普通になりたい。
普通が何かなんてわからない。そんな人種がいるのかも、わからない。
だけど、休日に友達と遊びに行ったり、本を読んだり、テレビゲームをしたり、そういう日々が、私は欲しい。
それがきっと、私の想像する小さな幸せなのだ。
本当に、何にも気づけない。
もっとそばにある温もりを抱きしめていたいのに。
はるらんまん
一文字ずつからエネルギーを感じていやになる。
春と聞けば桃色が真っ先に浮かぶが、
春から水色を感じる人間しか好きになれそうにない。
今日はそんなことしか書く気力になれない。
春爛漫。
この言葉を好きになれる日が早くこればいいのにと思う。