これから曇るのか晴れるのか
天気予報では晴れるらしいが雲は灰色がかった厚い雲
一瞬雨が強く降りそうか?
それとも雲が流れるか?
空を眺めて悩む一時、頭の中は天気一色に埋められる
付いて回る黒い思考も一時置いてけぼりにされている
一時晴れる私の心
天気はやはり崩れるようだ
雨の音でも楽しもう
食べ物のはなし
昭和の子供のように好き嫌いを強制される事はなくなったらしい
嫌いならば食べなければいい教育が今の常識
それはそれで理にかなってると思う
子供の味覚や感覚は敏感
生理的に受け付けない物を無理に食べさせるのは精神衛生上よくない
栄養学の面から言っても体に必要な物も量も子供は自分の感覚で判断が出来るらしい
あの手この手で苦労させて嫌々食べさせる大人も大変なのだから
子供が好きな物だけ与えていればそれでいいのかもしれない
但しこれは子供が求めた時にその物が与えられる恵まれた環境に限る話しで、精神面と経済面が足りていない保護者の元では深刻な栄養不足に陥るので十分な管理の上での話しになる
好きなものだけを受け入れて生きる生き方もある
たかが100年に満たない人生なのだからそれも正解なのかもしれない
ただある程度の時間を生きると気付く
嫌いを克服した先に楽しみや喜びがあるのだなと
他人様が善意でくれるものをただ嫌いだからと断るとそこには何も生まれない
沢山のものを味わい深く楽しめるようになると面白いように視野が広がる
大人になり愚鈍になったからこそ受け入れられる嫌いもある
年々と鈍くなるのがまた良い場合もあるなと思う
並ぶ店に統一感はない
そこを歩く人達も目的は多種多様
誰もが皆自分のことに夢中で歩く
誰もが誰かを気に止めることなくただ行き交う
私も誰も気に止めない
並ぶ店は視界に次々流れる
来る人を避け、追い越しては追い抜かれ
そこにある物も人も結びつかず交ざるだけ
そのうちに私も雑多の一部になる
心地良いとはまた違う安心感
気負うものなく気付けば渦の共同体になりここに居る
自分が消え街に融けてひとつになる
耳を流れる喧騒、蠢く人波、沢山の匂い色
離れ難い
今日はまだ歩き続けていたい
やらなければいけない事に日々じわじわと忙殺され
ふと気付けば自分のやりたい事が何なのかさえ分からなくなっている
とある本で読んだ一節を思い出す
―幼い頃好きだった事をやってみよう―
お絵描きも外遊びも特に楽しいと感じない子供だった
それよりも一人で空想やごっこ遊びの中で夢を見ている時間が楽しかった
目を閉じる
心のままに望む世界に浸るとき、そこには柔らかで癒しの広がる穏やかな世界が広がる
現実は辛い、気だるい、刺々しい日も珍しくない
久々の甘い世界は抜け難いほど甘く優しい
これは良い場所を得たと喜ぶ
これからもたまにはここに来て心を休め回復させよう
但しここに溺れてはいけない
夢は甘く柔らかく、それでも私は生きなければいけないから
私に優しく
人にも優しく
夢の外にも優しい世界を広げて
目を開いたこの現実、少し優しさで包んでみたい
辛い日が続くと朝は明けて欲しくない
寒い日も朝起きて布団から出たくない
心地よい季節でも朝は少しでも寝ていたい
基本、朝日が登る時間が待ち遠しい日は少ない
それでもと記憶の中から素敵だった朝日の記憶を辿ると、それはよりすぐりの思い出ばかり
少ないからこそ良き思い出が突出している
次はいつ特別な朝が来るだろう