中島みゆきは「あした」の中で、
形のない ものに誰が
愛なんて つけたのだろう 教えてよ
と歌っている。
私は以前ここで、「愛」なんて簡単に使いたくない、みたいな事を書いた覚えがあるが、・・・
これは、言葉の感覚だから、人によって感じ方がまるで違ってしまう。辛いもの好きな私が、大好きなカレーを誰かにススメても、人によってはそれが辛過ぎたり、カレー自体がダメだという人も時々居るのと同じ事だ。
ちなみにキリスト教での「愛」は
※神が人類をいつくしみ、幸福を与えること。また他者を自分と同じようにいつくしむこと。
大体これが最大公約数の愛の定義かも知れないが、
私が好きな仏教では
※主として貪愛(とんあい)のこと、自我の欲望に根ざし解脱(げだつ)を妨げるもの。ものをむさぼり、それに執着する。欲望の満足を求める心情。
などと散々なもの言いだ。仏教贔屓の私としても、これではちょっと酷いような気がする。
やはり、人それぞれの「愛」の解釈があり、それぞれが正しいのかも知れない。甘口のカレーが好きな人に、辛口が本物だから、これを好きになれと言っても意味はなく、むしろ間違いなのと同じだ。
goo辞書を見たらこんな記事があったので、面白いからそのまま記しておこう。
>2013年10月に実施した「あなたの言葉を辞書に載せよう」キャンペーンでの「愛」への投稿から選ばれた優秀作品
◆自分に関する記憶や思いや遺伝子を、相手に刻みたいという思い
L&Pさん
◆ケーキに書き込むメッセージを注文しているときの感情
cable_carさん
◆ほんまにあかん人やなぁ…と思いながらも見守りたい、生きる助けになりたいと思う気持ち
山崎響さん
◆二人なのに一人のような感じ
希望岬さん
◆人を天国にも地獄にも突き落とす制御不能な感情
HIROAKIさん
◆若者は肌を重ね、年配者は言葉を重ねる
越乃屋さん
◆不自由になることが自然と我慢できる状態
ko-すけさん
◆相手の痛みを自分の痛みのように感じられる瞬間
ktさん
◆「独占欲」を綺麗な言葉で言い換えたもの
ayumiさん
◆絶え間ない努力の結晶
あじさいさん
◆未だ科学では解明されていないエネルギーの一種、行動力、思考力及び幸福感に変換可能
nakanoさん
◆心のコタツ
rikakumiさん
◆人である原点
MeSiYaさん
◆人を美しくもし、醜くもする矛盾にあふれたもの
潮騒のメモリーズさん
◆恋では補えないもの、感情に勝る思い。距離や時間を隔てても朽ちないもの
natsuさん
◆目に見えずかけがえのないもの、知らず知らずのうち育ち、壊れるはかない存在のため、多くの人が見ようとするもの
JINJINさん
◆無条件に受け入れられる存在そのもの
しーずーさん
掲載されていたのはこれで全部だが、もっと、もっと解釈はあるだろう。
だから、やはり私は簡単には使用したくない、言葉にできないのだ。
北国の桜はGWの頃になる。
桜と言えば花見をした事は何度もあるが、その時の主役は酒であり、料理であり、友たちであり、花なんてほとんど見ちゃいない。
コンパクトなガスコンロを持って行って焼肉やら小籠包など食べる。野外で食すと何でも美味く感じるものである。
私の家から中学校は遠くて、歩いて4、50分くらいの距離があった。遠いので、少しでもショートカットする為に、城跡の中を抜けて通った。
そんな通学路に、いつ頃か同伴する友が出来た、同じ歳のS君である。
彼は学年でもトップクラスの秀才であったが、運動は大の苦手。
顔も特徴があって、ちょっと怪異、分かり易く表現するならゴリラのようなご面相なのであった。そのせいか、極端な人見知りで、内向的で、表情がとても暗かった。
そういう人に、何故か私は興味を持って近づいて話しかけていた。S君は立派な家に住んでいて、お父さんは画家なのであった。もしかすると画家という職業に憧れがあったからかも知れない。
S君からは拒否される事もなく、そのまま中学卒業まで同行した。朝、彼の家に寄って、道中色んな話をした、2人で城跡の中を抜けて。
城跡は公園になっており、何千、何万という程の桜が植えられていた。
だから、春になるとその桜が芽をつける頃から、1部咲、2部咲きと、だんだんと満開になり、やがて散って行く様を、S君と2人で毎日眺めながら学校に通ったのであった。
この頃、ちょうどテレビアニメの『赤毛のアン』が放送されていた。高畑勲の素晴らしい作品だ。
あのオープニングの「きこえるかしら」では、馬車の御者となったアンが、どこまでも続く野原を駆け抜け、やがて森に入り、桜らしき花の中を進む、
森は、次には枯葉が舞い散り、そして荘厳な冬景色へと変わるのだ。カナダの大自然の風景を活写したものだが、
私とS君が、あの頃2人で観ていた風景は、正に『赤毛のアン』の世界そのままであった、いや、あのオープニングと比べても、何も遜色がないほど美しかった。
中学までの道程は長かったが、少しも苦ではなかった。
1960年代、日本人はエコノミックアニマルと揶揄されていた。
つまり、文化レベルが低く、経済的な利潤ばかり追い求める奴らとバカにされていたのである。
当時から日本人は勤勉で優秀だと諸外国から認められていた。つまり、誰よりも、ずっと働き者だったのだ。その反面エコノミックアニマルと呼ばれていたのだ。
この頃のエッセイを読んでみると、文化程度の低い日本人を嘆く論調の文化人が多かったような気がする。
でも、今はどうだろう?経済力は世界第4位と、まあまあ上手く行ってる。いや、現在上向いているし、中国は落ちていくから潜在的には2位じゃないだろうか?
それより文化が高いと米、英、仏を始め、世界中から評価されているようで、私は嬉しい。
60年代に比べると、今の日本人は血が滾るような、ギラギラした熱に乏しい。
『葬送のフリーレン』で、大魔術師ゼーリエが、フリーレンと最初に会った時、
フリーレンの溢れる才能を喜び、授けてやるから「好きな魔法を言え!」とせっかく言っているのに、フリーレンはあっさり「いらない」と断る。
「魔法は探し求めるている時が1番楽しいから」
ゼーリエは呆れる「やっぱこいつダメだ、ギラギラしたものが足りない」と。
フリーレンは、現代の日本人だからこそ創り出せたキャラなのかも知れない。
才能はあるが、おっとりしていて、ちょっとやる気はあるの?ないの?と周りから思われてしまう。
星飛雄馬の「俺は今、モーレツに感動している!!」とか、「俺は、夜空に輝くでっかい1番星、巨人の星を目指すのだ!!」のようなセリフではぜんぜん違う。
50~60年経つとこんなに違うのである。
私はいぜん、経営者だったので、色んな人種を雇っていた。もちろん日本人が1番多かったが、中国人もベトナム人もフィリピン人もいた。
この外国人達はみんな優秀だった。贔屓目なしに、日本人よりちょっと上だと感じていた。
まあ、外国(日本のこと)にまで来ている時点で彼らは一定のハードルを越えているのだから、当たり前かも知れないのだが、やはりギラギラしたものが感じられる。
もう、日本人をエコノミックアニマルと呼ぶ人は何処にもいない。働き者という点でも、もはや外国人に敵わない。
でも、彼らに真似出来ないものを、何か持っているとすれば、細部へのこだわり、職人気質だろうか?
これだけは、誰よりも、ずっと私達は大切にしなくてはいけない。
もう、60才目前の私にとって、これからも、ずっと続けられる事はそんなにないような気がする。
私の父は79才が寿命だった。それを思えばあと19年しか時間は残されていない。
もちろん、もっと長く生きられる可能性の方が高いと思われるが、現時点では何とも言えないのだ。
私の、前の前の職場の先輩は、60才で定年退職した。
実直な方で、貯金もそこそこあり、年金もたっぷり貰える算段も整えられていた。充実した老後が待っている筈だったのに、
退職後、半年も経たないうちにこの世を去ってしまった。
原因は飲酒。
現役の時はそれほど酒好きでもなかったのに、大きなプラスチックのボトルに入った安いウイスキーを買って、飲んでいたらしい。
これといって趣味もなく、好きなテレビのビデオを繰り返し見ながら、ただただ飲酒を続けた結果なのだ。
この際だから、タイトルも記しておく、『ビックダディ』シリーズだ。私は見た事がないが、大家族の半ドキュメンタリーなのだろう?
先輩は何故かこれが大好きで退職前から繰り返し見ていると言っていた。
家族の触れ合いを描いた内容らしいが、それを見て毎回涙を流すとも言っていた。
ある意味、とても幸せな終わり方と言えるかも知れないが、
特別装備の新車を購入し、納車する前だったというから、1番驚いたのは本人自身だったと思う。これからあちこち旅しようかな?なんて言っていたのだから。
定年後、のんびり旅行をするのは素晴らしい計画だったのに、昼間から家飲みするから、止めどなく飲んでしまうのだ。
同じビデオテープを何回も見ていたのも良くない。
辞める前から少し認知症の気があったが、こんな見方だと脳は活性化出来ない、むしろ思考は停滞してしまうだろう。
『ビックダディ』が悪かったとは言わない、好き嫌いの事だから。
ただ、それを見続けるにしても、無条件に受け入れるような態度ではなく、あらゆる角度から見るべきだったのではないだろうか?時には敢えて批判的な目で見たりして。
これは1種の推し活みたいなものだったのだろうか?推し活だったとしても、思考停止してしまうのは良くないだろう。
私が今、新しく勉強を始めようとしているのは、このような先輩が身近に居たのも一因なのかも知れない?
これからずっと、勉強を続けるにしても、どうしたらそれが続けられるのか、考えている最中なのだ。
現時点で言える事は、脳以上に身体が大事だと言うことくらいだろうか。
その頃の私は、香港の女性とお付き合いしていた。
タイのバンコクで待ち合わせをして、タイ旅行を楽しもうという計画であった。
2人とも一通りのタイ観光は経験済だったので、まだ行った事のない所に行ってみたかった。
そこで彼女が目を付けたのは、パンイ島の水上ムスリム村だった(Floating Muslim Village)。
なるほど、パンフレットを見ると昔のタイ人達が住んでいたような、野趣溢れる作りのホテルで、なにかロマンティックな雰囲気であった。
その上、値段も手頃だった。悩んでみても仕方ないのでそこに決めてしまった。
水に浮いたムスリム村というくらいだから村は水上にある。村全体に板が渡してあって、板の下は水なのだ。
パンフレットでは良いように撮影されていたが、実際に見てみると、パッとしない所であった。
宿泊施設もホテルかと思っていたのに、要するにこじんまりとしたバンガローだった。かろうじてシャワーはあったが、照明もテレビもなかった。食事付きで、どうりで安いはずだと思った。
ただ、昼間の観光は申し分なかった。モーターボートで近隣の島々を渡るのだが、エメラルドグリーンの海に、奇岩も映えるし、プライベートビーチに連れて行ってもらえるので、思う存分海を楽しむ事が出来た。
何時間かそのビーチに滞在し、やがて迎えのボートが来てくれる、また次の観光スポットへ移動するのだ。
ムスリム村に戻ると、もう食事時であった。バンガローそばにテーブルと椅子が設えてあり、そこに料理が運ばれて来る。沈む夕陽を眺めながら、夕食が楽しめる寸法だ。
なんてロマンティックな一時だろうか・・・・
いや、ロマンティックなのは本当に一時だけで、夕陽が沈んだ後は最悪な事態が待ち受けていた。
水上なので、半端ない数の小さな羽虫が光に誘われて襲来する、味わうどころではない、食事どころではなく、満腹になる前にその場を退散してしまった。
部屋に逃げても、真っ暗なバンガローで、携帯の光しかなく、もう寝るよりしかなかった(ベッドもお粗末なものだった)。
もちろん、夜中も虫に悩まされて、もう水上の施設は懲り懲りしてしまった。
夕陽は美しかったのだけれどね。