1960年代、日本人はエコノミックアニマルと揶揄されていた。
つまり、文化レベルが低く、経済的な利潤ばかり追い求める奴らとバカにされていたのである。
当時から日本人は勤勉で優秀だと諸外国から認められていた。つまり、誰よりも、ずっと働き者だったのだ。その反面エコノミックアニマルと呼ばれていたのだ。
この頃のエッセイを読んでみると、文化程度の低い日本人を嘆く論調の文化人が多かったような気がする。
でも、今はどうだろう?経済力は世界第4位と、まあまあ上手く行ってる。いや、現在上向いているし、中国は落ちていくから潜在的には2位じゃないだろうか?
それより文化が高いと米、英、仏を始め、世界中から評価されているようで、私は嬉しい。
60年代に比べると、今の日本人は血が滾るような、ギラギラした熱に乏しい。
『葬送のフリーレン』で、大魔術師ゼーリエが、フリーレンと最初に会った時、
フリーレンの溢れる才能を喜び、授けてやるから「好きな魔法を言え!」とせっかく言っているのに、フリーレンはあっさり「いらない」と断る。
「魔法は探し求めるている時が1番楽しいから」
ゼーリエは呆れる「やっぱこいつダメだ、ギラギラしたものが足りない」と。
フリーレンは、現代の日本人だからこそ創り出せたキャラなのかも知れない。
才能はあるが、おっとりしていて、ちょっとやる気はあるの?ないの?と周りから思われてしまう。
星飛雄馬の「俺は今、モーレツに感動している!!」とか、「俺は、夜空に輝くでっかい1番星、巨人の星を目指すのだ!!」のようなセリフではぜんぜん違う。
50~60年経つとこんなに違うのである。
私はいぜん、経営者だったので、色んな人種を雇っていた。もちろん日本人が1番多かったが、中国人もベトナム人もフィリピン人もいた。
この外国人達はみんな優秀だった。贔屓目なしに、日本人よりちょっと上だと感じていた。
まあ、外国(日本のこと)にまで来ている時点で彼らは一定のハードルを越えているのだから、当たり前かも知れないのだが、やはりギラギラしたものが感じられる。
もう、日本人をエコノミックアニマルと呼ぶ人は何処にもいない。働き者という点でも、もはや外国人に敵わない。
でも、彼らに真似出来ないものを、何か持っているとすれば、細部へのこだわり、職人気質だろうか?
これだけは、誰よりも、ずっと私達は大切にしなくてはいけない。
4/10/2024, 3:32:40 AM