脳への刺激がまったくなくなったら、脳はどうなってしまうのだろうか?
全ての外的な刺激が失われたら、脳は寝てしまうのだろうか?
その解答を得るため、1950年代に行われた「感覚遮断」実験があって、目も耳も塞ぎ、呼吸管をつけ、体温と同じくらいの海水に被験者を浮かべた。
この実験は屈強な人でも長くは耐えられないそうで、脳は幻覚を見るらしい。つまり、外的刺激がないと、脳が勝手に働いて、勝手な幻覚を作る。つまり、おかしくなってしまうのである。
人間は寝てばかりしていて、何もしないと良くないのだろう。
(この実験は今でも有効にアイソレーション・タンクに応用されていて精神治療に使われるようだ。毒も使い方によっては薬に変ずる)
知りたい事は、そりゃ沢山ありますね、無限大にある。
難しい問題でなくとも、日常生活の些事においても、人は多くの事を見落としている。と、思う。
脳への刺激を、良い形で、どんどん与えたら、面白いことが生まれるのではあるまいか??
いま、みうらじゅんさんの事に興味を持って調べている。
彼はスクラップブック作りを趣味としていて、小1の時に好きな怪獣の写真を集めてハサミで切り抜き、ノートに糊で貼った。
それが始まりで、仏像やエロ写真などをスクラップしていった。
なんだかアナログで面倒くさい作業だが、好きな写真を集め、配置を決めて並べ直す、編集作業をすることで、色々な事が分かるようになったそうだ。
この写真は、「もっと、こうしたら良くなる」「もっと、グッとくる」「こんなアングルはどうだ?」「このコラボの方が魅力がずっと伝わる!!」など。
このようなことから新しいアイディアが生まれるのであろう。
私たちは、知らない事に、気が付かない事に囲まれて生きているのだ。
それに少し気付くだけでも、新しく生まれ変われるかも知れない。
13年前のあの日。
会社に居たが、大きな揺れを感じて皆んな外に出た。
地震大国日本。ふだん、多少の揺れくらいでは表情すら微動だにしない、我々も、何かが違うと感じとっていた。
近所の建物からも、大勢の人がぞろぞろ出てきた。
電線が、尋常じゃないくらい揺れていた。
やれやれ、収まったか。
建物の中に戻り、テレビで速報を確認した。
震源地は東北の方らしい。あらゆる被害状況がテレビ画面に映し出された。
そうするうち、何処かの田圃が広がる平野が映されて、
その広大な土地が、津波に呑み込まれる様を見せられた。
解説は、一切なかった。津波は、淡々と、無造作に大地を侵していった。
テレビを数人で見ていたが、誰も声を発せなかった、見たこともない光景に、ただ、あぜんとするしかなかった。
被災地から遠く離れた東京でも、その後はいろいろな事が起こった。
楽しいテレビ番組は中止され、電車がよく止まった。
けれど、誰も、あまり文句を言う人もいなかった。
もっと悲惨な状況を、毎日見せられていたから、
それどころではないのだと、誰もがわかって居たからだろう。
確かに、あの当時は、平穏な日常とは言えなかっただろう。
ラブアンドピースは、反対しようがないと言うか、……
何か運動されている人ならエールの1つも送るくらいのものだと思う。
ただ「戦争反対!」って、言ったところで反論しようもないけれど、
重要なのはそこじゃない。
ラブアンドピースと言えば、始めたのは60年代のヒッピー文化で、
当時アメリカはベトナム戦争を行っており、18歳以上の若者たちは徴兵義務を負わされていた、
黙っていたら自分たちが死ぬかも知れないし、誰かを殺さなければならない、
その反戦運動は、ベトナム戦争のカウンターカルチャーだったと言って良い。
彼らには闘う理由があったし、人生がかかった戦いだった。
しかし、ヒッピー文化と言っても、素晴らしいものもあれば、あだ花みたいなものもある。
それが日本に伝わった時、徴兵義務のない、軽薄な若者たちは派手なファッションや、フリーセックスや薬物に手を伸ばして、
ポーズやファッションだけ真似して「ラブアンドピース」言ってれば世間に通用するんだ、
なんて言ってる人がいたら、そりゃ違いますでしょう。
実際、その頃そんな風潮が巷にあったらしい。
ちなみに、そういう風潮を嘆き、ヒッピー文化に更なるカウンターカルチャーとして生まれたのが、梶原一騎に代表されるスポ根マンガなのである。
あの、やたら「根性、根性」と言ってたのはカエルではなく星飛雄馬さんだったのである。
これまた、新しい若者の価値観としてある程度定着したのである。
ベトナム戦争が終わったら、ヒッピー文化も衰退した。
世の中そんなものだ。
私の好きなその寄席(よせ)は、客が入らない事で有名だった。
ビートたけしの『浅草キッド』の歌詞に、
♫客が、2人の演芸場で~
とあるが、平日でトリがセコイとそのくらいの客の入りの時がソコソコあった。
なにしろ、古くて薄暗いビルの3階にあって、エレベーターもなかったから、知らない人は途中で怖くなって帰ってしまう程だった。
そこに一流の芸人が10と2、3人出るのである。大赤字なのは間違いなかった。
落語界ぜんたいも低迷していた時代で、ビルも老朽化し、限界で、とうとうその寄席は閉める事になってしまった。
最後の2週間、落語協会の大看板が勢揃いした番組が作られ、
東京中の落語ファンがその寄席に集まった。立ち見が出る、押すな押すなの超満員だった。
特別あつらえのパンフレットには「光陰矢の如し」と書かれていた。
大盛況で幕は降ろされ、
ビルも壊された。
1951年に建てられたビルは、1990年に生命を終えた。
しかし、
1993年、その寄席は復活したのである。
奇跡の落語ブームも起こった。
光陰矢の如し、
だが、時代は巡るのである。
『推しの子』というマンガを読んでみた。
アイドルの世界は大変だ、昔も今も。華やかそうに見えているけれど、実際の生活はかなり質素だし、トレーニングはハードだし、自由時間なんてぜんぜんない。
好きでもない人やモノに対しても、常にニコニコしていられる体力と、毛の生えたような強い心臓がないと続けられない世界だ。
嘘にまみれた世界で、ファンもそれを嘘と分かっていて、「きれいな嘘をついてくれるアイドル」を求めている。ファンも自分を「奴隷」と自覚し、「奴隷」であることを肯定して生きている。
でも辞めないのよね、アイドルスターに憧れて芸能界を目指す若者は列をなしている。みんな、スタイルが良く、顔が良いのは当たり前。
前述したように体も心もタフで、でもそれでけではまだ足りなくて、
もひとつ必要なのは「コミュニケーション」能力だ。「挨拶」は基本中の基本だが、
相手がなにも言わない、指示しなくとも、それを感じ取って実行できる、頭の回転の速さとしなやかさがないと生き残れない。
スタイルや顔に自信があるなんてとんでもない、私は、
せめて「コミュニケーション」能力だけでも磨いてみよう。