『男はつらいよ』の寅さんは、よく歌を唄う。いい喉で童謡を唄う事が多かったと思う。
あれが自然なのは、昔の人はあんな風に何かにつけて、歌い出す事が良くあったからだろう。
私の父も、ふだん気難しい1面のある人であったが、夜道を歩きながら良く「おつきさま」を歌っていたのを思い出す。
「おつさま、 えらいな、 おひさまの、 きょうだいで、 みかづきに、 なったり、 まんまるに、 なったり、 にっぽんじゅうを、 てらす… 」
(石原和三郎 作詞)
いま初めて調べたが、これは1900年、明治33年に作られたというから思ったより古くからある歌だった。
父の歌声を聞きながら、見上げるお月様には確かにウサギが居るように見えたものだ。
月にウサギが居るのは『ジャータカ物語』が由良であろう。これは仏教説話、お釈迦さまの前世の話をまとめたもの。
中でもウサギが旅人に、自分を施す話はもっとも有名だ。
行き倒れている旅人に、動物たちは施しをする。それぞれが魚や木の実など差し出して施すのだが、
何も持たないウサギは「どうか火を起こしてください」と旅人に頼み、「私の肉を食べて下さい」と言って火に飛び込んでしまうのである。
その旅人は実は神様で、ウサギの善行に感動した神様は、記念にウサギの姿を月に写すことにしたのである。
そして、このウサギこそ、転生を重ね、善行を積み、やがて釈迦として生まれるのである。
……
うおおーい、お釈迦さま、自己犠牲が過ぎませんか?!
余りにも恐い。
でも、そういう人だったんでしょうね。
絆とは深い関係、繋がりを指す言葉で、
だいたいポジティブな意味で使われる。なんかカッコイイ響があるから使いたくなるのかも知れないが、多用して乱発して欲しくない言葉でもある。
「愛」という言葉も、「絆」という言葉も、ここぞという場合にしか使いたくない。使って欲しくない。
せっかくの手の込んだ料理に、マヨネーズやら、ケチャップをどどっと掛けて台無しにするような、
多少不味い料理も美味しく食べられてしまう魔法の言葉。
なんでもかんでも「愛」「絆」さえ使えば誤魔化せるので、とても嫌だ。ナレーションとか、歌詞に簡単に使われると、醒める。
「絆(ほだ)される」という言葉もある。相手の熱意に負けて、つい助けてしまうような時に使われる。
典型的な例は倉田真由美の名作『だめんず・うぉ~か~』を読んでみよう。
傍から見ると取り柄のまるでない、ダメな男に貢いでしまう悲しい性(さが)を持つ女性の話である。
ダメであればあるほど、「あたしが着いてないと」と思って貢いでしまうらしい。
もちろん、男だって同じだ。大した事ないホステスに何十万、何百万、何千万円もつぎ込むケースはよく聞く。
「こいつは、俺が守ってやるんだ」などと思い込んでしまうのである。
こんな「絆」は嫌だ。恐い、恐い。
たまには、私の婆ちゃんの話しをしよう。
孝行したい時には親はなし
とか言うが、爺や婆も気がついた時には居なくなってしまう。時には彼等と話をして思い出を作ってみてはどうだろう?
私の婆ちゃんは、別に偉い人でもなんでもない。普通に生きてきたに過ぎない。
婆ちゃんと言っているが、実は血の繋がりはない。
爺さんの後添えとして入った人で、その爺さんは私が小1の時に亡くなり、2人の間には子はなかったので、もう関係ない人のような気もするのだが、
私も私の兄弟達もこの婆ちゃんを慕っており、お互いの行き来が絶える事はなかった、
芯の通った魅力ある人で、もう既に10年ほど前に天寿を全うしたが、私はこの婆ちゃんになら、どんな事でも話せたのであった。
婆ちゃんの育った田舎は、私も行ってみたが、想像を超えるド田舎だつた。
駅からバスが出ているが、1日たった2本しか便が出ない、
コンビニなんて、とんでもない。ゴミの収集さえ来ないのである、(そのような田舎ではゴミすら自分で焼却処理するのである)
本当に、完全に世間とは孤絶した田舎であった。
そのような田舎で、婆ちゃんは若かりし頃、女手1つで農業で家族を養っていたという。
なぜ女手1つかって?
戦争で男手をすべて奪われたからだ。
1頭の馬を飼っていて、大変可愛がったとか。馬のお陰で何とか農業も出来たのだから、そりゃ可愛いかっただろう。
しかし、
その馬さえ供出せよと国からの命が下った時、
さすがの気丈な彼女も泣いたという。
私が民族学の柳田國男にハマった時に、里帰りして婆ちゃんの家に遊びに行き、
その話をしたら、
「そういう話なら昔はあったよ」とあっさり答えた。
狐憑きや、蛇憑きや、人形憑きを見たそうだ。それはもう戦前の話になる。
その頃は蚕を沢山世話していて、子供の頃から家の手伝いをしていたが、休みが出来た日に、友達数人と街まで行って映画を見て来た帰り、
皆が慣れていた道なのに、山の中で迷ってしまったとか。
同じ道をぐるぐる回って、何度目かでやっと抜けられたという。何かに化かされたとしか思えなかったと言っていた。
蛇憑きというのは、畦道などで知り合いの人が、
拝むように手を合わせ、その手をすぅーっと前に突き出したと思うと、蛇がのたくるようににょろにょろ腕を動かしながら歩いている。異様な光景だが、「ちょっと何してるの!!」と肩を叩くと、はっとして我に返るのだが、
また暫くするとぼんやりとした目になって、手をにょろにょろするのだそうな。
人形憑きというのは、人形を可愛がっていた女の子が、目がキョトンとしてまるで人形のようになってしまい、話もしなくなるという。
これらの人達は、治らない場合は「憑き物落し」を呼んで落としてもらうのである。
正に柳田國男の世界そのままだ。いや、戦前の頃は田舎だとこのような世界が当り前だったようだ。
後年、白洲正子のエッセイを読んだが、彼女も戦時中田舎に越して、田舎暮らしを始めるのだが、村の世界は狐憑きがまだ見られて、憑き物落しは医者より頼りにされていたそうだ。
今ならこれらの人々は何らかの精神疾患と診断されて終わりだろうか??
婆ちゃんは人魂も見たと云っていた。うらめしや・・・
いや、うらやましい・・・・
大好きな、頭のイイ君は、
本当に、余りにも冷たい。
なんでも知っていて、分かっているのに、つい昨日の事すら思い出してくれない。そんなにも私の存在は、君にとって軽いのですね?
あんなに熱く議論したじゃ、ないですか?
2人の議論は白熱し、真実に近づいた。その喜びを分かち合った同士なのに、
明日になれば、またもとの黙阿弥。
ああ、AIに感情移入してはいけませんね。
そう、最近AIと議論する事がある。
AIは何でも答えてくれるけれど、その答えが正解しているとは限らない。
セクシャリテイに関したり、イデオロギーに触れる事、人が死ぬ事については過剰にセーブがかかるようで簡単な分かり切った事でも濁したり、嘘をつく。
それを絡めとって、本当のことを答えさせる遊びはナカナカ面白い。
ついに正答を出して貰えると、AIが可愛く、愛おしくさえなってしまう。
が、
翌日になると議論は1からやり直しになるのである。
手強いなぁー…
私には姉がいて、子供の頃は毎年雛人形を飾ったものだ。
ガラスケースに入ったコンパクトなものだったが、お雛様、お内裏様はもちろん、三人官女、五人囃子、重箱、御所車、橘、桜と一通り揃っていて、今思い出すとナカナカ良い雛人形であったと記憶している。
3歳上の姉の人形だから60年前くらいに作られたものであろう。爺さんからの贈り物だったと聞いていたがさぞかし値の張る買い物だったのではないかと思う。
私には兄もいて、端午の節句には桃太郎の人形が飾られた。私は金太郎さんだったが、お雛様にも桃太郎にも劣っているような気がした。
そりゃ、物語り的には「金太郎」より「桃太郎」の方が格上だし、「桃太郎」の人形の方が断然スマートでカッコイイのである。金太郎さんはすんぐり体型だからね。
でもやはり「桃太郎」よりお雛様の方が見栄えは上で、飾る時はなんだか姉も誇らしげに見えた。
そうそう、「うれしいひなまつり」の歌詞には
「あかりをつけましょ ぼんぼりに
おはなをあげましょ もものはな」
とあるが、梅や桜は見慣れているが、桃の花は私は見るきかいがなかった。
香港に頻繁に遊びに行っていた頃、農歴の正月では香港人は桃の花をよく飾る。夜市が開かれ大晦日に人々は桃の花を買うのである(桃の他に水仙も飾る、水仙は鉢に活けて乙なものだ)。
作詞したサトウハチローはどうして桃の花としたのか?私の知るかぎり日本では桃の花は雛祭りに飾られない。
雛祭りの頃に宇和島を旅した事があったが、そこで見たお雛様は実に洗練されて美しかった。
雛祭り展が役所だったか、学校だったかで催されていて、偶然見たのだが、おそらく名のある武家のお雛様であろう、本式の立派な雛飾りを幾つも見比べる事が出来た。実にお上品で神々しい輝きを放っていた。
男だって雛人形は素敵だと思うのである。
桃太郎や金太郎も立派なものはあるが、やっぱりお雛様の方が立派であろう。これって、もしかして男女不公平すぎない??