たまには、私の婆ちゃんの話しをしよう。
孝行したい時には親はなし
とか言うが、爺や婆も気がついた時には居なくなってしまう。時には彼等と話をして思い出を作ってみてはどうだろう?
私の婆ちゃんは、別に偉い人でもなんでもない。普通に生きてきたに過ぎない。
婆ちゃんと言っているが、実は血の繋がりはない。
爺さんの後添えとして入った人で、その爺さんは私が小1の時に亡くなり、2人の間には子はなかったので、もう関係ない人のような気もするのだが、
私も私の兄弟達もこの婆ちゃんを慕っており、お互いの行き来が絶える事はなかった、
芯の通った魅力ある人で、もう既に10年ほど前に天寿を全うしたが、私はこの婆ちゃんになら、どんな事でも話せたのであった。
婆ちゃんの育った田舎は、私も行ってみたが、想像を超えるド田舎だつた。
駅からバスが出ているが、1日たった2本しか便が出ない、
コンビニなんて、とんでもない。ゴミの収集さえ来ないのである、(そのような田舎ではゴミすら自分で焼却処理するのである)
本当に、完全に世間とは孤絶した田舎であった。
そのような田舎で、婆ちゃんは若かりし頃、女手1つで農業で家族を養っていたという。
なぜ女手1つかって?
戦争で男手をすべて奪われたからだ。
1頭の馬を飼っていて、大変可愛がったとか。馬のお陰で何とか農業も出来たのだから、そりゃ可愛いかっただろう。
しかし、
その馬さえ供出せよと国からの命が下った時、
さすがの気丈な彼女も泣いたという。
私が民族学の柳田國男にハマった時に、里帰りして婆ちゃんの家に遊びに行き、
その話をしたら、
「そういう話なら昔はあったよ」とあっさり答えた。
狐憑きや、蛇憑きや、人形憑きを見たそうだ。それはもう戦前の話になる。
その頃は蚕を沢山世話していて、子供の頃から家の手伝いをしていたが、休みが出来た日に、友達数人と街まで行って映画を見て来た帰り、
皆が慣れていた道なのに、山の中で迷ってしまったとか。
同じ道をぐるぐる回って、何度目かでやっと抜けられたという。何かに化かされたとしか思えなかったと言っていた。
蛇憑きというのは、畦道などで知り合いの人が、
拝むように手を合わせ、その手をすぅーっと前に突き出したと思うと、蛇がのたくるようににょろにょろ腕を動かしながら歩いている。異様な光景だが、「ちょっと何してるの!!」と肩を叩くと、はっとして我に返るのだが、
また暫くするとぼんやりとした目になって、手をにょろにょろするのだそうな。
人形憑きというのは、人形を可愛がっていた女の子が、目がキョトンとしてまるで人形のようになってしまい、話もしなくなるという。
これらの人達は、治らない場合は「憑き物落し」を呼んで落としてもらうのである。
正に柳田國男の世界そのままだ。いや、戦前の頃は田舎だとこのような世界が当り前だったようだ。
後年、白洲正子のエッセイを読んだが、彼女も戦時中田舎に越して、田舎暮らしを始めるのだが、村の世界は狐憑きがまだ見られて、憑き物落しは医者より頼りにされていたそうだ。
今ならこれらの人々は何らかの精神疾患と診断されて終わりだろうか??
婆ちゃんは人魂も見たと云っていた。うらめしや・・・
いや、うらやましい・・・・
3/6/2024, 2:16:39 AM