トト

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2/11/2024, 5:55:40 PM

唐突なようだが、私は齢55歳にして財産を失った。家も仕事も金も無く、夜逃げする羽目になったけれど、もうあれから3年経過している。

人生どうにかなるものだ。今の自分の置かれた状況には、とくに不満は感じていない。

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれというが、あれは本当かも知れない。

もしも夜逃げをしなかったら、まだ瀕死の状態で生活を続けていたのだろうか?それはどんなにかツライ日々だったことであろう?

何もかも失くしたが、それはいっそ清々しい。とにかく新生活が始まったのだから。

なんとか社会復帰して、住む部屋を探した。探し方は若い頃と状況がずいぶん変わっていた、スマホがあれば不動産屋に行かずとも幾らでも物件を探せるのだ。

住む環境は重要だと思う。住んでいて落ち着けなければ疲弊するばかりだ、心も身体も。

スマホで幾らでも物件は探せたが、実際に見てみなくては、写真や見取り図だけでは分からない。

私には霊感めいた力は何もないが、やはり土地には「気」のようなものがある。それは街や人々が創り出す偶然によって醸し出されるものなのか?

簡単な話、その部屋に入って気分が上がるのか、下がるのかは大事だろう。

予算は限られていたが、明るく清潔感のある部屋を探し当てた。もちろん借物だが、それでも、今の私にとっては奇跡的な出来事であった。

私の部屋にはベッドと、ニトリで買ったシンプルな机と椅子、あと冷蔵庫が1つ、小さい電子レンジ。他にはとくに何もない。

何もないけど満ち足りている。今月やっと中古のノートパソコンを購入した。

この場所は、私に幸せをもたらしてくれている。

2/11/2024, 2:46:46 AM

どこの誰かは知らないけれど、

誰もがみんな知っている……

忌野清志郎は月光仮面を歌詞に取り込んでしまった。

「いい事ばかりはありゃしない」

🎶いい事ばかりばかりは ありゃしねぇ

🎶昨日は白バイに つかまった

🎶月光仮面が来ないのと あの娘が

🎶電話かけてきた

🎶金が欲しくて働いて 眠るだけ

私は鈍感なので「月光仮面」の意味が分かるまで何年もかかった。アハハ

忌野清志郎は大好きで、まるで妖精のような人だとイメージしている。現実とは少し次元の違う世界の住人のような。

「トランジスタラジオ」なんて最高だぜ、

愛し合ってるかい!?

イエーイ!!!

2/10/2024, 6:39:19 AM

遠縁の親戚を頼って米作りを教えてもらった事がある。

しかし、親戚のおじさん曰く、「米なんて放って置いたって出来るよ」だそうで、

現在の農家はほとんどが兼業農家、つまり何か他に仕事を持つ片手間で米を作っている、

けれどおじさんは農家1本で生計を立ててる専業農家で、花作りを生業としていた。

私が知りたいのは米作りに関してだったが、そういう流れで実際には米作りより花作りを手伝った時間の方が長かった。

花作りは大変だ、何しろ見た目が命で、出来の悪い花は二束三文にしかならない。より等級の高いものを育てる為には常に繊細さと粘り強さが要求される。なるほど、米作りに対して軽口を叩くだけの努力をしている。

花を収穫し、その花の束の箱詰めも手伝った。おじさんの花は立派だった。それでも莫大な収益とは言えないと思った。何しろ収穫までの苦労を少しは私も味わったので。

都会の駅などで貧弱な花がすごい高値で当たり前に売られているのを見かけると、おじさんなら何と思うかしらと思ったりもした。

立派な花が高いのは、高くないのだ。

2/8/2024, 5:32:36 PM

スマイル0円。

いや、時給発生してるもん。

笑いは「緊張の緩和」であると喝破した落語家が昔いた。たしかに爆笑を欲しいままにしていた。

だが、何故か私は彼の落語があまり好きにはなれなかった。ずっと違和感を感じていた。

桂枝雀は師匠の米朝も認める実力派の噺家であったが、私は彼の中に狂気を感じていたのだろうと思う。

落語好きの私だったが、生前の彼の高座は生で聞いた事はない。

彼はやがて、唐突に旅立ってしまった。落語界は大きな宝物を失って、関係者もファンもただ呆然とした。

彼の死後、歌舞伎座で追悼公演が開かれた。米朝一門と、柳家小三治が出演し、トリは枝雀の『代書屋』をスクリーン上映した。

生前は少しも足が向かなかったのに、何故か私もチケットを買っていた。

スクリーンに投影された枝雀に、歌舞伎座の客は、大爆笑していた。本当に大爆笑だった。

私も泣きながら笑っていた。

ちきしょうめ。



2/7/2024, 3:43:24 PM

私は夜逃げをするしかなくなって、少しくらいの金は持って出たのだけれども、そのうちそれも尽きてしまった。

どうする、どうする?

金のないのは首がないのと同じだ、でもどうする事も出来なくて、ただ歩き回っていた。

漫画家の吾妻ひでおのファンだったが、彼の残した傑作『失踪日記』の世界そのものだ。彼も浮浪者となり、金や食い物をさがして彷ったようだ。

村上春樹は若い頃店を経営していたが、どうしても支払いする金が足りなくて、夫婦で夜の街を歩いていたら、なんと足りない分のお金が道に落ちていて、それを拾ってしのいだと書いている。

たった1晩歩いただけで?

馬鹿な!!そんな都合の良い話は、そうそうある訳ない。

吾妻ひでおは涙ぐましい努力をして小銭を拾い続けた。神は微笑み、1万円拾ったエピソードを嬉しそうに描いている。

で、そのような話を知っている私も当然真似したよ、当たり前じゃないか。さて、結果はどうだったか??

悲惨でした、1晩中歩き回って、さがし続けて、1円すら拾う事はなかった。1円すら拾えないなんて!?

私が不運なのか?いや、それは否定しないが、そればかりではなく時代が違ったからだろうと考察した。

村上春樹が歩き回った頃は日本は景気が良かった、ネオン街には酔客が集い、高額紙幣を落とす人が居ても不思議ではないのだ。滅多にないとしても。

吾妻ひでおの時代も、景気がかなり悪くなったとはいえ、やはり夜な夜な酔客は飲みに出かける習慣があった。

私の時代はコロナで酔客なんかいなかった、だいたい店が閉まっていた。そのうえ世は電子マネー決済が当たり前になって缶コーヒー買う時でも小銭を使わない人が爆増した。

駅の券売機などは普通電子マネーだし、小銭を取り忘れないよう警報が鳴る。吾妻ひでおの手法はもはや通用しなくなっているのだ。

ああ、こんな情けない話はどこにも書けませぬ。

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