当時の私は香港をぶらぶらするのが好きだった。
行来行去と書いて、ハンレイハンホイ…行ったり来たりでぶらぶらだ。
香港行きの予定を聞き付けた仲の良い先輩が「ちょっとお願いがあるんだけど」と腕時計の特集記事みたいな紙片を見せて寄越した。
美しいロレックスの写真がこれでもかと並べて紹介している。
「あのう、香港ってさぁ、ロレックスのニセモノとか簡単に手に入るんでしょう?」ときた。
私は、残念ながらブランド物には少しも興味を感じない性質である。ましてやその偽物がどこにあろうが知った事ではない。
しかし相手は本当に仲の良い先輩だ、美味い酒を何度奢ってもらったか知れない、
「うん、こんなの友達に聞けば訳ないと思います、どのニセモノが欲しですか?」と安請け合いした。
事実、それらはあっさりと手に入ったのだ。
女人街(ロイヤンガイ)の小店で先輩から託された紙片を見せたら次から次へとロレックス(のニセモノ)を持って来て見せてくれた。
値段をハッキリ覚えていないが、1個1500円程度だったような…それを3 個ほど求めた。
ニセモノとはいえ、見た目は本当に本物そっくりである。確かによく出来た見た目だった。
しかし、さすがに安いだけあって直ぐに壊れた。笑えるくらい脆い。
秒針は抜け落ち、バント部分はボロボロと崩れた。腕時計なのに付けてると落ちる、こんなもの付けて夜の街に行ったら大恥をかくだろう。
女人街でニセモノ時計を買った後、香港の友達と食事をし、買った品を見せてやった。
意外にも物珍しそうに、シゲシゲと品々を眺めたあと、友人は不思議そうに私に言った、
「どうして日本人はニセモノを欲しがるの?」
しばし返答に困った。
若気の至りである。
ごめんなさい。
深草少将という男は、小野小町から百日通い続けたなら想いを遂げさせようと言われたのを信じ、ひたすらに通い続けた。
が、
九十九日まで通い続け、今夜成就するはずの夜、大雪が降って凍死してしまった。
これが百夜通いの伝説だが、なんて悲しい結末だろう。
尤も、小野小町は少将にさほど興味はなく、あきらめて欲しくて言った言葉だったから、その真実を知った方がよっぽど残酷かも知れない。
男はバカだから、想いが遂げられるとなれば、かなり辛くたって通うさ、百日くらい。
けれどその日々はさぞや溢れる気持ちではち切れんばかりであったことだろう。
悲惨すぎるだろうか?
いやいや、これはフィクションです。能作者達が創りあげたお話です。小野小町は実在しましたが、深草少将は違います。
ただ、百夜通いの伝説や、小野小町に纏わる数々のエピソードは今でも生き続けており、
かく言う私も、感銘を覚えたある作品が、ずっと超有名作家のアイディアだと信じていたのが、のちのち調べてみたら元ネタは能から来ていたと知って愕然としたことが幾度かある。
いや、私が能の世界に疎いだけと云う説もあるのだが…
キスって……、
そうね、映画『ニュー・シネマ・パラダイス』のラストかな?あれは泣くよね?反則技みたいなものだ。
幾千万の言葉なんか虚しくて、キス1つが全てを吹き飛ばしたりも出来るでしょう?
どうしてだろう?
人は、泣きながら生まれて来るけれど、母の愛に救われる。
生まれたばかりの赤子は笑えない、ホガホガと妙な顔をするだけだ。母のやさしい笑顔を見て、それに反射して、やっと笑えるようになるのだと云う。
たくさんの母の笑顔と、たくさんのキスを受けて、赤子は人になれるのだろう。
人間形成の核にキスがある、だから理屈など飛び超える力を持つ。
キスをするのは人だけではない。ボノボという猿はキスと、オーラルセックスをする事で有名だ。
ボノボにとって、キスとオーラルセックスは生殖以外にも重要な意味を持つらしい。これらによって無用な戦いを回避している、そうやって彼らは種を存続させて来た。
人類もボノボに習うべきなのかもしれない。
1000年先のことは、全く考えられない。50年先ですらムリだ。
手塚治虫の鉄腕アトムは、空想上の2007年頃を描いている。…今は何年?
北斗の拳は世紀末、つまり1999年に世界がほぼ滅亡しかかった世界という設定で…いや、今何年だよ。
まあ、これらは娯楽作品でどちらも名作だから未来が外れてるとしても十分楽しめるし、怒る人はいないだろう。
私は中国に関心があって何回も旅行している。
80年代終わり頃、中国映画祭と銘打ってそれまでほとんど見ることがなかった中国の映画を初めて、まとめて見ることが出来るようになった。
当時の中国はとんでもなく貧しく、人々は素朴で、真面目に頑張って生きているようだった。
社会主義の理想を信じても、現実の無惨さに打ちのめされる、そんなストーリーもあった、
ある教師が、眼鏡を壊してしまったが、それだけで生活が圧迫されてしまう。修理もままならない、新品も買えない…。
そんな中国が鄧小平の経済政策によってなんと世界第2位の経済大国に成長してしまった。
その姿を私は興味深く眺めていた。
しかし、何を思ってか習近平は、かつての貧しかった頃の中国に回帰しようとしているようだ。
実際いま、中国経済は破綻しているらしい。
これは冗談では済まされない、娯楽ではないのだ、他人事ながら中国人民の阿鼻叫喚が聞こえるようだ。
私の短い人生に於いても、こんな予測不能が起こる。
まして1000年先は想像しようがあるまい。
北面の武士であった佐藤義清は23歳の若さで出家し、西行となった。
理由は謎であるが、友の死や失恋が重なっての事とする説が有力だ。人の世の儚さを嘆いたのだろうか。
恋の相手は歳上、格上で、しかもモテモテの美女だったらしい。
とても叶わぬ恋なれば、あきらめて、忘れるのが普通だろうに、西行はそうではなかった。
秘めたる恋を貫き通す、しかも片思いなのに…このような男は稀であろう。
忘れないで下さいと、泣いて縋るのではなく、
忘れられないのです貴女が、と想い続け、自分だけが苦しみ抜いたのだ。
つらいさを奥深く胸に沈めて、花を追い、旅の空に暮らす日々を過ごした。
「願わくば 花の下にて 春死なむ
そのきさらぎの 望月のころ」
西行はその通りの人生を遂げた。
忘れて生きた方が楽なのに、忘れる事を選ばなかった。
馬鹿げてると思いますか?
けれど、
そんな西行を慕う人は少なくない。