夜の公園で、1人のしょぼくれたおっちゃんが、ブランコに乗って、
訥々と、か細い声で歌っていた。
いのち短し 恋せよおとめ
朱き唇あせぬ間に
熱き血潮の冷えぬ間に
明日の命はないものを、…
むかし、もう30年以上も前に名画座で観た黒澤明の「生きる」である。
たった1度しか観てないけれど、忘れられない記憶として残っている。
とくに、ブランコのシーンはあまりにも有名。
映画はストーリーではない、
シーンなのだそうな。
なるほどと、私も思う。
日本三大旅人は、芭蕉、西行、永六輔だと、誰かが言った。
永六輔は『上を向いて歩こう』の作詞家として、名を残した人です。
永さんは日本全国を精力的に旅した人。地方で講演会や公演会を催して、巷の人々と語らいを続けた。
そうして東京のラジオ番組でその事を話していた。旅の間に間にラジオ番組に寄せられる葉書に一枚一枚返事を書いて、
私も何葉か返信をいただいた。
想像するに、かなりせわしない、旅の風景だったのではと思ってしまう。
永さんの旅行術を、私も真似したものだ。
荷物なんてほとんど持たない、お土産もまず買わない、
街をぐるぐる歩いて眺める。
旅は楽しいけれど、時に寂しくなって、虚しくなって涙が滲むものなのだ。
そんな事も、私は永さんから教わったような気がする。
大物なのに、どっしりと構えているような人生を彼は選ばなかった。
常に旅に出て、実際を眺めていた。
戦中戦後を体験し、奇跡の復興を遂げた日本の中央で、テレビの黄金期を作り、その才能は多岐にわたり天才と呼ばれた。
けれどテレビの恐ろしいまでの影響力に懸念を抱いて盛っていた世界に背を向けた。
スポットライトを浴びない、誰も目を向けないものを見つけたくて、
永さんは、旅を続けたのだろう。
書く。
とは、掻くか?古代中国の占い師が、亀の甲羅を引っ掻いて占ったのが文字の、始まりなのであろうか?
古代の人たちは、どんな思いを込めて文字(?)を掻いたものか?
文章を書くのが好きであったけれども、生活に追われてそんな暇が少しもない。
そんな暮らしを7年以上続けてしまい、書くことからとても遠のいてしまった。
その挙げ句、何もかも失って無一文になっていた。
唐突な話のようだが、私は齢55歳で無一文になってしまったのだ。仕事も家も失って、夜逃げして街を彷徨っていた。
やる事はないから毎日図書館に通い、『史記』なんて読んでいた。
浮浪者となった我が身だか、いにしえの人たちの生き様や、興亡を眺めれば、それほど奇異な、哀れな境遇ではないような錯覚の中に置くことが出来たのだ。
読書に救われた。
そうしてある日、何か書きたいという衝動に駆られた。
漱石は、精神的な治療の側面からも書かなくてはいられない人であっただろう。
文豪でない、凡夫の私は、ある人の本に出会って、それを大学ノートにボールペンで筆写した。何冊も…
浮浪の生活はいつしか終わり、また普通に近い暮らしを手に入れたが、
以前のような忙殺に苦しめられる日々ではない、
自分の中から出てくる文章ではないが、人の文章を筆写するだけだが、悪くない。
筆写する内に、我が意識の中に溜まったエントロピーが、すっかり忘れ去っていた小さな事どもが、意識の欠片が思い出されるのである。
良いことも、嫌なことも、意に介してないと切り捨てたものが蘇る。
わからないが、根拠はないのかも知れないが、
文字を書くという行為が、私を救い、ほんの少しだけれど、高みに運んでくれている気がするのである。