書く。
とは、掻くか?古代中国の占い師が、亀の甲羅を引っ掻いて占ったのが文字の、始まりなのであろうか?
古代の人たちは、どんな思いを込めて文字(?)を掻いたものか?
文章を書くのが好きであったけれども、生活に追われてそんな暇が少しもない。
そんな暮らしを7年以上続けてしまい、書くことからとても遠のいてしまった。
その挙げ句、何もかも失って無一文になっていた。
唐突な話のようだが、私は齢55歳で無一文になってしまったのだ。仕事も家も失って、夜逃げして街を彷徨っていた。
やる事はないから毎日図書館に通い、『史記』なんて読んでいた。
浮浪者となった我が身だか、いにしえの人たちの生き様や、興亡を眺めれば、それほど奇異な、哀れな境遇ではないような錯覚の中に置くことが出来たのだ。
読書に救われた。
そうしてある日、何か書きたいという衝動に駆られた。
漱石は、精神的な治療の側面からも書かなくてはいられない人であっただろう。
文豪でない、凡夫の私は、ある人の本に出会って、それを大学ノートにボールペンで筆写した。何冊も…
浮浪の生活はいつしか終わり、また普通に近い暮らしを手に入れたが、
以前のような忙殺に苦しめられる日々ではない、
自分の中から出てくる文章ではないが、人の文章を筆写するだけだが、悪くない。
筆写する内に、我が意識の中に溜まったエントロピーが、すっかり忘れ去っていた小さな事どもが、意識の欠片が思い出されるのである。
良いことも、嫌なことも、意に介してないと切り捨てたものが蘇る。
わからないが、根拠はないのかも知れないが、
文字を書くという行為が、私を救い、ほんの少しだけれど、高みに運んでくれている気がするのである。
1/31/2024, 9:14:16 AM