北面の武士であった佐藤義清は23歳の若さで出家し、西行となった。
理由は謎であるが、友の死や失恋が重なっての事とする説が有力だ。人の世の儚さを嘆いたのだろうか。
恋の相手は歳上、格上で、しかもモテモテの美女だったらしい。
とても叶わぬ恋なれば、あきらめて、忘れるのが普通だろうに、西行はそうではなかった。
秘めたる恋を貫き通す、しかも片思いなのに…このような男は稀であろう。
忘れないで下さいと、泣いて縋るのではなく、
忘れられないのです貴女が、と想い続け、自分だけが苦しみ抜いたのだ。
つらいさを奥深く胸に沈めて、花を追い、旅の空に暮らす日々を過ごした。
「願わくば 花の下にて 春死なむ
そのきさらぎの 望月のころ」
西行はその通りの人生を遂げた。
忘れて生きた方が楽なのに、忘れる事を選ばなかった。
馬鹿げてると思いますか?
けれど、
そんな西行を慕う人は少なくない。
2/3/2024, 7:19:12 AM