冬の足音
ああ、逃げなくては、逃げなくては。隠れる場所はどこだ。物置の下、駄目だ。作業小屋の中、駄目だ。大きな木の洞の中、駄目だ。駄目だ、駄目だ、見つかってしまう。どうしたら、どうしたら。ああ、すぐそこまで来ている、捕まってしまう。まだだ、まだだ、まだ何も用意していない。
薪も割り終えていない、ストーブも用意していない、椎茸も柿も干しきれていない、食べ物だってまだ十分じゃないんだ。
ああ、それなのに、それなのに。
思えば休みすぎていたんだ。夏の暑さがあまりにも酷くて。秋になってもなかなか涼しくならなくて。ようやく涼しくなって人心地つくと思っていた矢先、もう来てしまうなんて。準備なんてまだまだだと怠っていた。
もう、間に合わない。
ずしん、ずしんと音が響く。向こうに見える山はもう白くなっている。このごろ家の周りの空気も冷たくなってきた。迂闊に吸い込むと鼻の奥が冷気に叩かれる。もう間に合わない、呑み込まれる。ずしん、ずしん。
冬の足音が響いてきた。
まってたの
ずっと座ってまってたの。だれかこないかな、って。でもだれもこなかった。
あたりまえだよね、やくそくもしていないんだもの。
でも、まってたの。だれかがきてくれるんじゃないかな、って。
まって、まって、ずっとまってて、ようやくきたの、あのひとが。
やさしかったあのひと。わたしの手をとってくれた。つめたい手をつつんでくれた。
あたたかかった、あのひとの手。
うでもくんだの。ぎゅっとくっついて。あのひとは歩みをあわせてくれていた。
いっしょにお食事もしたの。いったこともない、すてきな夜景。おいしいお食事。はじめてのんだ、おさけ。
ずっとやさしかった。いつもわらっていた。わたしのかおをながめて、ほほえんでくれた。
でも、もうおしまい。だってあのひと、行っちゃうんだもの。行っちゃおうとしちゃうんだもの。もうこないって、わかってしまったから。
でも、もうだいじょうぶ。もう行かせない。どこにも行かせない。ずっといっしょよ。ずっとこのまま。
寂しくて
「……どうしてこんなことしたの?」
「だって私……寂しくて」
「いや、いくら寂しくなってこんなことしていいわけないよね?」
「……ごめんなさい」
「いや、謝らなくていいから、どうしてこんなことしたの、って」
「だって……あなた全然構ってくれないじゃない」
「しょうがないだろ、仕事忙しいって言ったよね?」
「言ってたけど……言ってたけど……」
「けど、なに?」
「……帰りは遅いし、やっと帰ってきたと思ったら、すぐ寝ちゃうし」
「しょうがないだろ、疲れてるんだよ」
「だから私……私……」
「だから、って……よりによってこんなことすることないじゃないか」
「私だって、よくないことだとわかってたよ、だけど、あなた全然気づいてくれないじゃない」
「え、気づいてくれない、って……今回が初めてじゃないの?」
「……そうよ。何度もやってるわよ」
「え、何度も、って……え、なに、いつから……」
「……3ヶ月前からなかな」
「3ヶ月……!僕のプロジェクトが始まってすぐじゃないか、そんな、寂しいって、だって」
「だって、その前からあなた、全然私のこと見てくれてないじゃない。このごろなんか、忙しいことを言い訳にして全然見向きもしなくなって」
「そりゃあ……いや、その前は……」
「その前は、なに?今ほど忙しくなかったときも、あなた飲み歩いて全然帰って来なかったじゃない。最後に私と話したの、いつよ」
「え……いや、だってさ、あるだろ、つきあいとか」
「ええ、ええ、わかるわ、つきあいは大事だよね。私にとっても大事だわ」
「いやでも、だからといってこれは」
「これは、なによ」
「ここまで……しなくても」
「ここまで、って、なによ。今まで私のことなんて気にもしなかったくせに」
「でも、これは……」
「いいこと、これからはあなたは帰ってきてもこなくても構わないから。私と話もする気がないなら、無理に話さなくてもいいよ。私はもう大丈夫だから」
「え……そんな、僕はそれじゃあどうするば……」
「好きにしたらいいわ、好きなだけ仕事をして、飲み歩いて。つきあいは大事なんでしょ」
「いや……謝るから、どうかそれは……」
「住宅街に突如現れた巨大な城!なんて立派な、美しい建物でしょうか。この建物を造られた、主婦の赤井美代子さんにお越しいただきました。すごいですねえ、どのくらいかけられて造ったのですか?」
「ええと……3ヶ月くらい?」
透明な羽根
道に何かが落ちていた。よくわからないけど、キラキラと光を反射している。屈んでよく見ると、地面の、周りのアスファルトとは何か違う、光を纏っているような……
指を伸ばしてみると、確かに触れられる。持ち上げて見てみると、透明な……羽根?
向こうが透けて見える。だけど確かにある。輪郭は僅かに歪んで、たしかに何かがあることを示している。大きさは、鴉の風切羽くらい。結構大きい。
空にかざすと青空が透けて見える。
細かな羽一枚一枚の輪郭が光を曲げて、確かにそこにあることを示している。角度を変えても透明だ。
しばらくその透明な羽根を目の前にかざしながら町を歩く。
いつも通っている商店街、パン屋さん、喫茶店、八百屋さん、お茶屋さん、店を閉めたシャッターまで。この透明な羽根を通すと、なんだかキラキラしてるみたいに見える。
あ、と人とぶつかりそうになった。顔の前から羽根を外す。
途端にいつも見る古ぼけた商店街に戻った。クリーニング屋の古い階段、いつのものかわからない美容院の中のポスター、お婆ちゃんしか買いに来ない古びた化粧品屋さん。
「ねえ、香苗、なにその顔の前の」
「いいでしょ、拾ったの。これつけると色んなものがキラキラして見えるんだ」
「へぇ……でもちょっと変だよ。なんでそんなバンドみたいなの頭に付けてまで顔の前に着けてるの?」
「言ったじゃん、キラキラしてんだって。真理恵もつけてみなよ」
「え……えぇ~……私はいいかな……」
聞く耳
先日の、私の発言において、気分を害された方がいらっしゃるとお聞きしました。誠に申し訳ございません。私としては、軽いジョークのつもりだったんです。場の、雰囲気を、和ませようという。しかし使った言葉が悪かった。お気を悪くされた方には申し訳なく思っています。
しかし、私としては、決して間違ったことを言ったつもりはなかったんです。これだけは言っておきたい。しかし、選んだ言葉が不味かった。その点については本当に、申し訳ございませんでした。
先日の謝罪について、ご批判の声をいただきました。誠に申し訳ございません。反省しているように見えなかった。それは私の不徳の致すところでございます。返す言葉がございません。
しかし、私の発言は間違っていたのでしょうか。確かに今の時代には合わない言葉だったかもしれない。でもね、言葉はともかく、内容については、決して、決して間違ってはいないと、私は思っているのですよ。そのことだけは皆さんにとってもお伝えしたく。
どうも私は一言多いようで、先日の発言内容に沢山のお叱りの言葉をいただきました。ご不快になられた皆様には、本当に申し訳ございません。
しかし、聞く耳、持っていただけませんかね私の趣旨はそうじゃないんだ、間違ってはいないんだ、と、今一度皆さんにお確かめいただきたく。
……申し訳ございません。あれから沢山のお叱りの言葉、ご非難の言葉を頂戴いたしました。謝罪の態度ではない、と。自分を擁護してばかりではないか、と。私としてはそんなつもりではなかったたんです。しかし、私の発言、態度が私のみならず、家族に対してもご非難を受けるようにしてしまった。それは本当に反省しております。平に、平にご容赦いただきたく。
しかし、そんなに間違っていたのでしょうか。私はそれほど悪いことを言ってしまったのでしょうか。信念を示すことが、そんなに悪かったのでしょうか。私にはわからなくなってしまいました。正しいと信じるものをお示ししただけなんです。それが、こんなにご非難を受けるようになってしまったとは。私が間違っていたのでしょうか。わかっていただけなかったのでしょうか。私にはわからない。