【人生という物語は】
春休みに入る前の土曜日に、私とお母さんは車であるところへ行くことにした。
荷物は最小限に留める。
スマホ、財布も入れておこうか、あとはハンカチとティッシュも。
小さなバッグに次々と色々なものを詰め込んでいく。
あ、あとはこれも忘れちゃだめだ。
そう思って、私は机の上に置いてあったものもバッグに入れた。
オトウサンが使っていた日記だ。
お母さんは車の運転席、私は助手席に乗り込んた。
「じゃ、行こっか」
「うん」
エンジンがかかり、車が走り出した。
お母さんは鼻歌を歌いながら、車を走らせた。
私は、オトウサンの日記を読んだ。
「着いたよ」
お母さんの言葉で、私は顔を上げた。
目の前に見えるのは……海だ。
車から降りて、砂浜を踏みしめた。
寄せては返す波が、向こうに見えた。
私達は木のベンチを見つけて、そこに座ることにした。
座ってからしばらくは、2人とも景色を眺めるだけだった。
寄せる、返す、寄せる、返す。
そこにザァーッ、ザァーッという音が重なる。
雲がゆっくりと動いている。
その光景を、ただ見ているだけだった。
最初に口を開いたのは、お母さんのほうだった。
「ごめんね」
私はお母さんを見た。
「お父さんのこと、今まで話してなかったよね。ちゃんと話すべきだったよね」
お母さんは少し俯きながら、そう言った。
「うん……」
私は他に何も言えなかった。
再び、2人の間に静寂が訪れた。
「あのさ、」
私は意を決して口を開いた。
「私、去年の2月に日記を見つけたんだ。
オトウサンの日記」
私はバッグから日記を取り出して、お母さんに手渡した。
「これを読んで、初めてオトウサンのことを知れた。
私、オトウサンはとても強い人だと思ってた。
でもね、オトウサンはもっと繊細で、脆くて、だけど強かった。
私と何も変わらない、一人の人間だって分かったよ」
お母さんは日記を撫でるように触った。
「お母さん、本当は我慢してたんだよね?
オトウサンが死んじゃって、苦しかったけど、我慢してたんだよね」
お母さんは、涙を浮かべていた。
私は、今までお母さんの涙を一度たりとも見たことが無かった。
「海愛、」
お母さんは私の名前を呼んだ。
「一つね、海愛に知っていてほしいことがあるんだ」
「何?」
私はドキドキした。
心臓が震える音がする。
「お父さんはね、昔こう言ってたんだ。
『自分が死んだら、海洋散骨をしてほしい』って。
その言葉通り、火葬が終わってから、海洋散骨をしてもらったよ」
海洋散骨。
その言葉は聞いたことがある。
火葬した骨をパウダー状にして、海に散布するというお別れの仕方だ。
オトウサンは、海洋散骨を選んだんだ。
「海は、オトウサンのお墓ってこと?」
「うん、そうだよ。お父さんは、海にいるんだよ」
私は海を眺めた。
海は、オトウサンのお墓。
ここにオトウサンがいるんだ。
海に行けば、いつでも会えるんだ。
「ごめんね、もっと早く話すべきだった」
お母さんは涙をポロポロと流した。
悲しそうに、顔を手で覆いながら。
私はお母さんを抱き締めた。
お母さんを抱き締めると、私も何だか泣きたくなってきた。
勝手に涙が頬を伝っていた。
それから、私達はずっと涙を流した。
私達は、お互いにこの瞬間を待っていたのだ。
帰りの車内は、しんみりとした雰囲気になるかと思いきや、そうでもなかった。
2人でワイワイと話をしながら、帰路についた。
「もうすぐ春休みだぁ〜」
「でも、受験生になっちゃうじゃない」
「嫌だなぁー。
でも自分が選んだ道だから、頑張らなくちゃね」
そうだった、私は受験生になるんだ。
その事実を突きつけられると、胸が痛い。
受験はもちろん嫌なのだけど、それ以上に嫌なのは友達と離れることだ。
かのんちゃんも、あいりちゃんも、卒業したらお別れすることになる。
私は地元の、かのんちゃんは東京の、あいりちゃんは大阪の大学に進学する。
3人とも、別々の場所に行ってしまう。
今の時代、メールでのやりとりは出来るけれど、
やっぱり友達と離れるのは悲しいものだ。
その日の夜。
私は布団に入り、目を閉じた。
だけど、中々眠りにつくことが出来ない。
あまりにも寝付きが悪いものだから、私はオトウサンの日記でも読んで暇つぶしをしようと考えた。
机においてある日記を手に取り、適当にページを開いた。
―――――――――――――――――――――
2007/12/01
子供が生まれた。
ああ、我が子ってこんなに可愛いんだな。
産声が聞こえてきたとき、どんなに嬉しかったことか。
遥が無事に元気な赤ちゃんを産んでくれた安堵、
大切な存在がもう一人できた事への喜び。
本当にパパになれるのだろうかという不安。
旦那の役目さえ全うできていない僕が、
パパの役目など果たせるのか。
でも、
「最初からパパになれる人なんていない」
そう君が言ってくれたから。
この命が燃え尽きるまで、妻を、この子を愛したい。
愛してみせる。
―――――――――――――――――――――
私が生まれた日の日記だ。
やっぱりオトウサンは、私のことをちゃんと愛してくれているんだと思う。
この日の日記が、いちばん好きだ。
そして、この日記には続きがある。
―――――――――――――――――――――
あっ、
名前は2人で話し合って、
「海愛(みあ)」にしようと思っている。
僕達には海での思い出がたくさんあるから、
いつか3人で海に行きたいな、なんて考えたり。
とにかく、愛のある子に育ってくれること、
それが何よりの願いだよ。
―――――――――――――――――――――
海愛。
これは私の名前だ。
海愛。
……そういえば、私の名前の由来は何だっけ。
私はふと思った。
小学校の時に、名前の由来を調べる宿題があったような気がする。
何だっけ……
私はしばらく考えて、「あっ!」と思い出した。
それは小学3年生の時だったと思う。
お母さんに、自分の名前の由来を聞いたのだ。
「私の名前の由来ってなあに?」
お母さんはニコッと微笑んで、こう答えてくれた。
「お父さんとお母さんは、海が好きだったんだ。
優しくて、強い海が大好きだった。
だからね、海愛もそんな子に育ってほしいと思って、名前を付けたんだ」
お母さんは、珍しくオトウサンの名前を出した。
優しくて、強い海ってなんだろう。
今までそれが疑問だった。
でも、何となく分かるかも。
上手く言葉に出来ないけれど。
ああ、私の名前は素敵だ。
海を愛すると書いて、海愛。
海は、オトウサンとお母さんを繋ぐもの。
海は、オトウサンのお墓。
海は、私達家族の拠り所。
やっと分かったよ。
私の名前の美しさが、やっと分かったよ。
私は窓の向こうを見た。
暗い夜の遠くに、港が見える。
あそこの海に、オトウサンがいる。
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ずっと思っていたことがある。
「人生は物語に似ている」っていうことだ。
人生は1つの出来事で、ロマンチックにもドラマチックにも彩ることが出来るのだ。
オトウサンの人生は、「病死」という悲劇的な終わり方だった。
人が死んだらどうなるかって、そんなの誰にも分からないけれど、
人には2つの死があるらしい。
1つは肉体的な死。
もう1つは、忘れられることによる死。
オトウサンは、肉体的な死を迎えたけれど、忘却による死は迎えていない。
オトウサンの事を覚えている人は、沢山いる。
だから、オトウサンの物語は終わってなんかいないと思うのだ。
Fin.
次回作を楽しみにお待ちください。
【催眠術】
「さあ、瞳を閉じて。
身体は軽く、力を抜いて…」
60代くらいの催眠術師は、私にそう言い聞かせた。
私は言われた通りに、瞳を閉じて身体の力を抜いた。
今、私はとあるテレビ局のスタジオにいる。
人気番組の企画で、催眠術をかけてもらうことになったのだ。
私は一般人枠として、この場にいると言うわけだ。
「えー、では、これから貴方に催眠術をかけますね。
貴方は、今手を組んでいますよね。
これからあることをすると、その手が動かなくなりますよ」
ヤラセっぽい。
そんなこと、できるわけないだろう。
「それでは、まずは深呼吸をしましょうか。
はい、吸って……吐いて……」
私は催眠術師に促され、深呼吸をした。
吸って……吐いて……
吸って……吐いて……
「はい、もういいですよ。
それでは、私が指パッチンしますので、その後に手を解いてみてください。
そうすると、手が動かなくなりますよ。」
パチンッ
催眠術師が指を鳴らした。
「では、手を解いてみてください」
そんなの、簡単だろう。
そう思って動かそうとした。
「ん?」
手に力を入れてみるも、力が入らない。
動かない。
「あれ?」
焦ってもっと力を入れようとしても、無理だ。
これが、催眠術?
私は催眠術にかかった?
「解けませんね。これが、催眠術です」
身体が静かに震えるのを感じた。
私はいつから、操られていた?
周囲にいるエキストラから、感嘆の声が上がるのが聞こえた。
次に行なわれた催眠術は、「ワサビがクリームのように甘くなる」というものだった。
「それでは、先ほどと同じように、目を閉じて、身体の力を抜いてください。
……いいですか?
それでは、これから貴方はワサビを甘く感じるようになります。
それはそれはクリームみたいにね。
では、深呼吸をしましょう。
……吸って……吐いて……
……吸って……吐いて……」
私は言われるがままだった。
「よし、いいでしょう。
それでは、私がこれから指パッチンをします。
そしたら、口を開けてワサビを食べてください。
甘く感じるようになりますよ」
パチンッ
私は口を開けた。
冷たい金属製のスプーンと、ワサビが口に入った。
舌でワサビを転がしてみると、今までの味と違うことが分かった。
何が違うのか……ああ、甘い。
ツンとした刺激がない。
「まるでクリームみたい……」
いつの間にか、そう呟いていた。
途端にエキストラから、再び感嘆の声が上がった。
「では、今からもう一回指パッチンしますね。
そしたら、ワサビは元の味を取り戻しますよ。」
パチンッ
…………え、辛っ!
ゲホッゲホッ!
「どうですか?辛いですか?」
私はコクリと2回頷いた。
スタッフの方が水をくれたので、グイッと飲み干した。
辛い、何で?
さっきまであんなに甘かったのに。
収録が無事に終わり、謝礼を受け取った私は外に出た。
催眠術にかかった興奮で紅潮した頬が、冬の冷たい風で冷やされていく。
冷たい風に当たっていると、今が現実であることを徐々に認識し始めた。
まるで、さっきの催眠術が夢みたいだ。
いや、夢の中で起こった出来事なのかもしれない。
分からない。
だけど、手が解けなかった時の感覚が忘れられないし、ワサビが生クリームみたいな味だったことも覚えている。
これも、全て夢だったのだろうか。
フワフワした気分から目醒めてしまった私は、火照った頬がクールダウンしていくのを感じながら、帰路についた。
【嘘泣き】
涙は女の武器だ。
それに気付いたのは小学5年生の時だった。
長縄跳びで骨折してしまって痛すぎて泣いていると、
「大丈夫?歩ける?」
と、男の子が手を差し伸べてくれた。
私が片想いをしている男の子だった。
「……ううん、立てない」
「肩貸すよ」
そうしてその子は私を保健室まで連れて行ってくれた。
嬉しかった。
とっても嬉しかった。
初めて、点と点が結ばれたような気がした。
私が友達と喧嘩をして泣いている時も、男子は私を気にかけてくれた。
片想いしていた子も、そうでない子も。
中にはちょっと顔の良いイケメンもいた。
「ハンカチ貸そうか?これで涙拭いてよ」
私が泣いただけで、こんなに優しくしてもらえるなんて。
私は衝撃を受けたとともに、面白くなった。
味を占めた。
それから私は、「泣き虫キャラ」を貫くことにした。
些細なことですぐ泣く子になった。
男子から心配してもらえるから、益々面白くなって、エスカレートした。
女子からは嫌われるようになったけど、別にどうでも良かった。
私の周りにはイケメンな男子さえいれば良かった。
私が泣けば、イケメンが近寄ってくる。
楽しかった。実に面白かった。
中学生になっても、このキャラが全く変わることは無かった。
それどころか、どんどんエスカレートして、勢いは増していくばかりだった。
中学生になって新たに気付いたのは、
「泣けば何でも許される」ということだった。
「そういうこと言うのはやめたほうが……」と言われれば、
「え〜ん!あの子にキツイこと言われた〜」
と、被害者面して泣いておけばいいのだ。
そうすれば、男子達は私を庇ってくれるのだ。
お陰で、男友達がたくさんできて、彼氏までできてしまった。
女友達は、いなかった。
中学3年生になった私は、夏休みに映画を観に行くことになった。
別に興味の無い映画なのに、お母さんにしつこく誘われて行くしか無かった。
座席に座り、待つこと20分。
映画が始まった。
どうやら恋愛映画らしい。
2人の男女が偶然出会って、デートをする話だ。
お母さんが隣で涙ぐむ中、私は肘を付き、欠伸をしながら観ていた。
しかし、私はあるシーンに惹かれた。
女性が涙を流しながら、男性に別れを告げる場面だ。
私は、頭をガツンと殴られたくらいの衝撃を受けた。
女性は、透明な涙を流していた。
それは、本当にキラキラしていた。
星みたい、と思った。
私は今までに、こんなに透明な涙を見たことがあっただろうか。
いや、無い。
映画を観終えて帰路についた。
車の後部座席でゆらり揺られながら、私はずっと考え事をしていた。
私は今までに、あんなに透明な涙を流したことがあっただろうか。
その時、私は吐き気を感じた。
無い、あんなに美しい涙を流したことなんて、一度たりともない。
私の涙は、黒く濁っている。
それに気付いてしまって、頭がクラクラしてしまった。
私は、愚かな女の子だった。
泣けばイケメンが近寄るだなんて、そんな考えは気持ち悪い。
私は男子のことを「モノ」としか思っていなかったのかもしれない。
私は、許されない人間なのだ。
それから私は、泣き虫キャラを辞めた。
今までの自分の行動が、酷く気持ち悪いものに感じられてしまって、そんな自分に嫌気が差したのだ。
そして、高校生になった私は演劇部に所属した。
あの映画を観てから、あんなに透明な涙を流せる女優が羨ましいと感じたからだ。
私も、あんな涙を流したい。
私の夢は「モテる女子」から「女優」に変わった。
大学生になって劇団に所属した私は、本格的に演劇の世界にのめり込んだ。
毎日演じて、演じて、演じる毎日。
不思議なことに、苦しいとは思わなかった。
そうして2年が経ったある日、次の舞台の台本が配られた。
恋愛を題材とした物語だった。
私は主人公のヒロイン役で、一度は主人公と結ばれるものの、結局は別れてしまうという役だ。
台本には「別れの言葉を告げながら涙を流す」と書いてあった。
「この世界で一番美しい涙を流せ、いいな?」
そう言われた私は、強く頷いた。
私はこの為に頑張ってきた。
透明な涙を流す為に。
数カ月の稽古を経て、遂に本番の日を迎えた。
「お客さん、いっぱい入ってるね」
舞台袖から、満員の客席が見える。
もう逃げられない。
「本番5分前でーす!」
もうすぐ始まる。
私は心臓がバクバクしていた。
もし、綺麗な涙を流せなかったら。
不安だ。吐き気がする。
その中で、私は学生時代の記憶を思い出していた。
涙は女の武器、そう思ったきっかけの日。
涙を流して被害者面をした日。
映画を観た日。
過去との決別の為に、彼氏と別れた日。
たった数秒の間に、痛く黒い記憶がフラッシュバックする。
そうだ、私は過去と決別しなきゃ。
許されるとは思ってない、ただの我儘だ。
どうか、舞台の上だけは我儘でいさせて欲しいのだ。
舞台が始まった。
舞台に上がると、輝かしい照明と沢山の拍手が私を迎えてくれた。
あとは、演じるだけだ。
その後、舞台が大成功に終わったことは、言うまでもない。
【星の破片を】
去年の2月、不登校生活3ヶ月目だっけ、
私はオトウサンの日記を見つけた。
「きらめき」と書かれた表紙を捲ると、オトウサン直筆の日記が並んでいた。
毎日つけていたわけではないみたいだけど、オトウサンが思っていたことが記されていて、「あぁ、やっとオトウサンのことを知ることができる」と思った。
曲作りの記録、大学での話、お母さんとの馴れ初め、……
色々と書いてあった。
そこには、不器用で愛のあるオトウサンの姿があった。
どんどん読み進めていくと、あるページで手が止まった。
2008/03/12
最近、体中が痛い。
2008/04/15
相変わらず体中が痛い。
加えて、体がだるい。
食欲があまりないから、体重がどんどん落ちている。
このままでは骨になってしまう。
日記を書く頻度が落ちているから、相当痛かったのだろう。
私は次のページを捲った。
2008/05/07
今日、皮膚筋炎と診断された。
皮膚筋炎、かあ。
まさか自分が病気になるとは思わなかった。
皮膚筋炎かあ。
2008/05/10
目黒区の総合病院に入院することになった。
しばらく休めば、また家族に会えるだろう。
お医者さんからも「適切な治療を続ければ治る」と言われているから。
しばらく会えなくなるけど、お互い元気で。
オトウサンは皮膚筋炎だった。
私は日記を読み進めていった。
2008/08/11
今日は病院の中庭でライブをした。
筋力がちょっとだけ低下しているけど、ギターは弾けるし声も出せる。
目の前には、子供や高齢者、自分と同じくらいの年代の人もいた。
皆、笑顔だった。
中にはライブが終わってから「素敵な歌をありがとう」と声を掛けてくれる方もいた。
僕の好きなことで誰かが笑顔になるなんて、なんて素敵なことなんだろう。
2008/09/14
晋也がススキを持ってお見舞いに来てくれた。
「ここに置いとけば月見できるだろ?」って。
そしたら母さんまでススキを持ってきたもんだから、笑っちゃった。
なんか、こうやっていろんな人と笑えるって良いな。
入院生活も、案外悪くないかもしれない。
オトウサンは楽しそうだった。
体は痛いはずなのに。
オトウサンが笑う顔が浮かぶ。
オトウサンの顔は朧気でよく見えないけど、
確かに笑っている。
日付は少し飛んで、2009年になっていた。
2009/3/5
最近、喉の筋力が低下しているような気がする。
食べ物が上手く飲み込めないし、むせることが多くなった。
しゃべるのが苦手になった。
僕は、これからも歌えるのだろうか。
2009/5/16
部屋を移動しただけで息切れがするようになった。
咳込むことも多くなった。
風邪にでもかかったのだろうか。
2009/7/25
どうやら、間質性肺炎というものになってしまったらしい。
皮膚筋炎を患っている人はなりやすいと聞いた。
もしかすると、本当にもしもの話だけど、
僕は3年後に亡くなっているかもしれない。
死因は呼吸不全、酸素が取り込めなくなって死ぬかもしれない。
そういう症例がある。
僕も、そうなるのかもしれない。
嫌だ。
僕はまだ死ねない。
娘の顔をもっと見たいし、妻に感謝を伝えきれていない。
曲だってもっと作りたいし、またライブをしたい。
僕はまだ、死ねない。
間質性肺炎。
命を落とす危険性もある病気だ。
オトウサンは、死と隣り合わせになった。
2009/10/03
遥と海愛がススキを持ってお見舞いに来てくれた。
そういえば、去年は晋也が持ってきてくれたな。
あの時は母さんもススキを持ってきたもんだから、みんなで腹を抱えて笑ったっけ。
今年の中秋の名月は遅めだ。
「ほら、ついでにカボチャのランタンも持ってきたよ」って、先取りハロウィンまでしちゃって。
笑いながら、「次は無いな」と思った。
2009/12/01
娘の誕生日だ。
今日は遥が海愛を連れて、おみまいに来てくれた。
誕生日なのに、ごめんな。
父さんの辛そうな姿なんて見たくないよな。
そう思ってしまった。
海愛は遥に抱っこされて、笑っていた。
海愛は分かってない、僕が病気なことを。
いつかこのことをしってしまったら。
海愛はそれでも笑ってくれるのだろうか。
2010/02/14
寒い。
体が痛い。
だるい。
立ちたくない。
2010/04/22
もう何ヶ月も歌ってない。
ライブなんか、全然していない。
もっとうたいたい。
もっとやりたいことがあった。
それなのに。
オトウサンは、元気を失くした。
死と隣り合わせの生活は楽しくないし、不安と恐怖に苛まれる日々なのだ。
終わりのない日々。
それはとんでもなく辛いのだ。
2010/09/01
今日、ぼくとの面会をやめてもらうようにお願いした。
僕はかなり弱ってきていて、もう人に見せられるような姿ではない。
たとえ友達でも親でも家族でも、こんな姿を見せたくないないと思った。
本当にひどいことをしたと思う。
僕はひどいやつだ、そう思われても構わない。
もういっそのこと、僕のことを忘れてほしい。
全部無かったことにしてほしい。
2010/9/22
誰もススキをもってくることはない。
それもそのはず、面会謝絶を要求したからだ。
母さんも、妻も、娘も、友達も、「もうくるな」と突き放した。
だから、来るわけない。
でも、「面会謝絶なんかまもってられるか」と言って、ドアを蹴破ってやってきてほしいと考える自分もいる。
手にはススキが握られていて、「はやく元気になってね」って言って笑顔を見せるのだ。
ああ、なんで突き放したんだろう。
結局自分が孤独になるだけなのに。
やっぱり僕はバカだ。
もう、消えてしまいたい。
2010/10/01
いつのまにか、しにたい、と思うようになってしまった。
2010/10/22
僕は今日、死のうと思った。
僕の病気は進行していくばかりで、ある日急に病気が治ったら、そのカーテンが少しでも翻ったならば、なんて考えていた。
だけど、もうそんなことを考えても無駄なところまで来てしまった。
だから僕は決めた。
もう死のう。
全て終わらせようって。
屋上から飛び降りて、何もかも無かったことにしようって。
あの日の歌も、ギターも、全て僕には関係なかった。
あの日の喜びは、僕にとって何の糧にもならなかった。
それで屋上に向かった。
少しだけ高い所に立って、手を広げると鳥になったような気分がして良かった。
あとは身を委ねて前に倒れるだけだった。
だけど、急に誰かに呼ばれたような気がして振り返った。
だめ、やめて、消えないで、って。
だけど、誰もいなかった。
きっと空耳、気の所為だ。
だけれど、不思議と「今日は死ぬの延期にしよう」なんて思ってしまって、それでこんな日記を書いているんだよ。
オトウサンが「死にたい」と言うなんて。
「死にたくない」って言ってたのに。
「まだ死ねない」って言ってたのに。
でも、オトウサンは生きることを選んだ。
2010/11/04
息がうまく吸えない。
酸素がまわらない。
字をかくのがつらくなってきた。
からだを動かすのがしんどい。
ただ毎日、窓の外を眺めるだけの生活だ。
死にたい、でも生きなきゃ。
2010/12/16
体がいたくて動けない。
窓ぎわをみることしかできない。
今日は雪がふっている。
なんだかかなしいな。
家族にあいたいな。
2010/12/21
きのう、さいごの歌をつくった。
もう、今日で死ぬんじゃないかと思っていたけれど、今日も生きている。
でも、今日でさいごかもしれない。
もしかすると、あしたも生きるのかもしれない。
わからない。
わからないけど、さみしい。
ずっと嫌で、こんな生活が辛くて、何度も死にたくなったし死のうと思った。
でも、できなかった。
ぼくはどこまでも生きたがりの人だった。
だけどもう長くないとしった。
ここまでくると、もう腹をくくっている自分がいる。
そして、せめてぼくの大切な人達には生きてほしいと、ただそれだけを願うばかりである。
ああ、雪がきれいだ。
しんしんとふっている。
美しい。
色々な思い出が見えるようだ。
やっぱり、もう少しだけ生きたかった。
春を迎えたい。
最後の日記を読み終えた時、私の料目からは大粒の涙が溢れていた。
そのまま床にしゃがみ込み、両手で顔を覆った。
オトウサンが、こんなに辛い思いをしていたなんて。
何も知らなかった。
私は、オトウサンのことを何も知らないのだ。
考えていたこと、嬉しかったこと、辛いこと。
私はオトウサンを何一つ知らなかった。
1時間ほど泣いて、泣き疲れた頃に私は考えた。
私は、オトウサンのことをもっと知らなきゃ。
お母さんは何も教えてくれないのだから、自分から動かなきゃ。
私は、オトウサンを知りたい。
それからは、オトウサンのことを知るためにおばあちゃんに電話をかけたり、オトウサンの記録が無いか家中探し回ったりした。
夏にはお母さんと喧嘩して、東京に家出した。
そこで思いがけない出会いを経て、オトウサンのことを知ることができた。
この前、夏目漱石の「夢十夜」を読んだ。
第一夜という話では、ある男性ともうすぐ亡くなる女性が出てくるのだ。
女性は男性に頼むのだ、
「私が亡くなったら、大きな真珠貝で穴を掘って、天から落ちてくる星の破片を墓標において、墓の傍で待っていて欲しい」と。
大きな真珠貝、星の破片が何を意味するのか分からないけど、
私は星の破片を、オトウサンにあげたい。
いや、オトウサンだけじゃない。
遺された人達に、私達と同じ経験をした人に、今苦しんでいる人に、大切な人に。
星の破片をあげたい。
星の破片が、愛であれば良いのに。
そうすれば、私達は生きていけるのだ。
何があっても、皆起き上がれるのだ。
私達は思ったより強いのだ。
―――――――――――――――――――――
もうすぐ春休みがやって来る頃、私はお母さんから「海に行かない?」と誘われた。
どうやらお母さんは、オトウサンの話をしたいらしい。
【君がいれば良いのに】
この前、親に「結婚はまだか」と迫られた。
もうすぐ30歳になるから、親も焦っているのだろう。
気のせいだろうか、最近は特に言われているような気がする。
親だけじゃない、
片手で数えられる程度しか会ったことの無い親戚にまで言われた。
ソファに座って考え事をしていると、猫が膝の上に乗ってきた。
「みゃあ」と鳴く君を撫でた。
毛がふわふわしている。
私は、君がいれば良いんだけどな。
君と一緒に暮らせるだけで、十分幸せなんだけどな。