中宮雷火

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【催眠術】

「さあ、瞳を閉じて。
身体は軽く、力を抜いて…」
60代くらいの催眠術師は、私にそう言い聞かせた。
私は言われた通りに、瞳を閉じて身体の力を抜いた。

今、私はとあるテレビ局のスタジオにいる。
人気番組の企画で、催眠術をかけてもらうことになったのだ。
私は一般人枠として、この場にいると言うわけだ。

「えー、では、これから貴方に催眠術をかけますね。
貴方は、今手を組んでいますよね。
これからあることをすると、その手が動かなくなりますよ」
ヤラセっぽい。
そんなこと、できるわけないだろう。
「それでは、まずは深呼吸をしましょうか。
はい、吸って……吐いて……」
私は催眠術師に促され、深呼吸をした。
吸って……吐いて……
吸って……吐いて……
「はい、もういいですよ。
それでは、私が指パッチンしますので、その後に手を解いてみてください。
そうすると、手が動かなくなりますよ。」

パチンッ

催眠術師が指を鳴らした。
「では、手を解いてみてください」
そんなの、簡単だろう。
そう思って動かそうとした。
「ん?」
手に力を入れてみるも、力が入らない。
動かない。
「あれ?」
焦ってもっと力を入れようとしても、無理だ。
これが、催眠術?
私は催眠術にかかった?
「解けませんね。これが、催眠術です」
身体が静かに震えるのを感じた。
私はいつから、操られていた?
周囲にいるエキストラから、感嘆の声が上がるのが聞こえた。

次に行なわれた催眠術は、「ワサビがクリームのように甘くなる」というものだった。
「それでは、先ほどと同じように、目を閉じて、身体の力を抜いてください。
……いいですか?
それでは、これから貴方はワサビを甘く感じるようになります。
それはそれはクリームみたいにね。
では、深呼吸をしましょう。
……吸って……吐いて……
……吸って……吐いて……」
私は言われるがままだった。
「よし、いいでしょう。
それでは、私がこれから指パッチンをします。
そしたら、口を開けてワサビを食べてください。
甘く感じるようになりますよ」

パチンッ

私は口を開けた。
冷たい金属製のスプーンと、ワサビが口に入った。
舌でワサビを転がしてみると、今までの味と違うことが分かった。
何が違うのか……ああ、甘い。
ツンとした刺激がない。
「まるでクリームみたい……」
いつの間にか、そう呟いていた。
途端にエキストラから、再び感嘆の声が上がった。
「では、今からもう一回指パッチンしますね。
そしたら、ワサビは元の味を取り戻しますよ。」

パチンッ

…………え、辛っ!
ゲホッゲホッ!
「どうですか?辛いですか?」
私はコクリと2回頷いた。
スタッフの方が水をくれたので、グイッと飲み干した。
辛い、何で?
さっきまであんなに甘かったのに。

収録が無事に終わり、謝礼を受け取った私は外に出た。
催眠術にかかった興奮で紅潮した頬が、冬の冷たい風で冷やされていく。
冷たい風に当たっていると、今が現実であることを徐々に認識し始めた。
まるで、さっきの催眠術が夢みたいだ。
いや、夢の中で起こった出来事なのかもしれない。
分からない。
だけど、手が解けなかった時の感覚が忘れられないし、ワサビが生クリームみたいな味だったことも覚えている。
これも、全て夢だったのだろうか。
フワフワした気分から目醒めてしまった私は、火照った頬がクールダウンしていくのを感じながら、帰路についた。

1/23/2025, 10:55:13 AM