【人生という物語は】
春休みに入る前の土曜日に、私とお母さんは車であるところへ行くことにした。
荷物は最小限に留める。
スマホ、財布も入れておこうか、あとはハンカチとティッシュも。
小さなバッグに次々と色々なものを詰め込んでいく。
あ、あとはこれも忘れちゃだめだ。
そう思って、私は机の上に置いてあったものもバッグに入れた。
オトウサンが使っていた日記だ。
お母さんは車の運転席、私は助手席に乗り込んた。
「じゃ、行こっか」
「うん」
エンジンがかかり、車が走り出した。
お母さんは鼻歌を歌いながら、車を走らせた。
私は、オトウサンの日記を読んだ。
「着いたよ」
お母さんの言葉で、私は顔を上げた。
目の前に見えるのは……海だ。
車から降りて、砂浜を踏みしめた。
寄せては返す波が、向こうに見えた。
私達は木のベンチを見つけて、そこに座ることにした。
座ってからしばらくは、2人とも景色を眺めるだけだった。
寄せる、返す、寄せる、返す。
そこにザァーッ、ザァーッという音が重なる。
雲がゆっくりと動いている。
その光景を、ただ見ているだけだった。
最初に口を開いたのは、お母さんのほうだった。
「ごめんね」
私はお母さんを見た。
「お父さんのこと、今まで話してなかったよね。ちゃんと話すべきだったよね」
お母さんは少し俯きながら、そう言った。
「うん……」
私は他に何も言えなかった。
再び、2人の間に静寂が訪れた。
「あのさ、」
私は意を決して口を開いた。
「私、去年の2月に日記を見つけたんだ。
オトウサンの日記」
私はバッグから日記を取り出して、お母さんに手渡した。
「これを読んで、初めてオトウサンのことを知れた。
私、オトウサンはとても強い人だと思ってた。
でもね、オトウサンはもっと繊細で、脆くて、だけど強かった。
私と何も変わらない、一人の人間だって分かったよ」
お母さんは日記を撫でるように触った。
「お母さん、本当は我慢してたんだよね?
オトウサンが死んじゃって、苦しかったけど、我慢してたんだよね」
お母さんは、涙を浮かべていた。
私は、今までお母さんの涙を一度たりとも見たことが無かった。
「海愛、」
お母さんは私の名前を呼んだ。
「一つね、海愛に知っていてほしいことがあるんだ」
「何?」
私はドキドキした。
心臓が震える音がする。
「お父さんはね、昔こう言ってたんだ。
『自分が死んだら、海洋散骨をしてほしい』って。
その言葉通り、火葬が終わってから、海洋散骨をしてもらったよ」
海洋散骨。
その言葉は聞いたことがある。
火葬した骨をパウダー状にして、海に散布するというお別れの仕方だ。
オトウサンは、海洋散骨を選んだんだ。
「海は、オトウサンのお墓ってこと?」
「うん、そうだよ。お父さんは、海にいるんだよ」
私は海を眺めた。
海は、オトウサンのお墓。
ここにオトウサンがいるんだ。
海に行けば、いつでも会えるんだ。
「ごめんね、もっと早く話すべきだった」
お母さんは涙をポロポロと流した。
悲しそうに、顔を手で覆いながら。
私はお母さんを抱き締めた。
お母さんを抱き締めると、私も何だか泣きたくなってきた。
勝手に涙が頬を伝っていた。
それから、私達はずっと涙を流した。
私達は、お互いにこの瞬間を待っていたのだ。
帰りの車内は、しんみりとした雰囲気になるかと思いきや、そうでもなかった。
2人でワイワイと話をしながら、帰路についた。
「もうすぐ春休みだぁ〜」
「でも、受験生になっちゃうじゃない」
「嫌だなぁー。
でも自分が選んだ道だから、頑張らなくちゃね」
そうだった、私は受験生になるんだ。
その事実を突きつけられると、胸が痛い。
受験はもちろん嫌なのだけど、それ以上に嫌なのは友達と離れることだ。
かのんちゃんも、あいりちゃんも、卒業したらお別れすることになる。
私は地元の、かのんちゃんは東京の、あいりちゃんは大阪の大学に進学する。
3人とも、別々の場所に行ってしまう。
今の時代、メールでのやりとりは出来るけれど、
やっぱり友達と離れるのは悲しいものだ。
その日の夜。
私は布団に入り、目を閉じた。
だけど、中々眠りにつくことが出来ない。
あまりにも寝付きが悪いものだから、私はオトウサンの日記でも読んで暇つぶしをしようと考えた。
机においてある日記を手に取り、適当にページを開いた。
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2007/12/01
子供が生まれた。
ああ、我が子ってこんなに可愛いんだな。
産声が聞こえてきたとき、どんなに嬉しかったことか。
遥が無事に元気な赤ちゃんを産んでくれた安堵、
大切な存在がもう一人できた事への喜び。
本当にパパになれるのだろうかという不安。
旦那の役目さえ全うできていない僕が、
パパの役目など果たせるのか。
でも、
「最初からパパになれる人なんていない」
そう君が言ってくれたから。
この命が燃え尽きるまで、妻を、この子を愛したい。
愛してみせる。
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私が生まれた日の日記だ。
やっぱりオトウサンは、私のことをちゃんと愛してくれているんだと思う。
この日の日記が、いちばん好きだ。
そして、この日記には続きがある。
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あっ、
名前は2人で話し合って、
「海愛(みあ)」にしようと思っている。
僕達には海での思い出がたくさんあるから、
いつか3人で海に行きたいな、なんて考えたり。
とにかく、愛のある子に育ってくれること、
それが何よりの願いだよ。
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海愛。
これは私の名前だ。
海愛。
……そういえば、私の名前の由来は何だっけ。
私はふと思った。
小学校の時に、名前の由来を調べる宿題があったような気がする。
何だっけ……
私はしばらく考えて、「あっ!」と思い出した。
それは小学3年生の時だったと思う。
お母さんに、自分の名前の由来を聞いたのだ。
「私の名前の由来ってなあに?」
お母さんはニコッと微笑んで、こう答えてくれた。
「お父さんとお母さんは、海が好きだったんだ。
優しくて、強い海が大好きだった。
だからね、海愛もそんな子に育ってほしいと思って、名前を付けたんだ」
お母さんは、珍しくオトウサンの名前を出した。
優しくて、強い海ってなんだろう。
今までそれが疑問だった。
でも、何となく分かるかも。
上手く言葉に出来ないけれど。
ああ、私の名前は素敵だ。
海を愛すると書いて、海愛。
海は、オトウサンとお母さんを繋ぐもの。
海は、オトウサンのお墓。
海は、私達家族の拠り所。
やっと分かったよ。
私の名前の美しさが、やっと分かったよ。
私は窓の向こうを見た。
暗い夜の遠くに、港が見える。
あそこの海に、オトウサンがいる。
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ずっと思っていたことがある。
「人生は物語に似ている」っていうことだ。
人生は1つの出来事で、ロマンチックにもドラマチックにも彩ることが出来るのだ。
オトウサンの人生は、「病死」という悲劇的な終わり方だった。
人が死んだらどうなるかって、そんなの誰にも分からないけれど、
人には2つの死があるらしい。
1つは肉体的な死。
もう1つは、忘れられることによる死。
オトウサンは、肉体的な死を迎えたけれど、忘却による死は迎えていない。
オトウサンの事を覚えている人は、沢山いる。
だから、オトウサンの物語は終わってなんかいないと思うのだ。
Fin.
次回作を楽しみにお待ちください。
1/26/2025, 5:05:07 AM