中宮雷火

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【星の破片を】

去年の2月、不登校生活3ヶ月目だっけ、
私はオトウサンの日記を見つけた。
「きらめき」と書かれた表紙を捲ると、オトウサン直筆の日記が並んでいた。
毎日つけていたわけではないみたいだけど、オトウサンが思っていたことが記されていて、「あぁ、やっとオトウサンのことを知ることができる」と思った。

曲作りの記録、大学での話、お母さんとの馴れ初め、……
色々と書いてあった。
そこには、不器用で愛のあるオトウサンの姿があった。

どんどん読み進めていくと、あるページで手が止まった。

2008/03/12
最近、体中が痛い。

2008/04/15
相変わらず体中が痛い。
加えて、体がだるい。
食欲があまりないから、体重がどんどん落ちている。
このままでは骨になってしまう。

日記を書く頻度が落ちているから、相当痛かったのだろう。
私は次のページを捲った。

2008/05/07
今日、皮膚筋炎と診断された。
皮膚筋炎、かあ。
まさか自分が病気になるとは思わなかった。
皮膚筋炎かあ。

2008/05/10
目黒区の総合病院に入院することになった。
しばらく休めば、また家族に会えるだろう。
お医者さんからも「適切な治療を続ければ治る」と言われているから。
しばらく会えなくなるけど、お互い元気で。

オトウサンは皮膚筋炎だった。
私は日記を読み進めていった。

2008/08/11
今日は病院の中庭でライブをした。
筋力がちょっとだけ低下しているけど、ギターは弾けるし声も出せる。
目の前には、子供や高齢者、自分と同じくらいの年代の人もいた。
皆、笑顔だった。
中にはライブが終わってから「素敵な歌をありがとう」と声を掛けてくれる方もいた。
僕の好きなことで誰かが笑顔になるなんて、なんて素敵なことなんだろう。

2008/09/14
晋也がススキを持ってお見舞いに来てくれた。
「ここに置いとけば月見できるだろ?」って。
そしたら母さんまでススキを持ってきたもんだから、笑っちゃった。
なんか、こうやっていろんな人と笑えるって良いな。
入院生活も、案外悪くないかもしれない。

オトウサンは楽しそうだった。
体は痛いはずなのに。
オトウサンが笑う顔が浮かぶ。
オトウサンの顔は朧気でよく見えないけど、
確かに笑っている。

日付は少し飛んで、2009年になっていた。

2009/3/5
最近、喉の筋力が低下しているような気がする。
食べ物が上手く飲み込めないし、むせることが多くなった。
しゃべるのが苦手になった。
僕は、これからも歌えるのだろうか。

2009/5/16
部屋を移動しただけで息切れがするようになった。
咳込むことも多くなった。
風邪にでもかかったのだろうか。

2009/7/25
どうやら、間質性肺炎というものになってしまったらしい。
皮膚筋炎を患っている人はなりやすいと聞いた。
もしかすると、本当にもしもの話だけど、
僕は3年後に亡くなっているかもしれない。
死因は呼吸不全、酸素が取り込めなくなって死ぬかもしれない。
そういう症例がある。
僕も、そうなるのかもしれない。
嫌だ。
僕はまだ死ねない。
娘の顔をもっと見たいし、妻に感謝を伝えきれていない。
曲だってもっと作りたいし、またライブをしたい。
僕はまだ、死ねない。

間質性肺炎。
命を落とす危険性もある病気だ。
オトウサンは、死と隣り合わせになった。

2009/10/03
遥と海愛がススキを持ってお見舞いに来てくれた。
そういえば、去年は晋也が持ってきてくれたな。
あの時は母さんもススキを持ってきたもんだから、みんなで腹を抱えて笑ったっけ。
今年の中秋の名月は遅めだ。
「ほら、ついでにカボチャのランタンも持ってきたよ」って、先取りハロウィンまでしちゃって。
笑いながら、「次は無いな」と思った。

2009/12/01
娘の誕生日だ。
今日は遥が海愛を連れて、おみまいに来てくれた。
誕生日なのに、ごめんな。
父さんの辛そうな姿なんて見たくないよな。
そう思ってしまった。
海愛は遥に抱っこされて、笑っていた。
海愛は分かってない、僕が病気なことを。
いつかこのことをしってしまったら。
海愛はそれでも笑ってくれるのだろうか。

2010/02/14
寒い。
体が痛い。
だるい。
立ちたくない。

2010/04/22
もう何ヶ月も歌ってない。
ライブなんか、全然していない。
もっとうたいたい。
もっとやりたいことがあった。
それなのに。

オトウサンは、元気を失くした。
死と隣り合わせの生活は楽しくないし、不安と恐怖に苛まれる日々なのだ。
終わりのない日々。
それはとんでもなく辛いのだ。

2010/09/01
今日、ぼくとの面会をやめてもらうようにお願いした。
僕はかなり弱ってきていて、もう人に見せられるような姿ではない。
たとえ友達でも親でも家族でも、こんな姿を見せたくないないと思った。
本当にひどいことをしたと思う。
僕はひどいやつだ、そう思われても構わない。
もういっそのこと、僕のことを忘れてほしい。
全部無かったことにしてほしい。

2010/9/22
誰もススキをもってくることはない。
それもそのはず、面会謝絶を要求したからだ。
母さんも、妻も、娘も、友達も、「もうくるな」と突き放した。
だから、来るわけない。
でも、「面会謝絶なんかまもってられるか」と言って、ドアを蹴破ってやってきてほしいと考える自分もいる。
手にはススキが握られていて、「はやく元気になってね」って言って笑顔を見せるのだ。
ああ、なんで突き放したんだろう。
結局自分が孤独になるだけなのに。
やっぱり僕はバカだ。
もう、消えてしまいたい。

2010/10/01
いつのまにか、しにたい、と思うようになってしまった。

2010/10/22
僕は今日、死のうと思った。
僕の病気は進行していくばかりで、ある日急に病気が治ったら、そのカーテンが少しでも翻ったならば、なんて考えていた。
だけど、もうそんなことを考えても無駄なところまで来てしまった。
だから僕は決めた。
もう死のう。
全て終わらせようって。
屋上から飛び降りて、何もかも無かったことにしようって。
あの日の歌も、ギターも、全て僕には関係なかった。
あの日の喜びは、僕にとって何の糧にもならなかった。
それで屋上に向かった。
少しだけ高い所に立って、手を広げると鳥になったような気分がして良かった。
あとは身を委ねて前に倒れるだけだった。
だけど、急に誰かに呼ばれたような気がして振り返った。
だめ、やめて、消えないで、って。
だけど、誰もいなかった。
きっと空耳、気の所為だ。
だけれど、不思議と「今日は死ぬの延期にしよう」なんて思ってしまって、それでこんな日記を書いているんだよ。

オトウサンが「死にたい」と言うなんて。
「死にたくない」って言ってたのに。
「まだ死ねない」って言ってたのに。
でも、オトウサンは生きることを選んだ。

2010/11/04
息がうまく吸えない。
酸素がまわらない。
字をかくのがつらくなってきた。
からだを動かすのがしんどい。
ただ毎日、窓の外を眺めるだけの生活だ。
死にたい、でも生きなきゃ。

2010/12/16 
体がいたくて動けない。
窓ぎわをみることしかできない。
今日は雪がふっている。
なんだかかなしいな。
家族にあいたいな。

2010/12/21
きのう、さいごの歌をつくった。
もう、今日で死ぬんじゃないかと思っていたけれど、今日も生きている。
でも、今日でさいごかもしれない。
もしかすると、あしたも生きるのかもしれない。
わからない。
わからないけど、さみしい。
ずっと嫌で、こんな生活が辛くて、何度も死にたくなったし死のうと思った。
でも、できなかった。
ぼくはどこまでも生きたがりの人だった。
だけどもう長くないとしった。
ここまでくると、もう腹をくくっている自分がいる。
そして、せめてぼくの大切な人達には生きてほしいと、ただそれだけを願うばかりである。
ああ、雪がきれいだ。
しんしんとふっている。
美しい。
色々な思い出が見えるようだ。
やっぱり、もう少しだけ生きたかった。
春を迎えたい。

最後の日記を読み終えた時、私の料目からは大粒の涙が溢れていた。
そのまま床にしゃがみ込み、両手で顔を覆った。
オトウサンが、こんなに辛い思いをしていたなんて。
何も知らなかった。
私は、オトウサンのことを何も知らないのだ。
考えていたこと、嬉しかったこと、辛いこと。
私はオトウサンを何一つ知らなかった。

1時間ほど泣いて、泣き疲れた頃に私は考えた。
私は、オトウサンのことをもっと知らなきゃ。
お母さんは何も教えてくれないのだから、自分から動かなきゃ。
私は、オトウサンを知りたい。

それからは、オトウサンのことを知るためにおばあちゃんに電話をかけたり、オトウサンの記録が無いか家中探し回ったりした。
夏にはお母さんと喧嘩して、東京に家出した。
そこで思いがけない出会いを経て、オトウサンのことを知ることができた。

この前、夏目漱石の「夢十夜」を読んだ。
第一夜という話では、ある男性ともうすぐ亡くなる女性が出てくるのだ。
女性は男性に頼むのだ、
「私が亡くなったら、大きな真珠貝で穴を掘って、天から落ちてくる星の破片を墓標において、墓の傍で待っていて欲しい」と。
大きな真珠貝、星の破片が何を意味するのか分からないけど、
私は星の破片を、オトウサンにあげたい。
いや、オトウサンだけじゃない。
遺された人達に、私達と同じ経験をした人に、今苦しんでいる人に、大切な人に。
星の破片をあげたい。
星の破片が、愛であれば良いのに。
そうすれば、私達は生きていけるのだ。
何があっても、皆起き上がれるのだ。
私達は思ったより強いのだ。

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もうすぐ春休みがやって来る頃、私はお母さんから「海に行かない?」と誘われた。
どうやらお母さんは、オトウサンの話をしたいらしい。

1/9/2025, 12:58:07 PM